あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1957年
    【#116】ボーイ・イン・ザ・ボックス
    ボーイ・イン・ザ・ボックス(Boy in the Box)とは、1957年アメリカ合衆国で発生した殺人事件の被害者に冠せられた通称。被害者はおよそ4~6歳の少年で、「America's Unknown Child」とも呼ばれている。2010年現在未解決。

    概要


    遺体は1957年2月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィアの北東部にあるフォックスチェイス地区(Fox Chase)において、全裸で段ボール箱の中に入った状態で発見された。遺体には体中いたるところにあざがあった。
    遺体は発見時、J.C.ペニーで販売された揺り篭の段ボールの空き箱内に、毛布に包まれた状態で遺棄されていた。遺体を発見した男性は、発見現場付近にマスクラット捕獲用の罠を仕掛けていたため、発見時はその具合を調べていたと主張していた。後にその男性は、遺体発見時、近くの女学校の生徒たちへののぞきをおこなっているところで、それが彼の習慣になっていたと明らかにした。
    事件はフィラデルフィア一帯のマスコミの注目を集め、情報提供を呼びかける少年の写真入りポスターは、フィラデルフィア中のガソリンスタンドに貼り出された。しかし、そのような事件当時の呼びかけや、長年の事件に対する断続的な関心にもかかわらず、犯人はおろか少年の身元も依然不明である。

    概要


    多くの未解決事件同様、この事件の解決についても無数の仮説が主張されてきた。大半の仮説は否定されたが、次の2つの説は有力なものとして警察およびマスコミの双方から注目集めたうえ、大規模な捜査も行われた。
    児童養育施設の経営者一家 [編集]
    第一は、遺体発見現場から2.4キロメートル程離れた場所にあった児童養育施設に関するものである。1960年、事件を調査していた監察医務院の男性職員(1993年に亡くなるまで、執念深くこの事件を追っていた)が、 ニュージャージー州に住むある女性霊能者に接触し、霊能者はその男性職員に、探すべき家の特徴を伝えた。男性職員は、その家の特徴が合致するのは、この養育施設であると考えた。また、この霊能者は遺体の発見現場にも招かれたが、彼女はそこから男性職員をまっすぐにその養育施設に導いた。男性職員は養育施設が売りに出された際、客を装って施設を訪問した。彼はそこでJCペニーで販売されていたものに似た揺り篭や、少年の遺体を包んでいたものに似た毛布が、物干し用の紐に掛けられているのも発見した。男性職員は、少年がその養育施設を経営していた男性の継娘の子であると、信じるようになった。1957年当時、シングルマザーであることはまだ大きな不名誉と見なされており、男性職員は、少年の死は事故であり、遺体を遺棄したのは、継娘が未婚の母であることが露見するのを避けるためであると推理した。これらの状況証拠にもかかわらず、警察は少年と養育施設との具体的な関連性を発見できなかった。[1][2] 1998年、フィラデルフィア市警察で事件を担当する警部補が、この施設の経営者だった男性と継娘 (この時には2人はすでに結婚していた)に事情聴取を行った。この聴取で警部補は、一家は事件に関係していないと確認、養育施設の捜査は切り上げられた。[3]
    「M」の証言 [編集]
    第2は、2002年2月に、「M」としか名が明らかにされていない女性によりもたらされた証言である。Mの主張の概要は次のとおりである。

    「少年の名は「ジョナサン」で、Mの虐待癖のある母親が1954年の夏、少年の生みの両親から金で買った。少年はその後2年半もの間、極度の身体的、性的な虐待を受け続けた。
    また、少年が殺害されたのは、彼が浴槽で嘔吐し、母親が彼を怒りに任せて床に叩きつけたからである。Mの母親はその後、少年の身元を隠すために彼の長い頭髪を刈った。Mの母親はMを連れて、当時はまだ人里離れていた遺体発見現場に少年を遺棄した。彼女らが遺体を入れた段ボール箱は、その場にもともと捨てられていたものである。
    彼女らが遺体を車のトランクから出そうとしていた時、オートバイで男性が通りかかった。その男性は、彼女らが事故にあったのだと勘違いしてすぐそばで停車し、何か助けは必要ないか尋ねてきた。彼女らは、自分達の車のナンバープレートを見せないように気を配りながら、男性を無視したところ、その内に男性は走り去った。」

    警察が遺体発見現場を最初に検分した際、遺体には雑な散髪の跡が見受けられ、遺体に刈られた髪の毛が付着していた。Mの母親が少年の頭髪を刈ったという証言は、この散髪の跡の説明になると思われた。また、Mによるオートバイの男性についての証言と同じ内容の目撃証言が、遺体発見当時の1957年にある男性から寄せられていた。遺体発見現場をたまたまオートバイで通りがかったこの男性からの目撃証言は、それまで一般には公開されていなかった。警察はMの証言の信憑性は高いと考えたが、Mに精神病の病歴があることが問題となった。[4][5]当時の彼女の家と交流があった近隣の人々は、事情聴取の際にその家に男の子が住んでいたことを否定した。また、Mの主張は「ばかげている」とも語った。[6]

    現在


    事件は公式には未解決のままであるが、捜査員たちは 少年の遺体から残された一部のDNAを分析し、国が管理しているDNAのデータベースとの照合を試みている。
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1947年
    【#115】ブラック・ダリア事件
    ブラック・ダリア事件(-じけん)とは、1947年1月15日にアメリカで発生した殺人事件。
    ジェイムズ・エルロイが1987年に発表した小説『ブラック・ダリア』、同作を映画化した『ブラック・ダリア』のモチーフとなった。

    概要


    1947年1月15日、黒い服を好んだことから「ブラック・ダリア」の通称で知られていた女優志願の女性、エリザベス・ショートの死体がロサンゼルスで発見された。
    死体には激しい損壊が加えられており、胴の部分で2つに切断されていた。死体は洗い清められており、犯人に繋がる証拠は発見されなかった。また、事件発覚後に新聞社にブラック・ダリアの所持品が送りつけられてきたが、指紋は検出されなかった。
    事件は非常に注目を集め、約1ヶ月に渡って『ロサンゼルス・エグザミナー』のトップ記事を飾り、500人に及ぶ自称犯人やその関係者が出頭するほどだったが決め手に欠けたために迷宮入りし、現在も未解決である。

    概要


    日時 出来事 備考
    1月15日早朝 新聞配達の男性が空き地に止まるフォードを目撃。
    1月15日10時半 散歩中の女性が死体を発見、警察に「女性が倒れている」とのみ通報。 警察は酩酊者と判断して、パトロール中の警察官に連絡。無線を傍受していた新聞記者が先回りして現場に到着し、現場の写真を撮影した。
    1月15日10時半過ぎ 散歩中の少年が死体を発見。相前後して警官が到着し、本部に死体発見の報告を入れる。 死体発見の報を受けた新聞記者や野次馬が現場に集まり、現場の保存が適切に行われてなかったことから、犯人のものと見られる足跡やタイヤ跡が失われた。
    1月15日午後 死体が検死局に送られ、ヘラルド・エクスプレスおよびロサンゼルス・エグザミナーに第一報が掲載。 被害者は15-16歳の女性とされる。
    1月16日 ロサンゼルス・エグザミナー社の協力によって、被害者の指紋をFBIに電送。身元判明。
    1月18日 ロサンゼルス・エグザミナー社の記者がブラック・ダリアのトランクを発見、警察が中を開けてボーイフレンドの写真や手紙が多数見つかる。 独占記事と引き換えに警察に引き渡したことから、警察に先んじてトランクを開けていたのではないかとの疑惑が持たれた。またボーイフレンドの一人が拘束されたものの、無関係と判明。
    1月23日 ロサンゼルス・エグザミナー社の記者が、犯人と思われる人物からブラック・ダリアの所持品を送るとの電話を受ける。 25日に郵便局でロサンゼルス・エグザミナー社宛の小包を発見、ブラック・ダリアの所持品が入っていた。
    1月24日 ゴミ集積所からブラック・ダリアの靴を発見。
    1月26日 ロサンゼルス・エグザミナー社に29日に自首するという葉書が届く。 29日には警察とロサンゼルス・エグザミナー社に刑期が10年なら自首するという葉書が届く。結局、翌30日に警察へ自首を取り止めるという葉書が届く。
    1月30日 33歳の男性がブラック・ダリア殺害を自供。 その後の取り調べで無関係と判明。
    1月31日 ヘラルド・エクスプレス社に『犯人の写真』が送られる。ヘラルド・エクスプレス紙に写真を掲載。 翌日、『写真』の人物が名乗りを挙げる。近所に住む少年で、数ヶ月前に強盗に盗まれた写真の一部を使用されたものと判明。
    2月1日 ヘラルド・エクスプレス社に再度『犯人の写真』が送られる。
    2月6日 陸軍の伍長がブラック・ダリア殺害を自供したと新聞各紙が報道。 10日に、犯人をおびき出すための嘘だったことが判明。
    2月16日 別のバラバラ殺人事件の犯人がブラック・ダリア殺害を自供。 後に嘘と判明。
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1959年
    【#98】ナショナル航空967便墜落事故
    ナショナル航空967便墜落事故(National Airlines Flight 967)とは、メキシコ湾上空でアメリカ合衆国の民間旅客機が消息を絶った航空事故である。機体の大部分が回収されなかった為、事故原因は判明しなかったが、実際は保険金目当ての航空テロであったとする説がある。ただし、捜査当局が立件することが出来なかったことから未解決である。

    概要


    1959年11月15日。ナショナル航空967便は現地時間の午後11時32分にフロリダ州のタンパ国際空港を離陸した。967便は夜行便でニューオリンズ経由でロサンゼルスに向う飛行計画であった。レシプロ旅客機は巡航高度14000フィート(4300m)を飛行してニューオリンズに向かっていた。967便からの通信では天候条件に問題ないとしていたが、これが最後の通信となった。
    翌日16日午前0時55分ごろ、967便はニューオリンズの東南東約190Kmのメキシコ湾(北緯29度13分、西経88度40分)で管制レーダーから消えた。その後捜索されたが、海面に漂っていた搭乗者10人の遺体と機内装備品の残骸を発見したものの、海底に沈んでいるはずの機体主要部を発見することができなかった。そのため乗員乗客42人全員が犠牲になった。

    爆破疑惑


    この事故では早い時点で、機内に仕掛けられた爆発物による航空テロの可能性が指摘されていた。実際に機体は飛行中にバラバラになっていたと見られること、そして遺体の中には焼け焦げたものがあったためである。しかしながら、前述のように破壊活動があったと実証できるだけの物的証拠を見つけられなかった。
    この航空テロの被疑者として強く疑われたのが、967便に搭乗していたはずの自然療養医であった。彼が事故の2ヵ月後にアリゾナ州で生存していることが判明したためである。一説によれば彼は保険金詐欺のために別人を搭乗させ、爆破装置も機内に持ち込ませて、証拠が回収するのが困難な洋上で決行したものである。しかし物的証拠は得られず、事故原因は不明とされ立件されることはなかった。
    テロ実行犯だとの疑惑のある自然療養医であるが、保険金は彼の妻に支払われた。なお、彼は1969年5月2日にテキサス州で死亡したため、事件の真相は永遠に判らなくなった。
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1971年
    【#83】D.B.クーパー事件
    D.B.クーパー事件(D. B. Cooper)は、アメリカ合衆国で発生したハイジャック事件。ハイジャック事件では珍しい、身代金を要求した事件である。
    当局から身代金を受け取った後、 犯人は飛行中のボーイング727の後部にあるドアを開けさせ、現金200,000ドルを持ってパラシュートで脱出して検挙されず、また犯人の身元も不明な未解決の事件である。後に身代金の一部がコロンビア川で発見され、実際には彼は死亡していたのではないかといわれるが肝心の死体が発見されていないなど、謎が多い。
    なお「D.B.クーパー」はFBIの手配の際、手違いで広められた犯人の名前であるが、犯人による自称「ダン・クーパー」もまた偽名であるのは確実である。

    概要


    アメリカの感謝祭前日であった1971年11月24日に、経由地のオレゴン州ポートランドからノースウエスト航空11便(ワシントンD.C.発シアトル行き)には、乗員6名と乗客36名が搭乗していたが、その一人が「ダン・クーパー」の偽名で搭乗していた犯人であった。
    午後4時35分(現地時間)に離陸後、犯人は機内サービスの際に客室乗務員の女性に代金と一緒にメモを渡した。彼女は最初はてっきり彼が自宅の電話番号を書いてよこしたと思っていたが、彼は「爆弾を持っている」と告げたため確認すると、爆弾を所持していることと身代金200,000ドルとパラシュート4つを要求する脅迫状であった。また隣に座るように要求した。
    そのため客室乗務員が操縦席に連絡したが、パイロットは疑わしいと思い彼の隣に座り本当に爆弾を持っているかを尋ねると、彼は持っているブリーフケースを開け、そこには赤い管と導火線が見えた。そのためパイロットは管制官にハイジャックされたことを告げ、それに対し当局はハイジャック犯に従うように指示した。
    午後5時45分にシアトル・タコマ国際空港に緊急着陸後、身代金とパラシュートと引き換えに犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放した。その後午後7時45分にシアトルを離陸したが、犯人は機長に対しネバダ州リノに向かえと要求し、高度10000フィート(約3000m)に維持したうえでランディングギア(車輪)とフラップを下げて飛行するように指示していた。
    彼は午後8時11分ごろに、ボーイング727の後部にあったリアドア(昇降用階段)を空中で開き、パラシュートで現金と共に脱出した。その様子は追跡していた空軍のF-106戦闘機2機は視界がきかなかったため確認できなかったが、犯人はポートランドの北30マイル(約50km)にあるアリエルの郊外に降りたと思われていた。その後当局は18日間捜索したが彼の行き先に関する手かがりはつかめなかった。そのため犯人の正体は闇の彼方に消えていった。

    犯人のその後


    逃亡説
    1972年には、「パラシュートによって、ハイジャックした旅客機から逃走しようとした事件(模倣犯)」が3件発生した。最終的にはいずれも検挙され、「ダン・クーパー」だけが逃げ切ったと思われていた。
    捜査当局が「ダニエル・B・クーパー」を被疑者として拘束したため、「D.B.クーパー」が被疑者であるかの誤解をマスコミに与えるミスをした。そのため、世間一般に、後者の名が誤って広まってしまった。
    死亡説
    1980年2月13日、ワシントン州バンクーバー郊外のコロンビア川のそばで、ピクニックに来ていた家族によって、身代金の一部5800ドル(20ドル紙幣の束であったという)が発見された。
    そのため、「犯人は、コロンビア川に落ちて溺れた」、もしくは「冬の夜の寒さに凍えて、死亡したのではないか?」といわれるようになった。
    彼が使用したパラシュート2つのうち、1つは「空中では展開しない、地上訓練用」であったため、「パラシュートによる脱出に失敗して死亡した」という説もあった。
    その他、犯人と思われる人物
    1991年に出版された書籍には、「1972年に同様の事件を起こした元軍人の男性[1]が犯人ではないか?」という説が書かれた。
    2000年、ある女性が、「夫が死ぬ間際に、『ダン・クーパー』であったと告白した」とする記事がU.S. News and World Report誌に掲載された。それによると、「夫の筆跡と、犯人の筆跡がよく似ていること」などを根拠にしていた。なお、彼女の夫の死亡は1995年。
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1968年
    【#72】ゾディアック事件
    ゾディアック事件(ゾディアックじけん、英:Zodiac Killer)は、アメリカ合衆国の連続殺人事件。

    概要


    1968年から1974年のサンフランシスコで警察が確認できた被害者5名を殺害。現在も犯人不明のまま、事件は解決されていない。
    1990年代には、ニューヨークでこの事件を模倣した連続殺人が発生した。以後ゾディアックは連続殺人の代名詞にもなる。

    一連の事件


    1968年12月20日、サンフランシスコで2人の10代の若者、1人は重傷の男マイケル・マジョー、そしてもう1人は死亡した女性ダーレン・フェリンが発見される。
    1969年7月5日、男がヴァレホ警察に電話をして2件の殺人を報せ、それ以前の殺人も自分のものだと言った。警察は電話をかけてきた男の指示した場所で新たなカップルの犠牲者を発見したが、男性は死んではおらず、その襲撃から生き残った。
    翌月に掛けてゾディアック(黄道十二宮の意)と名乗る人物がサンフランシスコ湾域警察、新聞社「タイムズ・ヘラルド」とサンフランシスコの2社、著名人へ多量の手紙を送った。あるものは部分的に暗号化されていた。
    1969年9月、ナパ警察は電話を受け、新たなカップルの犠牲者を発見。男性は生き残る。
    1969年10月、ゾディアックはタクシーの運転手を撃ち殺し、男のシャツの切れ端を地元の新聞社に送った。彼は警察署への電話を続け、弁護士とも接触を持とうとした。
    1974年 サンフランシスコ警察へすでに37人を殺害したこと、新聞でもっと大きく取り扱わないと「何かすさまじいこと」をやるとあった2通の最後のゾディアックの手紙が受け取られた。しかしそれ以前に殺人事件は終息していた。
    2009年、「真犯人は私の父」とデボラ・ペレスが名乗り出た。
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