あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
    DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
    スポンサーサイト
    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。
    ] page top
    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 2003年
    【#46】五霞町女子高生殺害事件
    五霞町女子高生殺害事件(ごかまちじょしこうせいさつじんじけん)は2003年7月に東京都足立区に住む高1女子生徒(当時15歳)が行方不明になり、茨城県猿島郡五霞町の道路脇用水路で他殺体となって見つかった事件。

    被害者 佐藤麻衣さん
    46_higaisya

    概要


    2003年7月9日午前9時45分ごろ、茨城県猿島郡五霞町川妻地内の道路脇用水路で、若い女性がうつ伏せで「く」の字の曲がっている状態に死んでいるのを散歩中の近所の住民が発見した。
    その後、遺体の身元はテレビの報道で知った家族の問い合わせを受けた茨城県警察本部の捜査の結果、東京都足立区西竹の塚在住の都立高校通信制1年の佐藤麻衣さん(当時15歳)であることが判明する。

    被害者について


    ・マンションで母親(52)と兄(16)の3人暮らし。自宅には別居している大阪府に住むヨルダン国籍の父親(38)も時々訪れていた。
    ・通信制高校入学後は5月中旬から埼玉県草加市の東武伊勢崎線の草加駅内にある洋服店でアルバイトをしていた。
    ・中学校の同級生からは「明るくおしゃれでかわいい子」という印象。
    ・目鼻立ちのはっきりした日本人離れした美人。
    ・身長も170cm近く、スタイルも抜群で、ファションセンスもあり、かなり目立つ存在であった。
    ・高校によると入学式に出席したあとは日曜日に行われる任意出席授業には出席せず、どんな生徒かはわからなかったという。

    事件までの足取り


    7月6日(アルバイトの休日)
    母親と兄は宮城県の母親の実家に帰省して不在。母親の実家には麻衣さんも後から合流する予定だった。自宅には代わりに父親が来ていた。
    昼過ぎ
    自宅にいた父親に、「午後8時すぎぐらいには帰ってくるから」と言い残して外出。
    バイト先の同僚女性(当時20歳)と草加市内で昼食後、東武伊勢崎線の草加駅から駅4つ北側行った場所にある新越谷駅で降り、駅近くの洋服屋で洋服を購入。食事などをした。

    午後6時ごろ
    東武伊勢崎線の新越谷駅から東京方面に向かう上り電車に乗った。同僚は2つ目の新田駅で先に降りた。このとき麻衣さんは「これから友達と会う」と話している。
    草加駅から南に1つ先に行った谷塚駅で降り、駅東側約200mの場所にある草加市瀬崎町の瀬崎浅間神社で開かれていた夜祭りの会場を訪れた。

    午後7時ごろ
    中学校時代の同級生に携帯電話で祭りに来ていることを連絡している。しかし会う約束をしていた中学校の同級生は都合が悪くなり祭りに来ることが出来なくなったため、麻衣さんは会場に1人でいた。代わりに一緒に祭りを楽しむ友達を捜して携帯電話で複数の友人に電話していた。

    午後8時ごろ
    露天会場内にいた氷売りのアルバイト店員(当時17歳)と意気投合し、売り込みなどを手伝っていた。

    午後9時10分ごろ
    麻衣さんの携帯に着信があった。(相手は判明していない)
    直後、店を出ることにしたがその際、店員が「お礼がしたい」と行ったが麻衣さんは断り「また連絡して」と言って別れた。直後に谷塚駅前のコンビニ店の前で階段に腰をかけ、飲み物を飲みながら人を待っているように座り込んでいたという。

    午後10時ごろ
    被害者の携帯がつながらなくなる。
    これ以後の足取りは途絶える。

    7月9日
    午前9時45分ごろ
    被害者の遺体が、散歩中の近所の住人によって発見される。

    その後
    テレビで遺体の発見を報道。
    報道を見た家族が警察に問い合わせ、身元が判明する。

    遺体状況


    ・遺体発見当日に埼玉県越谷市内の洋服店で購入した上下とも黒いスポーツウエアタイプの服。靴を履いていなかった。かばん代わり使っていた袋(CALM)の中に携帯電話や着替える前の服、財布、腕時計(ROLEX)、つけ爪などを入れていたが、すべてが見つかっていない。立ち寄った先の駅などのコインロッカーなどもくまなく調べられたが遺留品未発見。

    所持品一覧画像
    46_syojihin


    ・白い靴下が汚れていないことから、室内などの別の場所で殺され、車で運ばれ、捨てられたとの見方を強めている。 解剖の結果、死因は、首を紐のようなもので絞められたことによる窒息死。このほか首にのど元付近に強い打撃あるいは圧迫を受けたあざ。胸を素手で殴られたようなあと。手の爪には抵抗を試みて何かをひっかいたような痕跡はなかったことから、のどもと付近を不意打ち的に絞められた可能性が高い。腕や胸にも素手で殴られたような傷跡。

    手口の類似性


    同事件から約1年前に発生したに「岩井市女子高生殺害事件」に似ているともいわれている。

    事件のポスター
    46_poster
    スポンサーサイト
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 2004年
    【#17】岩井市女子高生殺害事件
    岩井市女子高生殺害事件(いわいしじょしこうせいさつがいじけん)は2004年6月に発生した殺人事件。

    被害者 平田恵里奈さん
    17_higaisya

    概要


    2004年6月20日(日)午前6時50分頃、茨城県坂東市長須地内の農道脇で、坂東市(旧猿島町)居住の県立高校生平田恵里奈さん(当時16歳) が意識不明で発見され、その後病院で亡くなりました。死因は首を絞められたことによる窒息死。
    発見された時の平田さんの服装は、半袖黒色ジャケット、半袖青色Tシャツ、ジーンズのハーフパンツ姿でした。靴は履いてなかったが、靴下は汚れていなかった。着衣に乱れはなかったが、被害者の財布と携帯電話が無くなっていた。

    足取り


    6月20日(日)
    午前0時ごろ
    平田さんがファミリーレストラン(サイゼリア)に1人で入店。ここで友人女性Bに食事を誘うメールをし、友人女性Bが来ると1時間ほど食事。

    午前1時36分(レシートで確認)
    店を出た。平田さんはファミレスの向かいにあるコンビニX (デイリーストア)に入店。プリペイド携帯のカードを購入しようとしたが店に置いていなかったため公園に向かった。公園では二人で別の友人Cを1時間ほど待ったがCが来なかったため、コンビニに戻った。

    午前4時ごろ
    平田さんはBと別れた。

    20日午前4時8分ごろ
    平田さんはコンビニXに1人で入り、「おにぎり」「缶コーヒー」「キーホルダー型工具」などを購入。この後、
    午前4時22分と午前4時42分に出入りしていることが防犯カメラで確認されている。

    午前5時前、店員に棚の前で座り込んで携帯をいじっているのを注意され、平田さんはコンビニXを退店した。

    午前5時45分頃、平田さんのプリペイド携帯電話から「財布をすられたみたいで、最寄の警察署の電話番号を教えて欲しい」と2回110番があり、警察では最寄の境警察署の電話番号を教えた。その電話から約1時間後に意識不明で倒れている平田さんが発見されることになるが、その間の詳細は分かっていない。午前5時前に平田さんが退店したコンビニXから600メートル離れた別のコンビニYの前で平田さんの自転車が見つかっているが、コンビニYは深夜営業しておらず(開店は午前6時)、平田さんはコンビニY前まで移動した後で事件に巻き込まれたと考えられている。

    コンビニ内防犯ビデオに映った平田さん
    17_convini

    その他


    6月22日になって、プリペイド式携帯電話と1万円以上の課金カードを平田さんに買い与えていたスリランカ人男性(当時36歳)が警察に「携帯電話を買ってあげたのは自分である」と出頭し、不法残留だったため逮捕された。殺害の関与も疑われたがこの男性は否定し、後に犯人でないとされた。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 2004年
    【#16】茨城女子大生殺害事件
    茨城女子大生殺人事件(いばらぎじょしだいせいさつじんじけん)とは2004年1月に発生した殺人事件。未解決事件

    被害者 原田実里さん
    16_higaisya2
    16_higaisya1


    概要


    2004年1月31日(土)午前9時ごろ、茨城県阿見町アパートに住む茨城大学農学部2年原田実里さん(当時21歳)の全裸遺体が自宅から約4.5キロ離れた河口付近で発見された。首など上半身の数ヶ所に刃物で切られた傷もあり、近くのコンクリート製護岸の斜面に血痕が残っていた。凶器は見つかっておらず、遺体の傷の割には血痕の量が少ないため、殺害場所は別の場所の可能性が高いと見られる。遺体近くに血の付着した被害者のジャージのズボンが残されていたが、靴や他の衣類は発見されておらず、足の裏は汚れてない状態であった。
    解剖の結果、死因は首を絞められたことによる窒息死と判明し、傷痕は絞殺後に刃物で切られたとされる。胃の内容物から食事の4時間後と推定されたため、死亡推定時刻は午前0時から午前3時とされている。両手足を押さえつけた圧迫痕があった。
    被害女性は事件発覚前日の1月30日の18時頃に東京都の渋谷駅でサークル活動(トライアスロン)の仲間と別れた。被害女性宅にいた友人の大学4年の男子学生(当時21歳)によると、21時に被害女性は帰宅して被害者女性宅で一緒に夕食を取った。1月31日午前0時頃にうたた寝中の男子学生は被害女性が玄関に向かって外出する気配を感じたと述べている。なお、被害女性宅の玄関近くにはトイレがあるため、男子学生が供述した被害女性の外出する気配はトイレに行くだけだった可能性もあり、外出が午前0時頃ではない可能性もある。
    また遺留品からも不可解な点が多く、捜査は難航している。特に後述の裸眼による近視での外出が謎となっている。
    絞殺後の刺し傷から怨恨の可能性が出てきたため被害女性の交友関係を中心に捜査。被害女性の交友関係は広く、大学関係者やサークル仲間やアルバイト先など多くの関係者を調べられたが、有力な容疑者は出ていない。
    足の裏の汚れがないことや抵抗した形跡が見られなかったことから室内犯行説が浮上し、裸眼による近視の外出が疑問視されたために被害女性宅にいた男子学生に嫌疑が向けられたが、男子学生はニュースで遺体が発見された事件を知って当時は行方不明扱いだった女子学生について15時頃に警察へ問い合わせをしたことが確認されている。また男子学生のその他の供述にも矛盾は無いことや、被害女性宅からは血液反応は出ていないことから、容疑者対象から外れている。

    遺留品


    ・書き置きメモ
    被害女性宅のテーブルには外出を示唆する書き置きのメモが残されていた。事件直前まで被害女性宅にいた男子学生に宛てたものとされている。筆跡鑑定で被害女性の筆跡とされた。ただし、このメモが事件直前に書かれた物と断定できるものではない。

    ・被害女性宅に置かれていた物
    被害女性宅に被害女性の財布や携帯電話・眼鏡・コンタクトレンズが残されていた。被害女性の裸眼視力は0.1程度の近視であるため、裸眼のまま0.1程度の近視の被害女性が夜間に外出した点には謎が残っている。

    ・携帯電話
    アパートに残されていた携帯電話は1月30日21時以後は着信や発信はない。

    ・衣類
    被害女性宅にはパジャマが置かれていた。外出時に着ていたのは水色のパーカーとされている。

    ・自宅の鍵
    自転車の鍵とセットになった被害女性の自宅アパートの鍵が所在不明となっている。

    ・自転車
    事件発覚から4日後の2月4日に女性の自転車が自宅から約2.5キロ離れた土浦市内の空き地に放置されていたのが発見された。自転車はスタンドが立てられた状態だった。自転車の鍵が入ったままだったが、セットになっている自宅の鍵は無かった。空き地は住宅街から外れた草むらで、夜間は人通りが少ない場所であった。その後の調べで1月31日午前8時頃には空き地に自転車が置かれているのを目撃されていたことが判明している。被害女性の知人によると、空き地付近は被害女性が深夜に訪れるような場所はないと考えられている。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1991年
    【#3】悪魔の詩訳者殺人事件
    悪魔の詩訳者殺人事件(あくまのうたやくしゃさつじんじけん)とは1991年に発生した殺人事件。

    概要


    1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一さんが大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見された。現場からO型の血痕(被害者の血液型ではないため、犯人の血液型とされた)や犯人が残したとみられる中国製カンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。
    五十嵐助教授は1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳している。1989年2月にイランの最高指導者のアーヤトッラー・ホメイニーは反イスラーム的を理由に「悪魔の詩」の発行に関わった者などに対する死刑宣告を行っていたため、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた。CIAの元職員は、イラン軍部による犯行を示唆している。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行のためと判断した。
    一方、日本警察による調査は、なぜ目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのか、なぜ目撃されにくい研究室で襲撃しなかったのかなど疑問点が挙げられ、個人的な怨恨による大学関係者の犯行の線も否定できないとして、犯人像の絞り込みをしない形で捜査を進めた。
    捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に五十嵐が書いたメモが発見された。これには壇ノ浦の合戦に関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と表現されていた。このことから、このメモが書かれた時点で、五十嵐は既に何者かが自分を殺そうとしていることを察知していたと言われている。
    15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し未解決事件となった。外国人犯人説が存在するこの事件では、実行犯が国外に居続けたと仮定した場合は公訴時効は成立していないことになるが、警察は証拠品として保管していた被害者の遺品を遺族に返還をしている。
    [ TB-0 | CO-0 ] page top
    copyright © あんくり all rights reserved.powered by FC2ブログ.  template by レトロメカニカ.
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。