あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1946年
    【#89】富坂警察署襲撃事件
    富坂警察署襲撃事件(とみさかけいさつしょしゅうげきじけん)とは、1946年(昭和21年)1月3日に東京都小石川区(現・文京区)で発生した暴動事件である。

    事件の発端


    1945年12月30日、警視庁富坂警察署は管内で発生していた連続拳銃強盗事件の容疑者として在日朝鮮人3人を逮捕した。 当時の富坂警察署は戦災で焼失しており、小石川国民学校の校舎を間借りしている状態であったため、3人の容疑者は警視庁本部と大塚警察署の留置場にそれぞれ留置されていた。
    翌年1946年1月2日、容疑者のひとりを富坂警察署へ護送して取り調べた後、署内の留置場に留置した。

    概要


    1946年1月3日正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。 連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。
    危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれてしまった。
    交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。 在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出した。
    その後在日朝鮮人たちは、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した。

    その後の顛末


    警視庁は、全力をあげて事件の捜査にあたったが、終戦直後の混乱もあって検挙には至らなかった。
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1994年
    【#79】チマチョゴリ切り裂き事件
    チマチョゴリ切り裂き事件(ちまちょごりきりさきじけん)は、日本で1994年5月から同6月にかけて報道された、朝鮮学校の女子生徒のチマチョゴリが登校中に切り裂かれたとされている一連の事件。

    被害状況


    警察に被害届けが出されたのは22件だが、朝鮮総連は被害数124件と主張している。22件中12件が登下校中に女子生徒が衣服を切られたという件、8件が暴行及び傷害事件、窃盗と強制わいせつ事件が各1件である。検挙された事件のうち、一件は性犯罪、もう一件は中学生同士の喧嘩として、政治的背景はないと警察はみなした。

    事件の背景と評価


    事件が発生した頃は北朝鮮による核開発疑惑をめぐって朝鮮半島情勢が緊迫し、世論の批判が高まっていた時期である。朝鮮総連は犯行の意図について政治的背景による影響を指摘したが、犯行声明が無いなど組織的な犯行の根拠もなく、犯人自体の検挙実績も少ないことから事件の政治的・民族的憎悪の背景は認められていない。そのため、類似する犯罪である成人式等における和服への切り裂き行為、および類型的な痴漢や暴行行為と比べた際、特別に政治的・民族的な憎悪を背景に持つ犯行であるとは断定できない。
    以上の背景から、朝鮮人を迫害するという意図を持った行為であると主張する事で同情票を集め、より問題性の有る北朝鮮とその支持勢力である朝鮮総連に対する核疑惑の批判を回避、軽減する為の「自作自演」の可能性を指摘し、「朝鮮総連による政治的キャンペーン」と主張する記者が存在する。ジャーナリストの金武義は、「女子生徒は在日の広告塔か」と問題提起した。

    事件後の動き


    朝鮮総連などは、この事件は核開発や、ミサイル発射など政治的抗議を背景とする在日朝鮮人児童・生徒に対する嫌がらせだと日本政府に抗議した。
    日本政府は、朝鮮総連の抗議に対して、いかなる思想信条を持っても憲法によりその自由は保障されるが、それを超えて刑法犯罪にいたった場合は、以前より厳重にとりしまりをおこなっていると表明し、思想犯としての取締りを拒絶している[要出典]。また、政府は人種差別撤廃条約に関連してこの事件に言及した。
    日本全国の朝鮮学校ではこの事件をきっかけに「第二制服」が作られた。いわゆる普通の制服(ブレザー)である。ほとんどの学校で「第二制服」が着用されている。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1968年
    【#60】首都圏女性連続殺人事件
    首都圏女性連続殺人事件(しゅとけんじょせいれんぞくさつじんじけん)とは1968年から1974年にかけて首都圏で発生した連続女性暴行殺人事件。

    概要


    1968年から1974年にかけて千葉県埼玉県東京都で連続女性暴行殺人事件が発生。内容は1人暮らしの女性が深夜、強姦されたうえで殺害されるという事件が11件起こっていた。被害者の大半は20代で、現場に残されていた加害者とされる血液型がO型の事件が多かったこと、殺害方法は暴行焼殺9件、暴行穴埋め2件と、同一犯によるものという見方が強かった。
    その内、いくつかの事件現場で目撃情報があったこと、14回もある逮捕歴に放火や暴行の前科があったこと、血液型O型だった小野悦男が松戸市の1殺人事件で、逮捕・起訴された。他の事件でも小野悦男と結びつける状況証拠があったことで、マスコミが首都圏女性連続殺人事件の犯人視扱いにする報道を展開した。ただ、加害者の血液型はO型ではない事件もあり、狙われた女性も年代にもばらつきがあるため、首都圏女性連続殺人事件の11件全てを「同一犯によるもの」とまとめるのは疑問が残っていた。実際に葛飾区の1事件で小野悦男とは別の人間が真犯人と判明して解決している。
    裁判では捜査機関が自白強要したことが問題視され、小野悦男は無罪となった。

    一連の事件


    1968年7月13日、足立区の空き地で26歳のOLが暴行の上、焼殺された。事件の数日後、小野悦男が犯人だと密告電話が入るも、物証がないため逮捕断念。
    1973年1月26日、北区のアパートで就寝中の22歳のOLが絞殺され放火。事件発生2日前に事件現場近くを深夜、バールを持って歩いていた小野悦男が検挙された。
    同年2月13日、杉並区のアパートで放火事件。67歳の女性と22歳の男性焼死。
    1974年6月25日、松戸市在住の30歳の主婦が失踪。8月10日に同市内の造成地で絞殺体で発見。
    同年7月3日、千葉県松戸市の信金OL(19歳女性)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地より遺体が発見された(#松戸OL殺人事件)。
    同年7月10日、松戸市内のアパートで21歳の教師が暴行の上、焼殺された。現場近くで小野悦男が目撃された。その後、小野悦男が殺人罪で立件された。
    同年7月14日、葛飾区で48歳の料理店経営女性と58歳の店員女性が暴行された上、焼殺。後年、別の犯人が逮捕されて解決した唯一の事件。
    同年7月24日、草加市内のアパートで22歳の薬局店店員女性が暴行されて放火。東武伊勢崎線草加駅の始発電車に小野悦男に似た男性を駅員が目撃。しかも7月1日に小野悦男は現場の向かいのアパートに暴行目的で女性の部屋に侵入するも、騒がれて逃走していた。
    同年8月6日、足立区内にある42歳の会社員男性宅に侵入して、24歳のOLが暴行された上、焼殺。小野悦男によく似た男が現場から逃走する姿が目撃されている。また小野悦男は1年前に会社員宅に侵入していたことが判明。
    同年8月9日、志木市内のアパートで21歳のOLが暴行の上、焼殺された。犯人の血液型がA型またはAB型であり、小野悦男と同じO型でないことが判明。


    松戸OL殺人事件


    1974年7月3日、千葉県松戸市の信金OL(19歳女性)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地より遺体が発見された。
    首都圏連続女性暴行殺人事件が発生していたが、どれも犯人を確定する物証が乏しく、多くの事件で目撃情報などが寄せられていた足立区の小野悦男(当時38歳)のほかに、数百人の人間がリストアップされていた。
    同年7月10日に事件現場の付近で発生した女性暴行未遂事件現場から発見された足跡の一致、信金OLの遺体から検出された犯人の血液型がO型だったことから、小野悦男を犯人と特定、9月12日に窃盗の別件逮捕に踏み切り、殺人容疑で再逮捕する。殺人容疑逮捕時、マスコミが連続女性暴行殺人事件の犯人であると誤報。その後、検察が殺人事件としては松戸事件の1件しか起訴されなくても、連続女性殺人事件の犯人であるかのような報道を続けた。これが後の冤罪支援運動の火種となる。
    逮捕後、物証能力に乏しいと判断した地検はいったん小野悦男を釈放するも、警察は小野悦男の自白によって被害者の所有物が発見できたことや、犯人と小野悦男の類似性(血液型や毛髪など)を強調して再逮捕。1975年3月12日、小野悦男を信金OL殺人で起訴。この起訴と時を同じくして、小野悦男の冤罪支援運動のため文化人、宗教関係者、弁護士らが「小野悦男さん救援会」を結成。小野悦男の弁護人を担当した野崎研二は代用監獄など自白の信用性そのものを突き崩す弁護戦略を行った。
    1986年9月4日、千葉地裁松戸支部で無期懲役判決。
    1991年4月23日、東京高裁で松戸市の殺人事件において、自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、松戸市殺人事件の無罪が確定した。別件の窃盗罪と婦女暴行で懲役6年判決が出ていたが、未決勾留日数が参入されたため刑務所に服役することはなかった。16年ぶりの釈放であった。未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を差し引いた3871日を対象として総額約3650万円が小野に支給された。

    その後


    1991年に無罪が確定した小野悦男は代用監獄や自白偏重捜査を批判する冤罪のヒーローとして冤罪被害の集会などで講演をしていたが、1992年に窃盗を働いたため2年間服役した。出所後の1996年に足立区首なし女性焼殺事件で41歳女性を殺した殺人犯として逮捕された。松戸事件とは違い決定的な証拠を警察から突きつけられたため、小野悦男は犯行を認め、1999年に裁判で無期懲役が確定した。

    連続女性殺人事件の真相


    首都圏女性連続事件に関しては、後に1件だけ犯人が逮捕されて解決するも、他10事件は全て公訴時効を迎えて未解決事件となった。
    小野悦男が1996年の足立区の殺人事件の犯人と判明して以降、殺人罪で立件された松戸事件を初め、他の首都圏女性連続殺人事件も小野悦男が関与した事件もあったのではないかという疑念が再度浮上した。立件された松戸事件の犯人については、小野の自供によって被害者の遺留品が発見されたため犯人しか知りえない秘密の暴露に該当するため小野悦男が犯人であるとするか、警察があらかじめ発見した遺留品を小野に拷問で自白をした後で発見された証拠であり警察の捏造した証拠を持って小野悦男が犯人ではないとするかで、意見が分かれている。なお足立区の殺人事件が発覚後、松戸事件の小野の弁護人だった野崎は「弁護人としては当時口が裂けても言えなかったが、(松戸事件の)一審の途中から小野を疑い始めていた」と告白している。
    小野悦男自身は足立区の殺人事件の犯人と判明して以降も、松戸事件を含めた首都圏女性連続殺人事件に関与していないと無実を主張している。
    なお、松戸事件は仮に時効がなかったとしても、一事不再理という刑事原則により、小野悦男に対して刑事事件で再審理は行うことができない。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1969年
    【#45】江東区小5女児誘拐殺人事件
    江東区小5女児誘拐殺人事件(こうとうくしょうごじょじゆうかいさつじんじけん)は、1969年5月に発生した殺人事件。

    概要


    1969年5月31日に東京都江東区に住む小学5年生の女児【名字不明】恵美子ちゃん(当時10歳)が若い男に車で連れ去られる事件が発生。3日後の6月3日に同区の埋立地で他殺体となって発見された。恵美子ちゃんは乱暴された形跡があり、死因は首を絞められたことによる窒息死だった。
    誘拐発覚から遺体発見までの間は報道管制が引かれていた。目撃された車がライトバンになったり、日産・サニーやマツダ・ファミリアになるなどして、捜査は迷走した。
    4300人の捜査員を投入したものの、犯人に行き着くことなく1984年5月30日に時効が成立した。
    この事件については、朝日新聞などで「犯人は内気な性格」「事件は性的虐待目的」などと言った推測が発表された。
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