あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
    DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。
    ] page top
    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 2009年
    【#107】浜松市麻雀店放火殺人事件
    浜松市麻雀店放火殺人事件(はままつしマージャンてんほうかさつじんじけん)とは2009年11月に発生した殺人事件。

    概要


    2009年11月17日 午前3時半ごろ、静岡県浜松市中区高丘東の麻雀店「金ちゃん」から出火し全焼。男性4人が負傷し病院に搬送されたものの、そのうち1人が避難する際に頭を打ち、脳挫傷で死亡。現場からは男性客3人の焼死体が見つかった。
    その後の浜松中央署捜査本部の調査によると、火元と見られる1階中央部に設置されていたストーブや電気配線の点検はしたものの、出火当時は設置されていたストーブは使用されておらず、火の気がなかったために、放火の疑いで調べており、捜査本部は「出火直前まで火の気がなく、火の回りも早かった。」と発表している。[1] さらに出火当時は、1階正面玄関は施錠されており、裏口からのみ出入り可能だったという。出火直前の午前3時ごろに2階にいた従業員が当時無人だった1階の扉の開閉する音を聞いていた。[1]
    一方で出火の約1時間前の午前2時半頃に、3人組の男が黒い乗用車を出火した麻雀店付近の駐車場にエンジンをかけたまま駐車し、近くの飲食店と出火した麻雀店を2回往復しているのを近所の人が目撃している。現場近くは深夜から未明までは人通りが少ないので不思議に感じたという。[2]
    スポンサーサイト
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1990年
    【#93】長崎屋火災
    長崎屋火災(ながさきやかさい)は、1990年兵庫県尼崎市のスーパーマーケット、長崎屋で発生した火災。「尼崎スーパー火災」、「長崎屋尼崎店火災」などとも呼称される。

    概要


    1990年3月18日午後0時30分頃、神田中通4丁目(中央四番街)にある長崎屋尼崎店で、4階インテリア売場に展示されていたカーテンから火の手が上がっているのを同階寝具売り場にいた女性が発見する。他の店員らと共に消火器や屋内消火栓設備による初期消火を試みるもいずれも猛火と猛煙の前に断念。
    この頃5階事務室より119番通報がなされ、およそ10分前後で消防隊が現着するが、既に4階は全て炎に包まれていたという。 4階及び3階にいた客は従業員らの誘導で無事避難を完了するが、上階の5階にいた客や従業員22名が逃げ遅れ取り残されてしまう。防火扉の閉鎖がなされず、猛煙は容赦なく上階へ拡散していった。
    逃げ遅れた者のうち、階段での避難に成功した1名と事務室や従業員食堂の窓から4名が救助され、さらに窓から飛び降りた2名は重傷を負ったものの救助されるが、死者15名、重軽傷者6名を出す惨事となった。死者の15名は従業員食堂で煙に巻かれたことにより命を落としてしまった。

    要因


    惨事となったビル火災に共通する、複数の要因があげられている。
    階段や防火扉の前など、ビル内の避難通路に商品の入った段ボールを積み上げていた(バブル経済による在庫確保最優先が背景にあったと見られる)。
    普段から火災報知器の誤作動が多発していたため、従業員の初動対応が遅れ、初期消火に失敗した。
    大量の化学繊維が燃焼し一酸化炭素やシアン化水素などの有毒ガスが発生、犠牲者はすべて焼死ではなく中毒死によるものだった。
    出火したのは4階だったが、犠牲者全員が発見された5階は全く延焼を受けていなかった。火の手自体よりも有毒ガスの回りが極めて速かったことが多くの犠牲者を出す原因となった。
    なお、5階にあった放送室は密閉されていたため有毒ガスの影響を受けず、中にいた従業員も助かっている他、窓から飛び降りた人はすべて助かっている。

    その後


    尼崎店は火災発生後無期限休業し、そのまま営業再開することなく閉鎖され、翌年建物も解体された。その後は長らく更地となっていたが、2004年に跡地にマンションが建設されている。
    1993年、防火対策を怠ったとして、元店長ら2人に業務上過失致死傷罪で有罪の判決が下された。
    火の気のないカーテン売場から出火していたことなどから原因は不審火だが、有力な手がかりのないまま2005年に公訴時効を迎えた。
    この火災は10年後(2000年)の長崎屋倒産の遠因ともなった。
    また、尼崎中央商店街では毎年3月18日を防災の日として消防訓練を行うようになった。

    その他


    テレビ中継で、煙の吹き出す窓際で梯子車による救出を待っていた人が急に姿を消した(火災の煙中毒により立っていられなくなった為)。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1970年
    【#91】豊橋事件
    豊橋事件(とよはしじけん)とは1970年(昭和45年)に愛知県豊橋市で発生した、強姦放火殺人事件とそれに伴う冤罪事件。

    概要


    1970年(昭和45年)5月15日、豊橋市で起こった火災現場で、親子3名の他殺体が発見された。母親は何者かに強姦された上で殺害され、子供2人は放火されたために焼死していたという、残酷極まりない犯行であった。

    被疑者


    3ヵ月後の8月28日、被疑者として21歳(当時)の男性が逮捕され、9月には強姦致死・殺人放火・窃盗で起訴された。11月に行われた初公判では容疑を認めたが、翌年3月に行われた2回目公判からは否認に転じた。最初の時点では、「極刑が予想される恐怖から、態度を変えた」と思われていた。

    裁判


    被告人の男性の無罪の訴えに対し、私選弁護人3人も無罪の論陣を張った。
    1973年12月に行われた公判では、捜査時の刑事(当時は定年退職していた)を弁護側の証人として招聘することに成功した。元刑事は、「被告人が真犯人であるとの疑念は消えない」と証言したが、「捜査が物証に基づかないものであった」と批判した。
    検察側は、「被告人の無罪を証明する、明白な証拠」を持っていた(後述)が、公判では隠匿し、死刑を求刑していた。しかし、被告側が「捜査本部が冤罪を作り上げた過程」を証明したため、1974年6月12日に無罪判決が宣告され、そのまま確定した。
    以上のように、「犯人として逮捕された人物」が、新聞記者や現職の警官の活躍により冤罪事件であったことが裁判で認められ、一審で無罪判決が確定した。真犯人が逮捕されないまま1985年に公訴時効を迎え、未解決事件となっている。
    物証の隠蔽 [編集]
    無罪確定から5年後、物証が明るみに出た。「犯人のものと思われる、B型の精液が付いたサルマタ」が、現場から発見されていたのである。
    当初、捜査機関は「家族の夫のもの」と弁解していた。しかし、被害者の夫は非分泌型の血液型のため、被害者の夫の精液であれば血液型が判明するはずがなかった。被疑者の血液型はA型であったため、無罪の証明となった。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1984年
    【#59】自由民主党本部放火襲撃事件
    自由民主党本部放火襲撃事件(じゆうみんしゅとうほんぶほうかしゅうげきじけん)とは、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射車によって自由民主党の本部ビルに放火した事件である。

    概要


    1984年9月19日午後7時半ごろ、東京都千代田区永田町にある自民党本部裏の中華料理店駐車場に2台の小型トラックが停車した。このトラックは某宅急便会社の配達車に偽造しており、30歳前後の運転手の男が店員に「お届けに参りました。印鑑をお願いします」といわれ、店員が奥に印鑑を取りに行っている間に、トラックの荷台から火炎放射器が自民党本部北側3階に向けて火炎放射した。犯人らはライトバンで逃走し、その後車ごと作業服とともに焼き捨てる証拠隠滅を図っていた。
    止められていた偽造ナンバープレートのトラックの荷台には火炎放射器が隠されており、プロパンガスの入った高圧ガスの圧搾空気が可燃性の液体を噴射し、それに着火した火炎が自在に角度を変えることができるシステムになっていた。この火炎放射器によって発生した火災により、自民党本部の北側3階から7階が類焼し、党事務局や会議室など約520平方mが焼失した。
    折しも、自民党総裁選挙を控えており、2階にあった自民党党員の選挙人名簿などの書類を搬出するために党所属の国会議員まで駆け付けるなど騒然とした。被害額は10億円にも及んだ。なお自民党本部へは火炎瓶が投げ込まれたり、発火装置を玄関に置かれたことはあったが、放火されたのははじめてであった。
    この事件現場で、法務大臣の住栄作が、消火活動に当たっていた衆議院議員の浜田幸一を見て、「マッチポンプな真似しやがって」と発言し、その場で浜田に殴打された(法相殴打事件)。後日、住は浜田に不明を詫びたという。

    犯人グループ


    事件直後に一部報道機関に「救国霊団」を名乗る男から「戦後ポツダム体制に対する報復である。昭和維新断行万歳」と新右翼のような電話があったが、これは偽装工作と見られている。また事件直後には警察無線を妨害する電波が付近に出されており、警察の連絡がつきにくかった。その後、報道機関に中核派を名乗る男から犯行声明が出されているため、警察は中核派の実働部隊である「人民革命軍」が自民党本部を放火襲撃したと断定した。事件の翌日午前には法政大学と横浜国立大学の構内で中核派が犯行を認めるビラをばら撒いていたことから、この事件への中核派の関与は確実であるとされた。
    犯行声明によれば、新東京国際空港(現・成田国際空港)の第2期工事阻止のための武装闘争であるとしており、用意周到に準備された犯行であった。なお中核派はその後も成田空港関連施設に対するテロを実行した。

    裁判


    犯行グループを中核派と断定し、捜査機関は中核派の根城になっている前進社など捜索したが、実行犯を割り出すことは難航した。被疑者として中核派活動家の男性F(逮捕時40歳)を1985年4月28日に逮捕し、一人を指名手配(逮捕できず)し、1987年1月に主犯としてY(逮捕時37歳)を逮捕したが、Yについては放火事件への関与を実証するだけの証拠を得られず処分保留で釈放[1]されている。
    Fは実行犯の逃走を手助けした放火の共謀共同正犯として起訴されたが、Fは事件当日のアリバイがあると無罪を主張し裁判は紛糾した。検察の冒頭陳述によれば、Fは実行犯の逃走を手助けし、火炎放射器製造の準備をしたと主張したが、具体的な役割を特定しなかった。これはFの自白が得られなかったこともあるが、検察が有罪とする証拠は前者は現場近くで警察官が逃走車とみられるライトバンの助手席にFを見たという目撃証言、後者は8月2日にFに似た男が大量の圧力調節器を購入していたという電気店の従業員の証言が、唯一の有罪証拠であった。それに対しFは事件当日は埼玉県で開催されていた学習会に出席しておりホテルに宿泊していたとして、ホテルの領収書と宿泊者名簿を証拠としていた。
    東京地方裁判所は、1991年2月になって放火という重大犯罪にもかかわらず保証金1500万円でFの保釈を認め[2]。、3月には検察側の抗告を退けた。その理由として「検察はFがいつどこでだれと放火を共謀したか十分実証していない」というものであった[3]。。
    検察はFに懲役10年を求刑したが、1991年6月27日に一審判決は無罪を言い渡した[4]。その理由として電気店の従業員の証言は信用できるが、購入した部品が犯行に使われたという証拠がなく、警官の証言は暗闇の中でFと認識できたのか疑問とした。その一方でFのアリバイを「不自然、不都合な点も少なくないが、虚偽とはいえない」として成立するとした。
    検察は「事実誤認」として控訴したが、二審の東京高等裁判所は1994年12月2日に自白も物証もなく、目撃証言で有罪とする事実認定はできないとして棄却[5]。し、検察は上告しなかった為12月16日にFの無罪は確定した[6]。そのため、中核派の関与は確実であるが、中華料理店の従業員に話しかけた人物以下の実行犯を特定することが出来ず、1999年に公訴時効が成立した。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 2000年
    【#58】寂光院放火事件
    寂光院放火事件(じゃっこういんほうかじけん)とは、2000年5月に京都府京都市左京区大原にある天台宗の尼寺寂光院の本堂が、放火されて全焼した事件である。
    2007年5月に非現住建造物等放火罪の公訴時効(7年)を迎えた未解決事件

    概要


    2000年5月9日 未明、寂光院本堂から出火し全焼。全焼した本堂には人は住んでおらず、また西側の縁側からプラスチック製容器の燃えかすと灯油が検出されたことから、京都府警は放火と断定した。
    本堂に安置されていた重要文化財の木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代初期の作とされている)も焼損した。なお、この被災した木像は劣化を防ぐために3年がかりで樹脂を塗られ、収蔵庫に保管された上で、重要文化財指定も継続されている[1]。
    京都府警捜査1課と下鴨署の特別捜査班が、周辺住民や民宿の宿泊客、寺の関係者らへの聞き込み調査を続けて不審者約160人を抽出するものの、具体的な犯人像や犯行目的を絞りきれず、未明の山中の火災だったこともあり、有力な情報を得られないまま、公訴時効を迎えるに至った。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    copyright © あんくり all rights reserved.powered by FC2ブログ.  template by レトロメカニカ.
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。