あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1988年
    【#97】名古屋妊婦切り裂き殺人事件
    名古屋妊婦切り裂き殺人事件(なごやにんぷきりさきさつじんじけん)は、1988年愛知県名古屋市で発生した殺人事件。

    概要


    1988年3月18日、愛知県名古屋市中川区のアパートに会社員(当時31歳)の男性が帰宅。室内で、妻である臨月の妊婦(当時27歳)が殺され、赤ちゃんが泣き叫んでいるのを発見した。
    妻は両手を縛り上げられており、首に電気コードを巻かれ、絞殺されていた。死体は、薄い鋭利な刃物で、みぞおちから下腹部にかけて縦38センチにわたって切り裂かれていた。彼女の足元には、赤ん坊が、へその緒をつけたまま泣き叫んでいた。犯人は妊婦を絞殺後、胎児を生きたまま取り出してへその緒を刃物で切断し、子宮にコードを切り離したプッシュホン式の電話の受話器と、キャラクター人形のついたキーホルダーを入れた後、妻の財布を奪って逃走した。
    取り出された胎児は、足など3箇所を刃物で切りつけられていたが、病院で約1時間の手術を受け一命を取り留めた。
    なお、絞殺の凶器は別の物であり、首に電気コタツのコードが巻かれたのは死後とされている(コンセントが刺さっていた状態で発見された)。
    有効な手がかりがないまま2003年3月18日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。世間の好奇の目にさらされ続けた夫と子供は1999年に日本国外に移住している。

    概捜査要


    夫への容疑
    警察は最初、被疑者を夫のみに絞っていた。理由は、
    帰宅後に、家の異変に気づきながらも妻の存在を確かめず、妻を捜す前にスーツから着替えていたこと。
    報道陣の前で、「妻はワインが好きだったので、ワインを注がせてください。」と言いながら、グラスに赤ワインを注ぎ、霊前に供えた(落ち着き払っており、この行為はパフォーマンスと考えられた)こと。
    などからである。
    しかし、妻の死亡推定時刻である午後3時前後には、まだ会社で勤務していたため、アリバイが成立した。
    サイドビジネスと最後の目撃者
    次に、夫婦がサイドビジネスとして家庭でアムウェイの商品を販売していたことから、警察は「サイドビジネスがらみの怨恨殺人」と睨んだ。しかし、具体的な手がかりは得られなかった。
    妊婦に出会った最後の人物は、妊婦から商品を受け取った女性である。彼女は、当日の午後2時ごろ車に乗り、手土産に苺を持ち、注文商品の受け取りに妊婦宅を訪問した。
    妊婦は女性を部屋に入れ、2人で苺を食べながら世間話をした後、商品を女性に渡して金を受け取っている。
    金を入れた財布は、犯人に奪われている(他の金品は一切奪われていない)。
    午後3時ごろ、妊婦は階下にある駐車場まで女性を送って行った。この時には「施錠してなかった」と、後に女性は証言している。
    妊婦の死亡時刻が午後3時前後であることから、「2人が部屋を出て行った直後に犯人が侵入した」とみられている。コタツの上には、苺が入っていた空のガラス食器が置かれたままだった。
    不審人物
    階下の居住者が、「午後3時10分から20分までの間に、不審な男がアパートをうろついていた」と証言。
    ドアのノブがガチャガチャ回っている音が聞こえた後、チャイムが鳴ったので出てみると、身長165センチほどの30代らしきスーツを着た男性が、「ナカムラさんを知りませんか?」と聞いてきた。居住者は「知らない」と言ってすぐにドアを閉めた。男はナカムラさんを探しているわけではないものと思われる。
    この男の目撃証言は他にもあり、近くの駅から、アパートやマンションを訪ねまわっている姿が何人もの人間に目撃されていた。
    後にアパートと近所の住人から、不審人物の証言を得たほか、事件当日にアパート付近を通った通行人400人以上の人間をしらみつぶしに確認した。しかし、「不審人物の行方は分からなかった」と警察は発表している。
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1999年
    【#96】】名古屋市西区主婦殺害事件
    名古屋市西区主婦殺害事件(なごやしにしくしゅふさつがいじけん)とは、1999年11月にに愛知県名古屋市で発生した殺人事件。愛知県警による正式名称は西区稲生町5丁目地内における主婦被害殺人事件。2010年4月現在で未解決。

    概要


    1999年11月13日午後2時半ごろ、名古屋市西区稲生町のアパート内で主婦(当時32歳)が、首を刃物で刺されて死んでいるのが発見された。
    公訴時効は法改正(2005年)前のため2014年となる。

    犯人


    足跡や血痕などから、犯人の特徴は以下の通り。
    年齢は40歳~55歳くらいの女
    血液型はB型、左右のいずれかの手にけがをしたとみられる。
    犯人はしばらく周辺の様子を伺った後、現場から500mほど離れた稲生公園近くまで走って逃げたらしい。
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1970年
    【#91】豊橋事件
    豊橋事件(とよはしじけん)とは1970年(昭和45年)に愛知県豊橋市で発生した、強姦放火殺人事件とそれに伴う冤罪事件。

    概要


    1970年(昭和45年)5月15日、豊橋市で起こった火災現場で、親子3名の他殺体が発見された。母親は何者かに強姦された上で殺害され、子供2人は放火されたために焼死していたという、残酷極まりない犯行であった。

    被疑者


    3ヵ月後の8月28日、被疑者として21歳(当時)の男性が逮捕され、9月には強姦致死・殺人放火・窃盗で起訴された。11月に行われた初公判では容疑を認めたが、翌年3月に行われた2回目公判からは否認に転じた。最初の時点では、「極刑が予想される恐怖から、態度を変えた」と思われていた。

    裁判


    被告人の男性の無罪の訴えに対し、私選弁護人3人も無罪の論陣を張った。
    1973年12月に行われた公判では、捜査時の刑事(当時は定年退職していた)を弁護側の証人として招聘することに成功した。元刑事は、「被告人が真犯人であるとの疑念は消えない」と証言したが、「捜査が物証に基づかないものであった」と批判した。
    検察側は、「被告人の無罪を証明する、明白な証拠」を持っていた(後述)が、公判では隠匿し、死刑を求刑していた。しかし、被告側が「捜査本部が冤罪を作り上げた過程」を証明したため、1974年6月12日に無罪判決が宣告され、そのまま確定した。
    以上のように、「犯人として逮捕された人物」が、新聞記者や現職の警官の活躍により冤罪事件であったことが裁判で認められ、一審で無罪判決が確定した。真犯人が逮捕されないまま1985年に公訴時効を迎え、未解決事件となっている。
    物証の隠蔽 [編集]
    無罪確定から5年後、物証が明るみに出た。「犯人のものと思われる、B型の精液が付いたサルマタ」が、現場から発見されていたのである。
    当初、捜査機関は「家族の夫のもの」と弁解していた。しかし、被害者の夫は非分泌型の血液型のため、被害者の夫の精液であれば血液型が判明するはずがなかった。被疑者の血液型はA型であったため、無罪の証明となった。
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 2008年
    【#90】豊田市女子高生殺害事件
    豊田市女子高生殺害事件(とよたしじょしこうせいさつがいじけん)は2008年(平成20年)5月2日に愛知県豊田市生駒町切戸地内で女子高校生が殺害された強盗殺人事件。2010年4月現在で未解決事件となっている。

    事件発生


    5月2日
    18時半頃 - 刈谷市のA高校1年、団体職員の長女(15)は夕方までサッカー部マネージャーとして部活動をしていた。
    18時45分頃 - 長女は校門付近で友人と別れて、自転車に乗り一人で帰宅した。
    19時半 - 帰宅時間を過ぎても帰らないため家族が携帯電話に何度も電話したが応答はなく、周辺を探しまわったが見つからなかった。
    深夜0時頃 - 両親は警察へ捜索願を出した。
    5月3日
    未明 - 警察は携帯電話会社へ位置検索を依頼した。携帯電話会社は微弱電波を利用して場所を絞り込んだ。当初携帯の呼び出し音は鳴っていたが、途中から不通となった。両親や署員、知人らは夜通し長女の行方を捜した。
    午前5時半ごろ - 位置情報をもとに捜索していた家族の知人が自宅から1kmほど離れた豊田市生駒町切戸地内の農道で長女の遺体を発見し、通報した。

    現場の状況


    被害者の制服は泥で汚れ激しく争った跡があり下着は持ち去られていた。仰向けの遺体の首には黒いビニールテープ(工事で使われる伸縮性のあるテープで幅3.8センチ)が七重(右巻き)に巻かれていた。口には白いタオルを押し込まれ、目と鼻を殴られた痕跡があった。現場には倒れた自転車、脱げた靴と携帯電話が落ちていた。通学用カバンと財布は無かった。携帯電話は泥水が浸水したためか壊れていた。足跡は被害者以外は一種類しか発見されなかった。
    遺体発見から約30分後の6時ごろ、このカバンは現場から15キロ離れた岡崎市稲熊町地内の小呂川の土手で散歩中の主婦により発見された。中には教科書、腕時計、電子辞書などが入っていたが、青のジャージが失われていた。カバンの外側は泥で汚れていたという。
    愛知県警捜査一課と豊田警察署は、豊田署に「豊田市生駒町地内における女子高校生強盗殺人事件」特別捜査本部を設置し、捜査を始めた。

    司法解剖


    死因は司法解剖の結果、窒息死と判明した。犯行時刻は午後7時ころから午後8時とみられる。口をふさがれて殴られ、鼻血が泡状になって気道をふさいだため窒息した可能性があるとされた。被害者は乱暴された形跡はなかった。犯人の体液も検出されていない。

    事件後


    捜査本部には事件のあった5月に357件の情報が寄せられた。
    6月3日、警察は持ち去られたジャージーと同種のものの写真を公表した。その月の情報は164件が寄せられた。
    8月4日、捜査本部は現場付近の交差点で、情報提供を呼び掛けるビラを配布した。
    情報提供は9月には18件、10月には11件と減少していった。
    12月10日、警察庁の公的懸賞金制度を適用して有力情報には300万円(上限)の捜査特別報奨金が支払われることとなった。
    平成21年5月1日、豊田署捜査本部は1日、事件現場とカバン発見現場付近でチラシを配り、情報提供を呼び掛けた。また現場から犯人のものとみられるDNAの一部が検出されていたこと、犯人のものとみられる手袋痕が制服のブレザーのほか、着衣から複数見つかったことが捜査関係者の話で分かった。
    1年間で700件以上の情報が豊田署の捜査本部に寄せられたが、2010年4月の段階では容疑者の割り出しには至っていない。
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    DATE: 2010/06/01(火)   CATEGORY: 1987年
    【#66】赤報隊事件
    赤報隊事件(せきほうたいじけん)とは1987年から1990年にかけて朝日新聞社支局などに対して起きたテロ事件である。指定番号から「広域重要116号事件」または「警察庁指定116号事件」とも呼ばれる。未解決事件

    概要


    一連の事件において犯人が「赤報隊」を名乗って犯行声明が出された。また、記者1人が死亡した朝日新聞阪神支局襲撃事件は、言論弾圧事件として大きな注目を集め、新聞・雑誌等では当時、「表現の自由」に対するテロリズムであるという論調がなされていた。一方で、右翼の主張がマスコミで報道されないことへの反発からテロに走ったのではないか、との見方もされていた。
    警察庁は、「赤報隊」が犯行声明を出した一連の事件を広域重要指定事件に指定した。
    全国的な捜査を行ったが、2002年に阪神支局襲撃事件、2003年には静岡支局爆破未遂事件が公訴時効となり、全事件が未解決のままとなった。事件の超法規性、実行犯の海外逃亡による時効期間の延長の可能性等もあり、兵庫県警察の情報収集は現在も続いている。

    一連の事件


    ・朝日新聞東京本社襲撃事件
    1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれた。その後、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って犯行声明が出された。声明には、「われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である 一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」として、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」とあった。

    ・朝日新聞阪神支局襲撃事件
    1987年5月3日の憲法記念日、午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が侵入。2階編集室にいた29歳記者と42歳記者に向け発砲。29歳記者が翌5月4日に死亡、42歳記者は右手の小指と薬指を失う。
    5月6日、時事通信社と共同通信社の両社に、「赤報隊 一同」を名乗る犯行声明が届く。1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」と殺意をむき出しにした犯行声明であった。

    ・朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
    1987年9月14日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃された。無人の居間兼食堂と西隣のマンション外壁に一発ずつ発砲した。
    その後、「反日朝日は五十年前にかえれ」と戦後の民主主義体制に挑戦する犯行声明文が送りつけられた。

    ・朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
    1988年3月11日、静岡市追手町の朝日新聞静岡支局の駐車場に、何者かが時限発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けた。翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった。
    犯行声明では「日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう」と朝日新聞社だけでなく毎日新聞社や中日新聞東京本社(東京新聞)も標的にする旨が記されていた。しかし、実際に毎日・中日の2社を対象とした事件はなかった。

    ・中曾根・竹下両元首相脅迫事件
    静岡支局事件と同じ1988年3月11日の消印(静岡市内で投函)で、群馬県の中曾根康弘前首相の事務所と、島根県の竹下登首相の実家に脅迫状が郵送された。
    中曾根には「靖国参拝や教科書問題で日本民族を裏切った。英霊はみんな貴殿をのろっている」「今日また朝日を処罰した。つぎは貴殿のばんだ」と脅迫、竹下には「貴殿が八月に靖国参拝をしなかったら わが隊の処刑リストに名前をのせる」と靖国参拝を強要する内容だった。

    ・江副元リクルート会長宅銃撃事件
    1988年8月10日午後7時20分頃、江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃一発が発砲された。江副は当時リクルート事件で世間を騒がせていた。
    犯行声明では「赤い朝日に何度も広告をだして 金をわたした」からだとしている。また、「反日朝日や毎日に広告をだす企業があれば 反日企業として処罰する」と企業を標的にした内容も犯行声明には記されていた。ただし、リクルート社が他紙に比べ、朝日に多く広告を出していたわけではなかった。

    ・愛知韓国人会館放火事件
    1990年5月17日、名古屋の愛知韓国人会館(民団系)が放火される事件が発生。
    犯行声明では当時の韓国・盧泰愚大統領を「ロタイグ」と日本語読みした上で、その来日に反対し、「くれば反日的な在日韓国人を さいごの一人まで処刑」と脅した。盧泰愚の来日は、予定通り行われた。

    時効
    2001年11月中旬、「実行犯は右翼思想を持つ元自衛官。事件当時30歳ぐらい。その後、関西の寺の住職になったが数年前に死んだ」と朝日新聞大阪本社の取材班に電話が入る。
    2002年5月3日、朝日新聞阪神支局襲撃事件の公訴時効が成立。朝日新聞社が「真相に迫る努力続ける」を発表。2003年3月11日、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件の公訴時効が成立し、赤報隊事件の全てが公訴時効となった。
    2005年4月20日、朝日新聞社は老朽化した阪神支局の建て替えを発表した。事件を風化させないため、新しい支局内に「メモリアル・スペース」(仮称)を設ける予定としている。2006年4月13日、阪神支局に「朝日新聞襲撃事件資料室」が公開される。
    2007年5月3日、兵庫県警西宮警察署長が「言論に対する暴力は許せない。時効を迎えているが、引き続き情報を呼びかけたい」と116号事件関連の情報提供を呼びかける。
    2008年5月3日、殺害された記者の遺族が「殺人罪に時効はなくていいと思います」とコメントを発表。
    2010年4月12日、兵庫県警警部が「時効後も真相解明はできる。たたき込まれた捜査情報で犯人を突き止めたい」と話す。
    2010年5月3日、殺害された記者の遺族が「何年たっても同じ気持ちです。犯人をなおさら許すことはできません。この事件に時効は関係ありません。早く解決して真相解明をしてほしいと思います」とコメントを発表。

    関連事件



    「赤報隊」は当初「日本民族独立義勇軍 別働赤報隊」と名乗っていたが、赤報隊事件より前に「日本民族独立義勇軍」を名乗っていた事件が発生している。警察庁広域重要指定事件の対象とはなっていない。いずれも未解決事件になっている。
    1981年12月8日 - 神戸米国領事館放火事件
    1982年5月6日 - 横浜元米軍住宅放火事件
    1983年5月27日 - 大阪ソ連領事館火炎瓶襲撃事件
    1983年8月13日 - 朝日新聞東京・名古屋両本社放火事件

    犯人の手がかり


    ・犯人の目撃情報
    実行犯の特徴及び犯人に結びつくものは、次の通り。
    阪神支局事件 身長160-165cm 中肉中背、やや細目、20-40歳、黒の目出し帽
    名古屋本社寮事件 身長約170cm がっちりした体格、3・40代、黒の目出し帽 「何か音がしたろ」と関西なまりで話す。
    静岡支局事件 60歳ぐらい、ぼさぼさの髪 松屋百貨店の紙袋を持つ。
    リクルート元会長宅事件 身長160cm 細身、肩が広い 20-25歳 野球帽、黒縁の眼鏡、白いマスク姿。

    ・犯行声明
    捜査当局は犯行声明の分析を言語学者ら(複数)に依頼した。それによると、 犯行声明の筆者は「ある程度知的な三〇代以上の人物」という見方が多くあった。 捜査当局は、「反日」という言葉(「反日分子」「反日マスコミ」「反日企業」など19か所ある)も手がかりに捜査した。 教科書問題の評論家は、「反日」という言葉を「以前からよく使っている人物がいる」として、全国的組織のある右翼理論家の名前を挙げた。別の学者が出したあいさつ状(事件前)にも犯行声明との類似点を確認している。

    ・犯人の特徴
    犯行声明などから、「赤報隊」を名乗った犯人には次の特徴があるとされる。
    反日の用語をよく使用する。
    靖国公式参拝・教科書問題に関心。
    朝日新聞社や中曽根康弘首相(当時)、韓国に強い敵意。
    戦前回帰的志向。
    三島由紀夫の思想の影響。
    日本国憲法の敵視。
    銃や時限発火装置の扱いに慣れ、歴史や右翼運動の知識がある。
    スパイ防止法(国家秘密法)の推進に関わる。
    学者や大物右翼・財界人の存在。
    政界にも影ができる程、背後に大掛かりな組織。

    現場の遺留品・犯人の所有物


    事件では多くの物証が残された。以下判明している情報を記す。
    一連の事件では複数の男が目撃され、兵庫、愛知、静岡県警、警視庁は似顔絵や服装写真を作り、犯人を追った。
    延べ50万人が捜査対象になった。
    ・散弾銃
    事件で使用された散弾銃は、2連銃で銃身が切断されていたとみられている。
    20万人の銃所持者と9万人の弾購入者を捜査した。

    ・散弾粒
    米国レミントン社製7.5号弾。1978年ごろ製造。
    東京本社:ひしゃげた弾粒2個と5~6個の細片。
    阪神支局:470個の弾粒、直径2.41ミリ。2個のカップワッズ、直径1.85センチ。
    名古屋本社寮:322個の弾粒、直径2.41ミリ。2個のカップワッズ、直径1.85センチ。

    ・ワープロ
    使用されたワープロは、シャープ製WD-20(25)。
    事件発生までに4万1311台が販売され、約2万4000台の所有者が判明した。

    ・封筒
    犯行声明が入っていたのは、枠なし洋型3号封筒。
    名古屋市内のメーカー製。小売用の大半は同市内で販売。
    声明文は正確に八つ折りになっており、紙折り作業に手慣れした同一人物が関与とみられる。

    ・ピース缶爆弾
    静岡支局事件で使われたピース缶爆弾は、秋葉原で18品目中13品目そろえられることから、捜査当局は秋葉原電気街で部品を購入と推理、捜査した。
    合板に固定したピース缶(黒色猟用火薬、釘)、乾電池、スイッチ、電線などで出来、松屋百貨店の紙袋に入っていた。

    ・買い物袋(1袋)
    縦28センチ、横22センチ、幅12センチの角型。黒色の地に灰色で「MaTSUYa」の文字。
    銀座浅草店の自動販売機で販売、1袋100円。約4万袋流通。

    ・時計(1個)
    縦9.1センチ、横11.1センチ、奥行き6.2センチの箱型。全体が黒で、ふち取りはローズピンク。
    服部セイコーのKG533P型。茨城県石岡市内の工場で生産。定価2600円。約1万個流通。

    ・乾電池(2個)
    縦1.5センチ、横2.5センチ、高さ4.5センチの角型9ボルト電池。黒色に白と銀のストライプ。大阪府守口市の松下電池工業本社工場で生産された「ネオハイトップ」。
    トランジスタラジオやラジオに使用。1個200円。年間800万個生産

    ・ピース缶(1個)
    直径約7センチ、高さ8センチ。京都市の日本たばこ産業関西工場製。
    1987年11月30日に生産。底に「6311OV」の刻印。当日5万2680個生産。東京、京都、愛知、静岡など11都府県の同社物流基地に出荷。販売地域が限定されているため、捜査本部は有力視している。

    ・火薬(約90グラム)
    黒色、粒は直径0.4~1.2ミリ。黒色猟用火薬。手製弾用。
    使用者はごく一部(全国で300人)。捜査本部は「犯人に到達する可能性が最も高い」とみる。
    日本化薬で生産。年間約700キロ生産。

    ・釘(約200本)
    長さ1センチ、軸の太さ1.6ミリ。大平鋲。頭部が平たく大きいのが特徴。椅子の裏張り布の仮止め、キャンバスを枠に打ち付けるのに使用。大平鋲の生産量は釘全体の3%程度。
    スイッチ(1個)
    縦21.5ミリ、横29ミリ、高さ32.5ミリ。東京都目黒区の明工社製「MU3601 」。
    一般家庭や事務所の蛍光灯スイッチとして広く使用。100万個以上生産。

    ・板(1枚)
    縦21センチ、幅11センチ、厚さ2センチの合板。
    他に綿、電線、ビニールテープ、ボルトナット、接着剤、着火源など(朝日新聞1988年3月15日付朝刊)。

    ・指紋
    一連の事件で3個の遺留指紋を検出し、捜査した。

    ・掌紋
    犯行声明や事件現場から採取された10個の掌紋(手のひらの跡)を、警察庁の自動識別システムで照合した。

    ・繊維片
    共同通信社宛の犯行声明(1987年5月6日届く)の封筒に、3.9-0.4mmの繊維片9本が付着。
    素材はレーヨンで、銅も含まれていた。
    ワープロの印字を封筒にはったときに付着したと、鑑識の結果判断。

    ・トヨタ・マークII
    阪神支局事件の当日と前日に支局周辺で、2台のトヨタ・マークIIが目撃される。
    1台は82年型の白で、横浜か静岡ナンバー。
    犯行直前の5月3日の午後8時12、3分頃阪神支局前の市道を2人の男が乗った白い乗用車が無灯火でゆっくり走っているのが目撃された。
    3日午後1時頃支局南の民間駐車場で横浜ナンバーの白いマークⅡが目撃される。
    2日午前6時-3日午後1時頃の間に支局周辺で同じような車の目撃を3人が証言。
    全部で7人が目撃していた。
    横浜ナンバー約4000台。静岡ナンバー約2000台を調べた。
    もう1台は76年か73年型のワインレッドで、三重ナンバー。
    犯行直後の時間に支局前の一方通行を無灯火で逆行、阪神電車の踏み切りを減速しないで渡るのを目撃された。
    三重ナンバー約4000台を調べた。

    ・靴
    名古屋本社寮事件の現場から足跡が見つかり、靴底を特定した。
    神戸市内の靴底メーカーが事件までに約7万4000足製造し、靴メーカー9社で別のカジュアルシューズに仕上げられたことがわかる。

    ・ジャケット
    名古屋本社寮事件で犯人が着ていた服は、カーキ色の米軍防寒服「M65フィールドジャケット」に似る。
    全国で10数店だけ大量に扱っていたことが判明。

    ・犯人のプロファイリング
    犯行声明、脅迫状にどの事件も同じワープロ、用紙が使われていた。用紙の折りたたみ方も同じで「同一人物または同一グループの犯行」とみている。
    3、4メートルの距離から散弾銃で42歳記者を狙い撃ち、逃走時の危険が増すにもかかわらず、さらに編集室の奥に踏み込み、29歳記者を撃ったやり方から、銃の扱いに手慣れ、大胆で冷静な行動ができる男。
    被疑者は事件当時年齢20歳-40歳。身長160-170センチ。体形に幅があり、事件によって実行犯が違うという見方がある。
    右翼的信条の持ち主。
    幕末と現代、二つの赤報隊を結ぶ線は必ずある。
    東海地方に犯人の足場がある可能性。
    国内潜伏と海外逃亡の可能性あり。

    犯人の正体


    一連の事件を起こした犯人は「赤報隊」名の犯行声明を送りつけた。以下その正体に関係する情報を記していく。
    ・統一教会(世界基督教統一神霊協会)関係者が捜査対象に
    朝日新聞社の発行する『朝日ジャーナル』などが統一教会(世界基督教統一神霊協会)の「霊感商法」批判を展開していたことに対し、以前から反共主義の立場から『朝日新聞』を「左翼的」、「偏向している」と敵視して来た統一教会側からの反発が強かったことや上記の統一教会の名を使った脅迫状(事件直後に「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」という脅迫状が事件で使われた銃弾と同一の薬莢2個と同封されて届いた)などから、統一教会の関係者の関与も疑われ、捜査の対象になった(1994年から)。

    ・動機「靖国と教科書」
    中曽根康弘に出された脅迫状に「貴殿は総理であったとき靖国参拝」や教科書問題で日本民族を裏切った」とあったことから、捜査幹部は「靖国と教科書」を動機の本筋と見ている。また、捜査当局は教科書問題が事件の発端になった可能性もあるとの見方をしている
    1985年8月15日、中曽根首相(当時)は第二次世界大戦のA級戦犯が1978年に合祀されて以来初めて、靖国神社に公式参拝した。しかし、中国、韓国の批判を受け、「近隣諸国への配慮」からその後の参拝を見送った(靖国神社問題参照)。
    1985年高校用日本史教科書『新編日本史』(執筆・日本を守る国民会議)の検定が申請された。しかし、「天皇の記述が多い」などの理由で、数百か所の修正・改善意見がついた。朝日新聞は「復古調の日本史教科書 高校用作成めざす」と伝えた(1986年5月)。執筆者側は修正に応じ、文部省の検定調査審議会は合格を了承したが、中国、韓国の反発があり、文部省は中曽根首相の指示で再修正を求めた。執筆者側はこれを受け入れ、1986年7月合格した(歴史教科書問題参照)

    ・国家秘密法批判が触発
    1979年国際勝共連合などがスパイ防止法制定促進国民会議を発足させ、1985年6月自民党が国家秘密法案を国会に提出した。同法案をめぐって激しい論争が起きた。最高刑を死刑とするメディア統制法に対し新聞界では反対運動が広がり、朝日、毎日、東京、神奈川新聞、琉球新報、信濃毎日新聞、北海道新聞、共同通信などが反対キャンペーンを張った。朝日は社説で廃案を主張した。1986年11月25日の紙面は「国家秘密法増える反対議会」と題し、全国調査の特集を組むなど朝日新聞が法案を強く批判していた。捜査当局はこのことに触発された可能性もあるとの見方だ。

    ・潜在右翼
    鈴木邦男は著書『テロ』において野村秋介の「赤報隊は新右翼とは思えない」という発言に触れたり、他にも情報をほのめかしていたが、警察に家宅捜索を受けたことなどを理由に、現在に至るまで明かしていない。また、鈴木や元捜査幹部の説として、赤報隊は警察が「潜在右翼」と呼ぶ、右翼思想を持っているが、右翼団体に入って活動しているわけではない人物ではないかという。

    ・元自衛官説
    2001年11月半ば、朝日新聞大阪本社116号事件取材班に「実行犯は右翼思想を持つ元自衛官。事件当時30歳ぐらい。その後関西の寺の住職になったが、数年前に死んだ」と電話があり、取材班が元自衛官を追跡した。1980年代初め、海外に拠点のある宗教団体に在籍していた。除隊後右翼団体に入り、散弾銃を所持、「右翼は非公然組織を持ち、武器の扱いに精通すべきだ」と話している。1988年右翼団体をやめ、関西の寺に入ったことが判明している。

    ・東京在住インテリ系右翼説
    右翼的表現を使用し、手慣れた文章で犯行声明を書く。東京都を省略したり、「都内」と送付先を書き出す。「関西」「中京方面」と表現し、東京新聞を標的にしたことから、「東京を拠点に全国規模で活動する中高年のインテリ系右翼」と捜査当局は犯人像を描いた。

    ・九人のリスト
    1998年1月、警察庁で警視庁、兵庫県警、愛知県警、静岡県警の合同捜査会議が開かれ、動機から思想犯として右翼関係9人のリストが示された。9人は全員事件との関わりを否定したが、捜査幹部の一人は「彼らの周辺に容疑者がいる可能性は、今も否定できない」と話す。

    ・アメリカ大使館員関与説
    朝日新聞阪神支局襲撃犯の告白記事も参照のこと
    前述の『週刊新潮』に掲載された「赤報隊」の犯人を名乗る者の手記によれば、大物右翼の下にいた際に知り合ったという在日アメリカ大使館員から朝日新聞襲撃を依頼され、散弾銃を受け取り、阪神支局襲撃事件などを実行したとしている。また犯行声明文は野村秋介が作成したと主張している。なお、同手記によればアメリカ本国の関与はないとしているが、射殺された記者が北朝鮮の偽造ドル紙幣の印刷原版を預けていたのに紛失したというのが、大使館員の動機としているが、極めて不可解なものである。
    ただし、この手記に対しては朝日新聞が実際の犯行現場と著しく食い違っており、真実の吐露ではないと反論しているほか、普段は朝日新聞に批判的な週刊文春が、事件のあった1986年当時、証言した男が北海道に住んでいたという証言を掲載し、関与を疑問視する記事の内容であった。また捜査本部が確認した犯行状況と告白記事の内容が著しく異なっているため、彼の証言は裏づけがあるものとはいえず、実際に警察組織も重要視していないという。また、依頼者として名指しされた大使館員自身が読売新聞の取材に対し、「当時は赤坂の大使館ではなく福岡の領事館に勤務していた」「取材に応えたうち、告白者の主張に矛盾する部分が全て削除されており悪質。法的処置も考えている」と答えている。また野村の右翼団体「大悲会」を継承した蜷川正大も強く反発している。
    当初『週刊新潮』は、朝日新聞の反論は結果ありきであり、手記執筆者が以前朝日に語った内容とは異なることをもって虚偽としていることを批判する逆反論を行っていたが、最終的に「誤報」であったことを認め謝罪した

    ・犯行組織名
    新政府に冤罪で処刑された幕末の赤報隊になぞらえていると思われる。

    捜査状況


    ・捜査の経緯
    阪神支局における取材上のトラブルの有無、事件との関連性の捜査。
    新右翼とその周辺捜査。
    1988年5月のYP体制打倒同盟脅迫状事件、1986年~88年の亜細亜独立義勇軍関西部隊脅迫状事件の捜査。
    1991年12月8日に起きた米軍横須賀基地の車両放火事件の捜査。
    右翼団体とその周辺捜査。
    朝日新聞に敵意を持つ宗教団体の周辺捜査。
    散弾銃、ワープロなどの物証捜査。
    指紋、掌紋の照合。
    「九人のリスト」の集中捜査。

    ・警察庁長官
    朝日新聞は1996年5月3日付の紙面で、国松孝次警察庁長官(当時)に捜査状況と解決に向けての決意を聞いている。
    阪神支局周辺で目撃情報のあったトヨタ・マークIIや、犯行声明文に使われたワープロの捜査はひと通り済んだ。これからは、遺留品などの物証から追うだけでなく、人の捜査で浮上した不審な人物と物証の関係を調べる、つまり、『物』と『人』をクロスさせてやっていく。
    新右翼の犯行と思わせる状況はずいぶんあり、その方向でも捜査していることは否定しないが、それだけではない。
    直接の実行犯は、いずれの事件も一人ではないか、という意見もある。だが、実行犯の補助者がいないと、犯行は難しいのではないか。犯行声明文を書く司令部みたいなものがあって、実行犯はバラバラという考えもある。あまり決めつけないで捜査している。
    何がなんでも犯人を挙げなくては、と思っているし、捜査員は私の何倍も思っている。事件発生からこれだけたつと、風化とかいわれるが、われわれにはそんな感じはまったくない。

    影響


    ・「反日」の用語
    鈴木邦男によると、「反日」の用語が左翼批判の文脈で広く使われるようになったのは、赤報隊事件以降であるという(それ以前には東アジア反日武装戦線を名乗った左翼テロ組織があった。鈴木は赤報隊の手法に、反日武装戦線の影響があったと主張する)。なお鈴木は自身の著書で赤報隊が右翼団体であることを疑問視しており、野村秋介も「赤報隊は右翼ではない」と主張している。

    テロ(新聞社襲撃・記者殺害)を「お灸」と表現
    「赤報隊」の主張は、右翼のほか保守派の一部に共感を呼んだ。たとえば、中村粲は産業経済新聞社の『正論』2001年5月号で、朝日の歴史教科書問題報道を「朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしていたようだが、昨今の朝日の傍若無人とも思える偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」と評した。朝日の“テロを容認するのか”との抗議申し入れを受け、編集部は「誤解を招く表現だった」として、6月号で謝罪文を掲載した。中村は10月号で「朝日新聞の売国的偏向報道の累積が銃撃事件の引き鉄になつたと、因果関係を示唆したに止まる」と反論した。また、「…お灸が足りないやうだ」の意図について、「赤報隊がお灸をすえるつもりだったかもしれないと客観的に叙述しただけだ」と、朝日新聞社116号事件取材班に答えている。

    ・2ちゃんねる
    2ちゃんねるでは阪神支局事件の時効前後(2002年)に「朝日新聞襲撃事件の時効を祝おう」と題するスレッドが立つなど、事件を賛美する投稿が多数なされた。現在でもネット右翼らによる朝日批判とセットにした犯罪を肯定する反社会的な主張が散発的に行われている。

    ・自称阪神支局襲撃実行犯
    『週刊新潮』が阪神支局襲撃の実行犯を名乗る男の手記を掲載した(2009年2月5日号~2月26日号)。それによると、在日アメリカ大使館職員に依頼され、関西の暴力団組長に紹介された若者にバイクを運転させて阪神支局に向かい、水平2連銃で記者を撃った。犯行声明文は野村秋介が書き、「赤報隊」と名付けたのもこの人物だという。これに対し、朝日新聞社は「客観的事実と明らかに異なる点が多数ある」とし、捜査幹部も「事実と認定できる新しいものはない」としている。在日アメリカ大使館は「真剣にコメントするに値しない」(デービット・マークス報道官)と発表している。朝日新聞は2009年2月23日付朝刊に検証記事を載せ「事実と異なる点が数多く含まれ、真実性はないと判断した」との見解を示した。また読売新聞も2月24日付け紙面で、この男が未解決の八王子スーパー強盗殺人事件の真犯人だと警視庁に名乗り出した前歴があると報道している。
    証言した男は4月8日、「私は実行犯ではない。新潮が作ったストーリーに乗せられた。記事はうそだ」と話し、90万円を新潮社からもらったことを明らかにした。一方、『週刊新潮』は4月23日号で誤報を認めて「おわび記事」を掲載し、「雑誌ジャーナリズムへの信頼を傷つけ慙愧に堪えない」と述べた。これに対し、阪神支局事件の遺族は「息子の死をもてあそび、世間を騒がす手段に使うなんてひどすぎます」「読者や周りの人たちをだましておきながら、『こちらがだまされた』と逃げるなんてひきょうです」とコメントを発表している

    ・対NHK実弾送りつけ事件
    2009年2月22日午後、NHK福岡放送局の玄関付近で卓上コンロのカセットボンベが何者かの手で爆破される事件が発生した。防犯カメラにはニット帽にサングラス、マスク姿の男が玄関に入り、自動ドア前にバッグを置き、立ち去る姿が映っていた。この後、NHK放送センター(渋谷)や、長野、福岡、札幌のNHK各放送局に旧日本軍制式銃の三八式歩兵銃の実弾が「赤報隊」の名のワープロ文とともに送付される事件が発生した。郵送に使用された封筒はすべて「エクスパック500」で、消印はいずれも2月23日付の「神田」(東京都)。静岡市の静岡中央郵便局で販売されていた。防犯カメラに1月上旬、白っぽいコートを着た中高年の男の封筒を買う姿が映っていた。警察では関連性を慎重に捜査中である。
    新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男は、「赤報隊」と同一組織・個人が自称実行犯が金目当ての犯行と語ったことに「週刊新潮」へ抗議のため、NHKを使って警告したと分析している。
    また、6月8日NHK広島放送局に届いたA4版茶封筒の中に、旧日本軍使用の三八式歩兵銃の実弾が入っていた。「赤報隊」と記された紙片が同封されていた。消印は5日付「大阪」。2月に東京・渋谷放送センター、札幌、長野、福岡の各放送局に同じ金属片が届いた事件との関連を脅迫容疑で調べている

    犯人への呼びかけ
    本島等元長崎市長が阪神支局襲撃事件の時効を前に、犯人に呼びかけを行った。
    あなたにはあなたの主張もあるだろうが、やはりあなたは間違ったことをしたと思う。時効はうれしいだろう。しかし、あなたには人間として逃げれきれない責任があると私は考えるが、どう思うだろうか。あなたが事件に走った背景には教育を始め、社会からの影響もあったろう。もしあなたに子供がいるのなら、死ぬ前に、親のような生き方をしてはいけないと教えてやってほしい。

    朝日新聞襲撃事件資料室


    朝日新聞社は2006年4月13日、阪神支局の新局舎3階に「朝日新聞襲撃事件資料室」を開設した。記者2人が殺傷された阪神支局事件を中心に、言論機関を狙ったテロに関する資料を展示している。市民に公開することで、事件を多くの人に語り継ぎ、言論の自由など民主主義の大切さを伝えるのが目的。 開館以来、3000人を超える人が訪れている。
    エックス線写真
    殺害された記者(当時29歳)の体内の鉛の粒が、白い点となって写っている。
    散弾粒
    死亡した記者(当時29歳)と重傷を負った記者(当時42歳)が銃撃された編集室から採取。撃たれた弾は、プラスチックの筒ごと29歳記者の左胸部に入り、胃の後ろで炸裂、内臓を破壊され失血死した。42歳記者は散弾粒の一つが心臓の2ミリ手前で止まっていた。今も体内に44個の散弾粒が残る。
    ブルゾン
    死亡した記者が当時着ていたブルゾンは、血まみれになっている。
    原稿用紙
    死亡した記者が記事を手書きした原稿用紙。血に染まっている。
    ボールペン・財布・免許証・名刺
    重傷を負った記者が身につけていた。ボールペンは弾丸を受けて潰れ、免許証と名刺の入った財布は15粒の跡が残っている。凶弾から身を守った。
    ソファー
    2人が座っていたソファーには散弾粒が食い込んだ。死亡した記者が頭を埋めていた所は、捜査員が記したチョークの白い線が残る。
    犯行声明文
    犯行声明文には、警察が鑑定のため切り取った跡(四角い穴)がある。茶色に変色している。
    ワープロ・用紙・封筒
    犯人が使ったワープロ・用紙・封筒を検証し、ワープロはメーカーと型番を特定して同型品を収集した。
    目出し帽・靴・着衣
    記者らの証言をもとに犯人が身につけていた目出し帽・靴・着衣を収集。 他に、事件直後の写真パネルや政治家・文化人・報道機関への暴力の歴史映像、一連の事件年表、死亡した記者の遺影、遺族や詩人の句など。

    朝日新聞社への恫喝


    ・匿名の脅迫
    『朝日ジャーナル』が原理運動を取り上げた記事を掲載した時、4万6000件の抗議電話が朝日新聞東京本社にかかり、朝日新聞編集委員宅に脅迫状が届いた。見知らぬ男数人が『朝日ジャーナル』記者宅周辺をうろつき、一日100件を超える無言電話があった。阪神支局、名古屋本社寮襲撃事件後、「爆弾を仕掛けた」「記者がまた殺されるぞ」という脅迫電話が300件かけられた。 1999年1月24日、朝日新聞東京本社広報室に、「一二〇周年おめでとうございます。警戒モードに入っていますか。一二年前のことを思い出して下さい」という匿名メールが届いた。2007年5月24日、朝日新聞さいたま総局には「社員の1人や2人殺されても仕方がない。第2、第3の阪神支局事件は必ず起きる」と社員の殺害をほのめかす脅迫文が送りつけられた。

    ・街宣車
    1986年12月22日午後4時、朝日新聞東京本社に統一教会と友好関係にある政治団体の街宣車が現れ、2人の男が朝日新聞の国家秘密法案を報道した記事を批判する演説をした。活動は24、25、26と続いた。国家秘密法案、原発事故に関する記事を批判し、「朝日の赤い疑惑」というビラがまかれた。 1987年1月になっても街宣が続けられ、5(ベトナム戦争などの記事批判)、6、7、9、10、11、12、15、16、17、19、20、21、22、23、25、26、29と連日のように大音響のスピーカーを使って演説が行われた。最後は国家秘密法問題を取り上げていた。

    ・器物破損・放火・発炎筒事件
    襲撃事件以後、各地の支局、販売所の窓ガラスが割られ、ゴミ箱に放火される事件が起きた。1988年10月18日未明、水戸支局の窓ガラスが割られ、発炎筒が投げ込まれる事件が発生した。現場では、朝日新聞の昭和天皇に関する記事に抗議するビラがまかれていた。右翼団体の男2人が逮捕されている。

    ・ネットで脅迫
    朝日新聞を批判するウェブサイトでは、「(記者の実名)記者一人の生け贄では少なすぎる」と書かれていた。2ちゃんねるの「朝日新聞襲撃事件の時効を祝おう」には、「赤報隊はよくやった」「皆殺しにすればよかったのに」と書き込みがあった。

    ・事件を利用する動き
    2009年2月「赤報隊」と印字された紙、実弾がNHKに送りつけられる事件が発生した。6月鹿児島県と大分県の右翼団体には「赤報隊 りようしてください」と印字された紙が郵送された。両者は文字の特徴が似ていて、同一人物の可能性が高いと見て捜査中。事務所関係者は「こういう手紙に自分自身が動くと思われたこと自体に腹が立つ。民族運動を志す者であれば、堂々と顔が見える運動をしてほしい」と話している。消印は名古屋市中村局。

    メディアの決意


    2003年2月中旬、朝日新聞は一連の襲撃事件について在京、兵庫・静岡両県の新聞・通信社、テレビ局に事件をどう見ているかアンケートを実施した。
    質問項目は以下のものである。
    阪神支局事件を知った時に、どんなことを感じたか
    一連の事件は報道に影響を与えたか
    報道の自由をめぐる社会の状況はよくなったか
    この15年間に、取材や報道が原因で社員が暴力を受けたり、過激な抗議や嫌がらせを受けたりしたことはあるか
    言論の自由を圧殺するような動きに、どう対応したらいいか
    「言論の自由を圧殺する動きに、どう対応しますか」の回答は以下の通り。
    読売新聞
    紙面を通し世論に訴えかけていくべきだと考える。
    毎日新聞
    言論抑圧にも、脅しにも、決してひるまずに果敢に戦うことに尽きる。
    産経新聞
    新聞倫理綱領の理念にのっとり毅然と対処すべきだ。命をかけてペンの力を信じて書き続ける。
    東京新聞
    報道圧殺の動きはオープンにしながら、しっかり対応すべきだ。
    神戸新聞
    警戒すべきはテロといった明確な形のものだけではない。不断の自問自答と努力も続けなければ。
    静岡新聞
    言論には言論で対処。断固、戦う姿勢を貫きたい。
    共同通信
    暴力で言論の自由を圧殺する動きには、ペンで断固戦うべきだ。
    時事通信
    報道の自由を奪う動きは自ら明らかにし、読者の理解と支持を求める。
    TBS
    毅然とした態度でそうした事実を報道するとともに、連携し積極的に声を上げる。
    フジテレビ
    報道の自由は民主主義の砦。決して許せないという毅然たる態度で臨む。
    テレビ朝日
    報道機関は団結し許さない態度が必要。報道機関は自分の媒体でも視聴者にアピールしていくべきだ。
    テレビ東京
    言論によってのみ対峙できる。報道活動を強くするしかない[27]。

    週刊誌などの情報


    週刊文春
    有田芳生が「赤報隊と統一教会を結ぶ点と線」と報道(1997年5月15日号)。
    警察庁幹部は「事件の動機、物証などの捜査から、視野に入れている個人や組織が存在する。右翼団体とある宗教団体周辺が捜査のタ-ゲット」と話す。
    捜査の対象として右翼と同じくらいの比重で統一教会の周辺にも向けてきた。
    捜査幹部は統一教会への最大の疑問として「宗教団体の信者による銃砲店の経営」を挙げた。
    オウム真理教の起こした事件で「宗教団体に対する認識が変わった」。
    「朝日銃撃『赤報隊事件』絞り込まれた九人の『容疑者』」を報道(2001年2月9日号)。
    不思議ナックルズ
    赤報隊の正体を「右翼の大物、財界の大物関係者、そして裏社会の面々が連なる禁断の系譜」と報道(vol.10 2007年4月)。
    赤報隊は右翼ではない。しかし、あれだけの犯罪をやってのけながら時効まで逃げ切る以上、右翼マニアの素人でもない。戦闘能力を持った組織の犯行で、それもかなり大きな背景を持っている(戦後大物右翼の系譜を引き継ぐ活動家A氏の話)。
    大きな背景として、宗教団体、警察、暴力団、政治家を挙げ、宗教団体犯行説(統一教会)はリクルートを統一教会が狙う理由はないことで否定。
    警察内部犯行説を「警察も事件そのものは作らない」(公安関係者)として否定。
    赤報隊の活動期間と竹下登経世会旗揚げ、総理就任・退陣までの期間とほぼ一致している。
    2006年10月19日、元公安調査庁調査第二部長の菅沼光弘が外国人特派員協会で講演し、皇民党事件の背後に``ある組織``の存在があったことに言及した。この組織を辿ると赤報隊の正体が見えてくる。「右翼の大物、財界の大物関係者、そして裏社会の面々が連なる禁断の系譜」としている。
    サンデー毎日
    「これが116号犯の「顔」だ!未公開似顔絵、捜査独占資料入手」(1997年5月11・18日合併号)
    サンデー毎日(1997年5月11・18日合併号)によると、以下の事柄を挙げている。
    捜査報告書「動機」
    以前いた記者を含め、阪神支局員全員が書いた記事の中で、動機につながるものがないか、事件の一年余り前から点検していったほか、他社の新聞記事との比較、取材上のトラブルの有無、取材相手の散弾銃の所有、動機・アリバイの有無などを捜査しているが、現在までに特異なケースは見られなかった。
    1988年5月10日、東京都内の半蔵門会館で全国刑事部長会議が開かれ、警察庁捜査一課長は「ブツ」の捜査状況を報告、捜査方針について「赤報隊の犯行声明を見ると、戦後の民主体制に反感を抱いていることがうかがわれる。何らかの右翼思想に共鳴する者が、一味に加わっていることが推測される。右翼関係者の捜査、本件を敢行しそうな者に対する情報収集の強化」を指示した。
    週刊新潮
    赤報隊の犯人を名乗る者の手記を週刊新潮が掲載(2009年2月5日号~2月26日号)。
    一橋文哉『「赤報隊」の正体』
    一橋文哉が月刊誌『新潮45』の記事(2000年5月号~2000年7月号)をもとに執筆した。 以下の理由で不審人物と判断している。
    「真田茂(仮名)」は、父親の影響(神道系宗教)で右翼思想を持つ。
    子供の時から父親に赤報隊について聞かされていた。
    銃マニア(中学時代から)で、銃を改造する知識・技術を持つ。
    朝日新聞を「反日分子」と攻撃する右翼団体と関係深い会社で働く。
    目撃された犯人像と似る(目が細く、吊り上がり、身長165cm前後)。
    衣服(神道系宗教儀式で使用)の布地が、犯行声明が入った封筒に付着した繊維片に似る。
    朝日新聞社116号事件取材班は、『「赤報隊」の正体』の「推論」に否定的である。

    関連年表


    1984年:「スパイ防止法制定促進議員・有識者懇談会」発足
    1985年6月:自民党、国家秘密法案を国会提出
    1985年8月15日:中曽根首相、靖国神社公式参拝
    1985年8月16日:朝日新聞、社説で首相の靖国神社公式参拝の反対表明
    1986年5月:朝日新聞、高校教科書『新編日本史』を「復古調の日本史教科書」と報道
    1986年7月:『新編日本史』検定合格
    1986年8月15日:中曽根首相、参拝見送り
    1986年9月8日:藤尾正行文相罷免
    1986年10月:朝日新聞、国家秘密法報道を本格化
    1986年12月:東京本社前で国家秘密法報道の批判演説、「朝日の赤い疑惑」ビラまかれる
    1987年1月:連日東京本社前で朝日新聞記事の抗議演説
    1987年1月24日:東京本社銃撃事件
    1987年1月27日:「赤報隊」名で共同通信・時事通信に犯行声明が届く
    1987年5月3日:阪神支局襲撃事件
    1987年5月13日:中曽根首相、国家秘密法案の国会提出見合わせを示唆
    1987年8月15日:中曽根首相、参拝見送り
    1987年9月24日:名古屋本社寮襲撃事件
    1988年3月11日:静岡支局爆破未遂事件、中曽根前首相と竹下首相に脅迫状
    1988年8月10日:元リクルート会長宅銃撃事件
    1990年5月17日:愛知韓国人会館放火事件
    2001年4月:『新しい歴史教科書』が検定合格
    2001年5月:朝日新聞、「15年目の報告」連載開始
    2002年5月3日:阪神支局事件の公訴時効成立
    2003年3月11日:静岡支局爆破未遂事件の公訴時効成立
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