あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 2003年
    【#69】世田谷通り魔事件
    世田谷通り魔事件(せたがやとおりまじけん)とは、2003年(平成15年)に発生した殺人未遂事件である。

    概要


    2003年4月21日午後9時ごろ、世田谷区大原二丁目の京王線代田橋駅北口先の路上で、被害者の女性が突然、男に顔を刃物で切り付けられ重傷を負い、男はそのまま逃走した。警視庁は殺人未遂事件として、被害者から聞いた特徴を元に犯人の似顔絵を作成するも、その後有力な目撃情報は無く、未だに検挙には至っていない。
    事件直後、現場から深緑色のウインドブレーカーのような服を着た不審者が走り去る姿が、目撃されている。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1995年
    【#43】警察庁長官狙撃事件
    警察庁長官狙撃事件(けいさつちょう-ちょうかん-そげき-じけん)は、1995年3月に日本の國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された事件。
    2010年3月に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた(未解決事件)。

    被害者 國松孝次(当時警察庁長官)
    43_kunimatu

    概要


    1995年3月30日午前8時30分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃を4回発砲。國松はそのうち3発を腹部などに受け、全治1年6ヵ月の瀕死の重傷を負った。男は自転車で逃走し、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。
    狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。電話の声は國松孝次警察庁長官に続く次のターゲットとして井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて教団への捜査を止めるように脅迫した。10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられて8日前の3月22日にオウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。
    國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰した。
    銃を発砲した犯人は黒っぽいレインコートに白いマスクをし、黒っぽい帽子を被っていたとされている。

    犯行現場
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    捜査


    オウム真理教の信者だった警視庁巡査長(当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年5月には詳細に供述していた。しかし、証拠品捜索の為にダイバーを投入しても銃が発見されないなど、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年6月に見送られた。巡査長は教団幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。この供述は匿名の告発が報道機関に届き1996年10月に報道されるまで警察庁にも報告されず、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職で責任を取る事態に到った。
    またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして砂押光朗・教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴処分となった。

    捜査本部は1999年に捜査のやり直しを決定し、捜査員が元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年7月7日、元巡査長の会社員、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、砂押光朗・教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。 さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。しかし、容疑者の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことや容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。
    警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた教団幹部2人を実行犯と現場指揮役と疑っているが、教団幹部2人は犯行を否定している。
    2008年3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された。
    2010年3月30日午前0時に公訴時効到来(ただし、後述の強盗殺人未遂犯説については、事件後に計1年近く海外渡航しているため、刑事訴訟法第255条によって1年近く公訴時効が停止している)。
    30日には警視庁公安部が記者会見を開き、公訴時効が午前0時をもって成立したことと共に、この事件がオウム真理教の信者による組織的なテロであるとの所見を示した。この記者会見に対し識者から批判が相次ぎ、教団主流派で構成するアレフは、警視庁が捜査結果概要をホームページに公開したことについて名誉棄損による国家賠償訴訟を検討する意向を示した。
    公訴時効を受けて国松孝次元長官は、警視庁の捜査を「不合格の捜査」と評したが、自ら油断があったことを認めた。そして「時効は残念だが、苦労した捜査員にご苦労様と言いたい」と捜査員をねぎらった。また「狙撃事件は、自分の中で終わったか」との問いには、「被害者にとって絶対に忘れられない」と答えた。

    オウム犯行説と強盗殺人未遂犯説


    警察内部では公安部がオウム犯行説を主張し、刑事部が強盗殺人未遂犯を主張し、捜査方針が対立している。犯行直後の狙撃現場の証拠はオウム犯行説に分があるとされ、凶器に関する証拠については強盗殺人未遂犯説に分があるとされているが、どちらも決定的な決め手が欠けている。

    ■オウム犯行説
    公安部が主張するオウム犯行説の根拠は以下の通り。
    ・事件前日の午後に、警察庁長官が住むマンションでオウム信者が「警察国家」と題するビラを配布していたこと。

    ・事件翌日に信者が都内数ヶ所で配布した事件に関するビラの原案とされる元幹部のメモに弾丸が奇妙とする記述があり、弾丸は先端がくぼんだホローポイント弾であったが記述時点では報道されていなかったこと。

    ・元幹部と酷似する男が付近を自転車で走行する姿が複数目撃されていること。
    事件3日前の27日深夜から28日未明にオウム真理教信者だった警視庁巡査長が事件現場近くで職務質問された際に警察手帳を提示した等の供述から、元巡査長が現場の下見と思われる行為をしていたことは確実視されること。

    ・狙撃事件の1時間後にテレビ朝日に警視総監らの名前を挙げて教団への捜査をやめるように脅迫電話があったが、電話の声が教団幹部である砂押光朗と似ていたこと。

    ・事件現場に遺留された韓国10ウォン硬貨から元オウム信者の男のミトコンドリアDNAが検出されていること。

    ・元巡査長のコートや眼鏡やマスクに、拳銃を発射した際にできる付着物等が事件で使用された銃弾の火薬成分と矛盾しないとの鑑定結果が出ていること。

    またオウム犯行説の疑問点は以下の通り。
    ・過去の重大事件を認めてきたオウム教団幹部たちが長官狙撃事件だけは関与を一切認めていないこと。

    ・ホローポイント弾はオウムが武装化する前に製造中止となっていたこと。

    ■強盗殺人未遂犯説
    刑事部が主張する強盗殺人未遂犯説の根拠は以下の通り。
    ・被疑者である強盗殺人未遂犯が、1980年代後半に米国で偽名で事件で使用された拳銃パイソンとホローポイント弾も購入していたこと。

    ・被疑者が犯行後に東京の貸金庫に拳銃を格納したと供述し、事件から約1時間後に拳銃を保管していた東京の貸金庫の開扉記録が残っている。

    ・被疑者が事件2日前に警察官2人が警察庁長官宅を訪問している事実を把握しており、下見をしていた可能性が高いこと。

    ・被疑者のアジトから韓国10ウォン硬貨が発見されたこと。

    ・警察庁長官の住所を把握するために侵入したとされる、警察庁警備局長室の配置についての被疑者による証言が、実際の配置と一致していること。

    また強盗殺人未遂犯説の疑問点は以下の通り。
    ・現場の壁にあった繊維痕と火薬痕や目撃証言から推定される犯人の身長が被疑者と合致しないこと。
    ・事件時、被疑者が狙撃現場にいたという証拠が弱いこと。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1995年
    【#2】あいりん労働福祉センター前路上女性看護師殺人未遂等事件
    あいりん労働福祉センター前路上女性看護師殺人未遂等事件(‐ろうどうふくしセンターまえろじょうじょせいかんごしさつじんみすいなどじけん)とは1995年1月に大阪府大阪市西成区で殺人未遂事件が発生、犯人が検挙されないまま、2010年1月に時効を迎えた未解決事件。事件発生当時の公訴時効は法改正(2005年)前のため2010年になる。

    概要


    1995年1月25日午後5時12分頃、大阪市西成区萩之茶屋1丁目にある、あいりん労働福祉センター前の路上で信号待ちをしていた女性看護師(当時34歳)が背後から男に包丁で腰を刺される事件が発生した。
    女性は事件後約250日の入院生活の後に、後遺症で車椅子なしには外出が出来なくなった。犯人は「お前らの診療が悪いんや」と言い残し、さらに犯人と思われる男の声で「おれがやった。本当は外科医を狙っていた。」と被害者が当時勤めていた病院に電話がかかってきたことがわかっている。
    2009年8月に犯人が逃げる際の後姿を公開するものの、犯人の検挙にはいたらず、2010年1月25日午前零時に時効を迎えた。

    犯人像


    約45歳、約175cm、中肉、紺色防寒着
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