あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
    DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。
    ] page top
    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 2005年
    【#88】栃木小1女児殺害事件
    栃木小1女児殺害事件(とちぎしょういちじょじさつがいじけん)は、2005年12月に、栃木県今市市(現・日光市)に住む小学1年生(7)の女児が行方不明となり、茨城県常陸大宮市の山林で刺殺体となって発見された事件。

    捜索状況


    2005年12月1日
    栃木県今市市(現・日光市)の市立大沢小学校に通う小学1年生の女児が、下校途中に行方不明となった。
    家族が駐在所に捜索願を提出した。捜索が開始されたが、発見に至らなかった。
    12月2日
    栃木県警が、公開捜査を開始。
    自宅から60kmも離れた茨城県常陸大宮市の山林で、遺体が発見される。遺棄現場周辺は人通りが少なく、人目につかない場所であった。
    死体発見以降
    胸を数カ所刺されていたことなどから、栃木県警は殺人と断定、県境を跨いだことから茨城県警との合同捜査本部が設置され、捜査が開始された。
    女児のランドセルや衣服などの遺留品が見当たらず、捜索が行われたが、見つかったという報道はない。
    連れ去り現場・遺体遺棄現場周辺などでの聞き込みや、学校からの情報提供で、多くの不審者情報が寄せられたものの、有力な情報には乏しい。
    今市市から常陸大宮市へ至るルートにあたる国道293号や国道123号、日光宇都宮道路では、検問やコンビニエンスストア・ICの料金所の防犯カメラ・監視カメラの映像チェックなども行われたが、それらしい人物や車は撮影されていなかった。
    両県警は、フリーダイヤルを設置し、電話での情報提供を呼びかけている。また、配布されたポスター・チラシは両県内はじめ、多くの駅やショッピングセンターなどに貼られている。2006年8月1日より、犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられている。

    経過


    2005年12月1日
    女児が下校途中に行方不明。近くの駐在所に家族が捜索願。捜索開始。
    12月2日
    公開捜査開始。茨城県常陸大宮市の山林で遺体で発見される。両県警が合同捜査開始。
    12月3日
    女児が通っていた小学校で緊急の保護者会。児童は車での送り迎えへ。
    12月6日
    女児の告別式。
    12月7日
    両親が、初めて遺棄現場へ。
    今市市教育委員会が、公立小中学校への児童・生徒の携帯電話持ち込み解禁。
    12月8日
    女児の通っていた小学校で、集団登校が再開。
    国道293号や国道123号などで一斉検問。
    12月10日
    両県警が、情報提供を呼びかけるポスターとチラシ一万枚を作成。首都圏内はじめ、関東地方から東北地方にかけての広い範囲に配布。
    12月11日
    両県警が初めての合同捜査会議。
    2006年1月28日
    沓掛哲男国家公安委員長が、連れ去り現場を視察。
    8月1日
    犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられる。
    11月2日
    週刊新潮が、「警察が8月頃に秋葉原に潜入捜査を行い、フィギュア愛好家のリストを作成しようとした」ことを報道。

    事件による影響


    先に発生した広島小1女児殺害事件とともに、子どもの安全への関心がより一層高まり、子ども自身や通学路の安全確保などへさまざまな影響があった。特に広島市の事件の犯人が逮捕された直後に同様の事件が発生したことの衝撃は大きく、事件が発生した栃木県では県教育委員会が全県民に対し緊急アピールを行ったほか、防犯ブザーの再点検、通学路の見回りも強化された。茨城県では、インターネット上で、不審者情報を掲載する県警と県教委による掲示板がスタートし、県内の小・中・高から多くの情報が寄せられた。文部科学省は、「通学路への防犯カメラ設置を検討」した。

    報道


    事件発生から半年が経過した2006年5月末に、捜査担当者がマスメディアに対して「猟奇的なアダルトゲームやフィギュア愛好者による犯行の可能性が高い」と発言したことに対し、サブカルチャー愛好者から「確たる根拠も無く特定趣味者を犯罪者予備軍扱いするな」として批判が相次いだ。これは本事件を含め、平成時代に発生した女児の誘拐・殺害事件において、しばしば同様の報道が行われていたことも少なからず影響している。また、このような隔たった観点から作り出された犯人像に基づく初動捜査が、事件の解決を遅らせているのではないかと言う指摘もある。
    週刊新潮2006年11月9日号が報じたところによると、この事件の情報提供に懸賞金が掛けられたのと時を同じくして、警察は東京都千代田区外神田周辺のいわゆる秋葉原電気街に、数人の捜査員に「アキバ系」の扮装をさせて潜入捜査を行い、人形愛好家のリストの入手を試みたが、成果が出なかったとのことである。週刊新潮は「捜査関係者の談話」として、「犯人が被害女児の遺体を隠そうとせずに遺棄していたことから、犯人がフィギュア愛好家ではないかという見方が出た」ということを報じた。また北芝健は、『報道ステーション』のこの事件の特集にて「犯人はニートかフリーター」と発言している。
    田宮榮一はこの事件の犯人像を「犯人は20代から30代、もしくは40代から50代」と発言している。かなりアバウトな予測であり、わざわざ発言しなくてもよいとの批判がある。
    なお、2007年初頭には「DNAなどから犯人は男性」であるという報道がなされたが、情報を求めるポスターでは、それ以前から犯人を「冷酷で残忍な男」と断定していた(その根拠については不明である)。しかしその後、2009年になってこのDNAは当時の捜査関係者のものであることが判明したため、犯人が男性であると断定しうる根拠がなくなったためか、新しく作られたチラシから「男」の文字は除去されている[1]。
    スポンサーサイト
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1979年
    【#33】北関東連続幼女誘拐殺人事件
    北関東連続幼女誘拐殺人事件(きたかんとうれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは1979年以降、栃木県群馬県で発生している誘拐殺人事件である。

    概要


    1979年以降、北関東において幼女の誘拐事件が起きている。その内、栃木県群馬県の県境であり半径20キロ以内で発生した5事件がまとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされることが多い。
    事件の特徴として、誘拐または行方不明となったのが4歳から8歳までの女子児童である点、3事件においてパチンコ店が誘拐又は行方不明現場になっている点、3事件において河川敷での死体遺棄になっている点が共通点としてあげられている。5事件とも未解決事件となっている。
    日本テレビの報道特別番組『ACTION』で、記者の清水潔が「5件の事件は連続事件なのではないか」とする観点から2007年1月から報道を続けている。同番組では、「足利事件」の被疑者が1991年に逮捕されて身柄拘束中であるにも拘らず、その5年後に類似事件の「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし、逮捕された菅家利和氏は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。菅家氏のDNA再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ、真犯人と菅家氏のDNA型は一致せず釈放となった。

    一連の事件


    一連の事件の位置関係
    33_map


    1979年の殺人事件
    1979年8月3日、栃木県足利市の女児福島万弥ちゃん(当時5歳)が自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうちに行方不明となる事件が発生。6日後の8月9日、渡良瀬川近くでリュックサック詰めで全裸遺棄されている万弥ちゃんの遺体が発見された。リュックサックは市内の業者の特殊仕様によるもので数10個しか売られていなかった。
    また、行方不明になる直前にはトレパン姿の30歳ぐらいの男と話しているのを近所の主婦が目撃している。

    ・1984年の殺人事件
    1984年11月17日、栃木県足利市の女児長谷部有美ちゃん(当時5歳)がパチンコ店「大宇宙」から行方不明となる事件が発生。
    有美ちゃんは両親がパチンコをしているあいだ、店内や店の外で遊んでいたが、いつのまにか姿が見えなくなった。両親がいないことに気づいたのは午後6時ごろで、店の周囲を探し回ったが見つからず、足利署に届け出た。
    4日後、有美ちゃんの通う幼稚園に、有美ちゃんと見られる女児と40~50代ぐらいの男からの電話が入る。
    電話を受けたのは園長で、1回目は午後4時過ぎで、女児の声で「せんせい・・・」と言っただけで切れた。その3分後、再び電話が入り、女児は「せんせい、いま、こうせいびょういんにいる」と泣き声で訴え、続いて男が有美ちゃんの自宅の電話番号を聞いてきた。
    午後4時21分頃、今度は有美ちゃんの自宅に電話が入る。女児は「たすけてちょうだい」とか細い声で話し、父親が所在を問うと「佐野のこうせいびょういん」と答えた。
    通報を受けた足利署はすぐに佐野市の「佐野更生病院」、足利市の「更西病院」、さらに群馬県桐生市、館林市の厚生病院に捜査員を急行させたが、有美ちゃんの姿はなく、捜査本部は後にこれをイタズラ電話と断定している。

    1986年3月7日、有美ちゃん宅から1.7kmほど離れた同市大久保町の市立大久保小学校東側の畑で、飼い犬がさかんに土を掘ろうとするので、畑の所有者が掘ってみたところ、女児の衣類が見つかった。
    翌朝から捜査員がこの畑を発掘捜査してみると、他の衣類と子供の白骨死体が見つかり、これが有美ちゃんであることがわかった。

    ・1987年の殺人事件
    1987年9月15日、群馬県尾島町に住む小2女児大沢朋子ちゃん(当時8歳)が子猫を抱いて自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明に。翌年の11月27日、利根川河川敷で白骨死体の一部が発見された。
    詳細は「群馬小2女児殺害事件」を参照

    ・1990年の殺人事件
    1990年5月12日、栃木県足利市の女児松田真実ちゃん(当時4歳)がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。5月13日に渡良瀬川河川敷で全裸遺棄された真実ちゃんの遺体が発見された。1991年12月2日、DNA鑑定で犯人と同一人物だったことで同市内に住む幼稚園バスの運転手が逮捕され、2000年7月17日に無期懲役判決が確定。しかし、当時のDNA鑑定は精度が低いことが指摘され、2009年5月に再度DNA鑑定を実施した際に被疑者と犯人と同一人物ではないという結果が出たため、同年6月に刑が執行停止となり、釈放された。
    詳細は「足利事件」を参照

    ・1996年の失踪事件
    1996年7月7日、群馬県太田市の女児横山ゆかりちゃん(当時4歳)がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。この事件は女児の行方が発見されていないため、殺人事件ではなく失踪事件となっている。
    詳細は「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」を参照

    その他の未解決事件


    上記の5事件以外でも栃木県群馬県では幼女に関する未解決事件が発生している。
    ・1985年の失踪事件
     1985年10月10日午後1時半ごろ、栃木県日光市西小来川の母親の実家に帰省していた真岡市内に住む佐々木奈保子ちゃん(当時3歳)の行方がわからなくなった。奈保子ちゃん実家に一家5人で帰省し、魚釣りに行った姉と兄のあとを追って実家近くに流れる幅4メートル、深さ40センチの沢に向かったまま行方不明となる事件が発生。

     奈保子ちゃん一家は10日の正午ごろ実家に遊びに来た。午後1時半に長女(10歳)と長男(8歳)の後を追って沢に向かったところまでが確認されている。午後2時ごろ長女と長男が実家に戻ってきたときいなくなったことに父親が気付いて警察に通報した。
     警察では沢に転落して流された、山林に迷い込んだ、誰かに連れ去られたかの3つの可能性を考えて1200人体制で捜索したが見つからなかった。
     現場は日光市内であるが観光地とは無縁の山奥で外部の人はあまり訪れない。訪れるのは沢で渓流釣りを楽しむ人ぐらいだ。
     警察では沢に転落しても流されるような状況ではなく、事故であれば大規模な捜索で見つかるはずで、誘拐された可能性で捜査を続けたが、手がかりがなく「時効」を迎えている。

    ・1987年の誘拐殺人事件
    詳しくは「功明ちゃん誘拐殺人事件」を参照。ただし、被害者は、男の子である。

    ・2005年の殺人事件
    2005年12月1日、栃木県今市市(現日光市今市)木和田島、会社員、吉田正信さん(当時41歳)の二女で同市立大沢小1年、吉田有希(ゆき)ちゃん(同7歳)が下校途中に行方不明になり、同2日午後、約65キロ離れた茨城県常陸大宮市三美の山林内で胸を複数回刺された遺体で見つかった。
    詳細は「栃木小1女児殺害事件」を参照
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 2001年
    【#30】鹿沼市職員殺害事件
    鹿沼市職員殺害事件(かぬまししょくいんさつがいじけん)とは、2001年に廃棄物行政に絡み栃木県鹿沼市職員が帰宅中に拉致され、殺害された事件である。

    概要


    鹿沼市と産業廃棄物処理業者との癒着を正そうとした職員小佐々守さんが逆恨みされ、殺された。実行犯4人は逮捕されたが、犯行を依頼した産業廃棄物業者は、逮捕される前に自殺した。また、癒着に深く関わっていたと思われる鹿沼市幹部職員も自殺した。小佐々さんの遺体は発見されていないが、実行犯にはそれぞれ懲役14年~無期懲役の判決が確定している。
    この事件は、行政対象暴力が社会的に注目されるようになったきっかけと言われる事件である。

    経緯


    2001年10月31日夕方、鹿沼市市役所の環境対策部参事の男性職員小佐々さん(当時57)が、帰宅途中に行方不明となる。翌朝、自宅から200mほど離れた市道で小佐々さんの自転車、カバン、眼鏡などが散乱しているのが見つかる。何らかの事件に巻き込まれたと思われ、栃木県警に捜索願が出される。
    2003年2月6日、栃木県警は被害者を拉致監禁したとして、暴力団員の実行犯4人を逮捕する。また、犯行を依頼したとして廃棄物処理業者社長の逮捕状を取ったが、自殺しているのが見つかった。2月11日、この産業廃棄物処理業者社長と深く関わっていたと思われる市幹部職員が市役所の非常階段から自殺した。
    実行犯4人は小佐々さんを拉致した翌日、群馬県高崎市又は同県群馬郡榛名町周辺の山中で殺害したと自供するものの、県警の捜索でも遺体は発見できなかった。

    小佐々さんのメガネ
    30_megane

    小佐々さんの着衣、所持品等について


    ・スーツ上下
    紺色、無地で上衣内ポケットに「小佐々」の刺繍入り
    ・ベルト
    ダンヒル製、黒色革製、バックルが四角のいぶし銀、ベルトに穴がない
    ・靴
    リーガルカントリー、黒色本革、サイズ25.5cm
    ・携帯電話
    京セラ、銀色、製造番号IKYCC001778
    ・腕時計
    セイコー製、ザ・リーグ、金メッキ、文字盤白色、三針、ベルトは鎖で金メッキ
    ・名刺入れ
    黒色、革製、二つ折り、「小佐々守」の名刺入り

    現場地図
    30_map
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1990年
    【#4】足利事件
    足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児松田真実ちゃん(当時4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日-、同県出身)さんと、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、冤罪であったことが発覚。すぐに菅家さんは釈放され、その後の再審で無罪が確定した。

    菅家利和さん
    4_sugaya

    概要、経過


    事件発覚から逮捕まで
    1990年5月12日
    父親が足利市内のパチンコ店でパチンコをしている間に、同店駐車場から真実ちゃん(当時4歳)が行方不明になる。
    5月13日
    女児の他殺体が、渡良瀬川の河川敷から発見される。犯人は逃走。
    1991年12月2日
    同市内に住む菅家を、猥褻目的誘拐殺人の容疑で逮捕。
    逮捕の決め手は、「真実ちゃんの下着に付着していた体液のDNA型と菅家のDNA型とが一致した」こと。しかし、1991年の時点におけるDNA型鑑定の技術では、別人であっても1.2/1,000の確率でDNA型も血液型も一致する可能性があった。栃木県警察本部は、総勢180人余の捜査本部を設置し、捜査をしていた。
    取調べ、裁判
    菅家は警察や検察の取り調べ時に犯行を自白したが、第一審の途中(第6回公判)から否認に転じ、無罪を主張した。 当時、DNA鑑定(正しくはDNA型鑑定)は警察庁科学警察研究所に導入されたばかりであり、弁護側は「信頼性に疑問がある」としていた。
    1993年
    足利市内に住む西巻糸子氏が疑問を抱いて拘置所に手紙を出して面会を求めるが拒否される。最初の手紙から二ヶ月後に、菅家から「無罪」を訴える返事が来た。西巻は後に「菅家さんを支える会・栃木」代表、菅家の身元引受人となる。
    1993年7月7日
    宇都宮地方裁判所(久保真人裁判長)は菅家に無期懲役の判決。
    1996年5月9日
    東京高等裁判所(高木俊夫裁判長)が控訴棄却。
    1997年10月28日
    佐藤博史弁護士が押田鑑定書を添付して、DNA鑑定の再鑑定の申し立てをする。しかし、最高裁はこれを無視する。
    2000年7月17日
    最高裁判所(亀山継夫裁判長)が「DNA型鑑定の証拠能力を認める」初判断を示し、第一審の無期懲役判決が確定。千葉刑務所に服役した。
    再審請求とDNA再鑑定
    2002年12月25日
    収監された菅家が宇都宮地裁に対し、再審請求を申立てる。
    2008年1月
    日本テレビが、ニュース特集で足利事件のキャンペーン報道を開始する。自供の矛盾点やDNA鑑定の問題点などを指摘、DNA再鑑定の必要性を訴えた。その後も繰り返し放送を行う。記者は「桶川ストーカー殺人事件」などを取材してきた清水潔。
    2008年2月13日
    宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)は、菅家の再審請求を棄却。菅家は東京高裁に即時抗告した。
    2008年12月19日
    東京高裁(田中康郎裁判長)がDNA再鑑定を行うことを決定(逮捕から17年目に当たる)。
    2009年2月
    検察側と弁護側(顧問:佐藤博史弁護士他)のそれぞれが推薦した鑑定人2名が、DNA再鑑定を開始。
    2009年4月20日
    再鑑定の結果について、弁護側推薦の鑑定人は「不一致部分が多いため同一人物のものではない」とし、検察側推薦の鑑定人は「一致部分が非常に少ないため、同一人物のものではありえないと言っても過言ではない」とする鑑定結果を提出。東京高裁の嘱託鑑定で「菅家のDNA型と女児の下着に付着した体液の型が一致しない」という結果となった。
    高検はさらに「捜査中に誤って汗などが付着した可能性」についても検討するため、当時の捜査関係者との比較も行ったが、いずれも不一致となり、試料が正しく犯人のものであることも明らかとなった。これは真犯人を特定するための有力な証拠ともなるが、この時点で菅家の逮捕から17年以上が経過しており、既に公訴時効が成立。真犯人を逮捕・起訴できる機会は法的に失われた。
    2009年5月25日
    東京高裁の即時抗告審に鑑定書を提出していた筑波大学教授本田克也が鑑定書の改訂版を提出。
    釈放
    2009年6月1日
    弁護団が刑の執行停止をしない検察を不当だとして宇都宮地裁に異議申し立て。
    2009年6月4日
    鑑定結果を受けて、東京高検が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出し(事実上の再審開始決定)、併せて刑の執行を停止する手続きを取ったことにより、千葉刑務所に服役中の菅家が釈放される。刑事訴訟法では再審の開始前であっても検察官が刑の執行を停止できると定めており(第442条)、「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」とする判断に基づくものだが、極めて異例のことであり、東京高検は「再審開始前に刑の執行を停止した前例はない」としている。記者会見で菅家は「検察と栃木県警に謝罪してほしい」と涙ながらに語った。
    この事態を受け、栃木県警元幹部は「事件の捜査は妥当だった」「足利事件については思い出したくない」と語った。また、当時陣頭指揮を執った元刑事部長が「まだ無罪が確定したわけでは無く、自供も得ているし、(菅家が)犯人だと信じている」と報道陣に語ったところ、本人が運営するブログに批判のコメントが1000件以上も殺到し、そのブログが閉鎖される事態となった。
    栃木県警も当初「暴行や自白の強要はなかったとこれまでの裁判で認定されている」とコメントし、森法務大臣(当時)も取調べの可視化を求める声に「捜査に支障をきたす」としていたが、その一方で検察は最高検の次長検事が記者会見で謝罪するとともに東京高検に対して速やかに再審を開始し無罪判決を求めるよう指示。県警もこれに追従する形で本部長名で謝罪の談話を発表するに至り、同日、警察庁長官も遺憾の意を表明。その翌日には国家公安委員長も記者会見で謝罪した。
    2009年6月17日
    栃木県警本部を訪れた菅家が、県警本部長から直接謝罪を受けた後、記者会見し「本部長が謝っているのを見て考えが変わった。許す気になった。」と話した。
    2009年6月22日
    栃木県警は、警察庁長官賞をはじめ当事件に関わる過去の表彰をすべて自主的に返納したと発表した。栃木県警が、冤罪や不祥事を理由に過去の表彰を返納したのは初めてのことだという。
    2009年6月23日
    東京高裁(矢村宏裁判長)が再審開始を決定。
    2009年10月5日
    菅家が宇都宮地検を訪れ、検察側が初めて正式に謝罪。検事正幕田英雄が面会に応じて対面し、「無実の菅家さんを起訴して長年にわたって服役させ、苦痛を与えたことについて大変申し訳なく思います。検察を代表し、心から謝罪します」と口頭で直接述べた。これに対し、菅家は「これ以上、わたしと同じ苦しみが絶対あってはならない」と応じた。
    釈放後の記者会見で菅家は、当時の取調べの状況に対し「刑事達の責めが酷かったです。『証拠は挙がってるんだ、お前がやったんだろ』とか『早く吐いて楽になれ』と言われました。私は始終無実を主張していますが受け付けて貰えず『お前がやったんだ』と同じ事の繰り返しでした」と述べており、殴る蹴るの暴行のみならず、頭髪を引きずり回されたり体ごと突き飛ばされる等の拷問に等しい暴行が横行した取調べの時間は15時間近くにも及んでいる。取り調べた刑事達については「私は刑事達を許す気になれません。それは検察や裁判官も同じです。全員実名を挙げて、私の前で土下座させてやりたいです」とも述べた。
    再審
    2009年10月21日
    宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で再審公判が始まる。
    2010年1月21日
    再審第4回公判において取り調べ時の録音テープが再生される。
    2010年1月22日
    再審第5回公判において事件当時の担当検事・森川大司が証人として出廷。現在もなお菅家が真犯人であると思うかという弁護団からの質問には沈黙し、最後まで菅家に対する謝罪の言葉は一切なかった。
    2月12日
    再審第6回公判で検察側は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めた。論告に際して、検察官は裁判長に発言の許可を求めた上で「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪した。菅家はこの謝罪について公判後の記者会見で「17年半を思えば、1分少々(の論告)では物足りない。謝罪はあったが、1分少々では腹の底から謝ったとは思えない」と述べている。
    2010年3月24日
    菅家は再審の判決公判を間近に控え、東京新聞の取材に応じ、「しばらくは冤罪で苦しむ人を支える活動を優先させたい」と述べ、自分のような悲劇が繰り返されぬよう「冤罪の語り部になりたい」と誓った。
    2010年3月26日
    再審の判決公判で、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)は菅家に対し、「当時のDNA鑑定に証拠能力はなく、自白も虚偽であり、菅家さんが犯人でないことは誰の目にも明らか」と判示して無罪を言い渡した[17]。判決の言い渡し後、裁判長は菅家に対し、「真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半の長きにわたり自由を奪うことになりました。誠に申し訳なく思います」などと謝罪した。その後、宇都宮地検が上訴権放棄を宇都宮地裁に申し立てて受理されたため、無罪判決が即日確定した(一般には判決が言い渡されてから2週間以内であれば上訴が出来る)。

    その他


    菅家自身に前科・前歴はなかった(宇都宮地裁平成5年7月7日判決/刑集54巻6号670頁・判例タイムズ820号177頁)。
     事件発覚から菅家逮捕までの期間に、買い物途中の主婦をはじめゴルフ練習をしていた男性など複数の人物が、被害者の女の子を連れて歩く男性の姿を目撃しており、警察にも証言している。その男性は明らかに菅家と別人であったという。警察は当初、その証言に基づいた捜査をしていたが、前述の菅家の職場の上司から「菅家が怪しい」とする証言を得ると、他の目撃者の証言による捜査を突然打ち切った。その理由を警察は明らかにしていない。
    当事件発生当初に複数の目撃証言があったことが公に判明したきっかけは、前述の証言をした主婦やその他の目撃者、また菅家を支援する人物らによる告発であり、警察からの発表によるものではなかった。
    警察による菅家の任意同行は、令状の発行や掲示などの手続きがないまま行われた。
    警察が任意同行を求めた理由とされる菅家のDNAサンプルは、先に菅家宅のゴミから収集した体液の付いたティッシュから検出したものであるが、その収集についても令状や菅家本人の許可などの手続きがないまま無断で行われた可能性がある。
    群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。この事件を含め4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)が発生したが、いずれも未解決事件となっている。
    1997年のDNA再鑑定の請求から2005年の公訴時効成立までには、8年弱の時間があった。その間に司法がDNA再鑑定請求を認め、再審が行われていれば、その時点で菅家の無罪が確定し、事件の再捜査も可能だった点も指摘されている。この点について、毎日新聞は当事件のDNA再鑑定と再審を認めなかった最高裁の判事5名(当時)と宇都宮地裁の判事3名(当時)にコメントを求めたが、判事達は後述の通り全員が回答を拒否している。
    2009年6月にDNA再鑑定を受けて、検察側が菅家を釈放をした際、毎日新聞は、当事件の上告審の際に弁護団が求め続けていたDNA再鑑定を実施しなかったことの是非や、冤罪被害者に対する謝罪意思の有無、また当事件の公訴時効を裁判所が成立させた件についてどう思うかなどの質問を、判決に関わった当時の最高裁判事5名(亀山継夫、北川弘治、河合伸一、梶谷玄、福田博)と再審請求を認めなかった当時の宇都宮地裁判事3名の計8名に送り、回答を求めたが、判事達は「退官した現在は手元に資料がない」や「回答することは判決理由を後から変更するに等しい」などを理由に、全員が回答を拒否した。木谷明・法政大学法科大学院教授(元・東京高裁総括判事)は、判事達の回答拒否について「なぜまったく答えないのか不思議。答えられる限度で率直に答えるべきではないか」と疑問を投げかけている。
    当事件を題材とした漫画「VS.(ヴァーサス)-北関東連続幼女誘拐殺人事件の真実-」が、週刊ヤングジャンプ2009年10月21日発売号から連載された(原作:野洋、漫画:橘賢一、監修:日本テレビ報道局「ACTION」取材班)。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    copyright © あんくり all rights reserved.powered by FC2ブログ.  template by レトロメカニカ.
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。