あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 2003年
    【#71】泉南郡熊取町小4女児誘拐事件
    泉南郡熊取町小4女児誘拐事件(せんなんぐんくまとりちょうしょう4じょじゆうかいじけん)とは、大阪府泉南郡熊取町で2003年5月20日に発生した誘拐事件である。2010年5月現在、未解決である。
    熊取町立北小学校に通う4年生の女児(事件当時9歳)が学校遠足からの帰宅途中で行方不明になった。
    捜査特別報奨金(公的懸賞金制度)の指定事件となっており、300万円の懸賞金がかけられている。

    概要


    2003年5月20日、女児は学校行事である社会科見学を終えて同級生3人と一緒に帰宅。女児の自宅から400m離れた地点で同級生3人と別れて、更に別の同級生が女児を目撃したのを最後に忽然と姿を消した。女児はいつも自宅から50m離れた所にあるバス停の前を通って帰っていたが、同じ頃バス停に停車していたバスの運転手および乗客は女児を目撃していない。
    午後6時半頃になって、家族が女児が帰宅していないことを学校に連絡。その日のうちに付近の住民の協力を得て捜索したものの、現在に至るまで発見につながる有力情報もなく、女児が当時身につけていたリュックサックや衣服などの遺留品も発見されていない。
    失踪当日4台の不審車両が目撃されている。また、現場近くに白いクラウンが停まっており、車の運転席に短髪の男が乗っていたという目撃証言がある。

    事件発生当日の状況


    起床 いつもより一時間早く起き、準備をした。
    登校 いつも通り家を出る。
    小学校 大阪市立下水道科学館に、バスで出かける。
    14時30分頃 小学校へ戻る。
    14時40分頃 見学日だったため、普段より30分早く帰宅
    ※「いつも待ち合わせて帰る近所の子」とは帰らず、同級生3人と帰る。
    14時57分 七山交差点。他の3人より60m先を歩いていたが、3人と挨拶をして別れた
    ※交差点から自宅まで560m
    14時59分頃 「一度家に帰り、自転車で遊びに行こうとしていた男児B」とすれ違う
    ※すれ違った地点から、自宅まで400m。「遅いねバイバイ」と言われ、女児は笑顔を返した。
    15時00分頃 商店で塗装作業をしていた男性は、女児を見ていない
    ※商店から自宅まで300m、男児Bとすれ違った地点からは100m先になる。
    15時15分~25分 バス停で、時間待ちをしていたバスの運転手や乗客たちは、女児を見ていない。近くの公民館前を通った男性看護師も、女児を見ていない。
    ※自宅まで50m、男児Bとすれ違った地点からは350m先になる。なお、このバスは、後に廃止された。
    17時00分 兄が、女児が帰って来ていないことに気づく
    18時30分 家族や付近の住民で探し始める
    19時30分頃 警察に通報
    ※その後、誘拐を想定し警察が女児宅に待機していたものの、電話はかからず。

    14:59に同級生Bとすれ違ってから自宅までの400mの間に連れ去られたといわれていたが、その100m先の商店や通行人には目撃されておらず、商店の近くに行くまでの間に被害女児の身に何かが起きたと考えられ、自動車での連れ去りということで捜査が進められているが進展はしていない。

    報道された捜査内容


    報道されたものや警察より発表された捜査状況など
    被害女児がいつもの下校時刻より30分早く帰っていることから犯人が被害女児を狙ってさらったとは考えにくいため、計画的な誘拐ではなかったという警察の見方もある。
    被害女児はおとなしい性格で、人見知りをするタイプで知らない人についていくことは考えにくいとのことで、顔見知りの人物に車に乗せられたのではないかという視点でも捜査が進められた。
    悲鳴を聞いたというような証言がない。(但し後述に出てくるが、当日近所の集会があり、1ヶ所に集まっていたことが影響している可能性がある)
    周辺で交通事故が起こった形跡はない。
    極めて短時間のうちに被害女児を連れ去っていることから自動車だけでなくオートバイでの連れ去りも視野に入れた捜査をしている。
    付近に転落を示す痕跡がない。
    山林、ダム、を捜索したが何も出てきていない。
    周辺のため池の水も抜いて調べたが何も出てきていない。
    当日目撃された不審車両は赤色の車両、 黒っぽい車両、白色のバン、白色の乗用車である。

    現場周辺


    近所の集会で付近住民が一ヶ所に集まっていたことも重なり目撃者や声などを聞いたという証言がない
    被害女児が消えた通学路は緩やかなカーブが続く緩やかな坂道で、車がすれ違うのがやっとの約5mの道幅だが、広い敷地の旧家が並んでいる上に高い壁が多く事故などがあっても気付きにくい場所。

    その他


    いつも通っていたその先の食料品店の前を通っていない
    男児Bとすれ違った地点から約100m先の商店前で作業中だった男性は被害女児の姿に気付いていない
    男児Bとすれ違った地点から約100m先の商店の近くを歩いていた親子は被害女児を見ていない
    当初自宅の南東約200mの路上を1人で歩いているのを塗装作業をしていた29歳男性に目撃されたという報道もあった
    たばこ店の前で塗装作業中の男性が「リュックの女の子を見たけど顔は見ていない」と言った報道もあった
    平成21年現在、被害女児は店の前は通っておらず最終目撃者は男児Bであるという話が主流になっている
    被害女児は自宅近くでは学校が指定した普段の通学路から外れ、車の通り抜けられない小道を通って帰宅する日もあったらしい
    奇跡の扉 TVのチカラという番組に「2003年5月21日の早朝、岡山市内の国道2号線下り車線で黄色いリュックを背負った少女が、白かシルバーの車の横に立っていた、車はトランクを開けた状態で停車しており、その横にいた女児はAちゃんの失踪時の服装にも似ていた」という目撃証言が寄せられたことがある。

    詐欺事件


    女児の家族に対し、男女計2名が、「お宅の娘さんを助けたが、救出に費用がかかった」などと騙り、総額で約7,000万円を騙し取る事件があり、大阪府警が、詐欺容疑でこの男女を逮捕した。娘を救出したいという家族の心情に付け込んだものと見られる。
    この詐欺事件の裁判が大阪地裁堺支部で行われ、2009年10月5日に男には懲役9年の実刑が[2]、2009年5月22日に女には懲役2年執行猶予4年の判決が下された。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1979年
    【#33】北関東連続幼女誘拐殺人事件
    北関東連続幼女誘拐殺人事件(きたかんとうれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは1979年以降、栃木県群馬県で発生している誘拐殺人事件である。

    概要


    1979年以降、北関東において幼女の誘拐事件が起きている。その内、栃木県群馬県の県境であり半径20キロ以内で発生した5事件がまとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされることが多い。
    事件の特徴として、誘拐または行方不明となったのが4歳から8歳までの女子児童である点、3事件においてパチンコ店が誘拐又は行方不明現場になっている点、3事件において河川敷での死体遺棄になっている点が共通点としてあげられている。5事件とも未解決事件となっている。
    日本テレビの報道特別番組『ACTION』で、記者の清水潔が「5件の事件は連続事件なのではないか」とする観点から2007年1月から報道を続けている。同番組では、「足利事件」の被疑者が1991年に逮捕されて身柄拘束中であるにも拘らず、その5年後に類似事件の「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし、逮捕された菅家利和氏は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。菅家氏のDNA再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ、真犯人と菅家氏のDNA型は一致せず釈放となった。

    一連の事件


    一連の事件の位置関係
    33_map


    1979年の殺人事件
    1979年8月3日、栃木県足利市の女児福島万弥ちゃん(当時5歳)が自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうちに行方不明となる事件が発生。6日後の8月9日、渡良瀬川近くでリュックサック詰めで全裸遺棄されている万弥ちゃんの遺体が発見された。リュックサックは市内の業者の特殊仕様によるもので数10個しか売られていなかった。
    また、行方不明になる直前にはトレパン姿の30歳ぐらいの男と話しているのを近所の主婦が目撃している。

    ・1984年の殺人事件
    1984年11月17日、栃木県足利市の女児長谷部有美ちゃん(当時5歳)がパチンコ店「大宇宙」から行方不明となる事件が発生。
    有美ちゃんは両親がパチンコをしているあいだ、店内や店の外で遊んでいたが、いつのまにか姿が見えなくなった。両親がいないことに気づいたのは午後6時ごろで、店の周囲を探し回ったが見つからず、足利署に届け出た。
    4日後、有美ちゃんの通う幼稚園に、有美ちゃんと見られる女児と40~50代ぐらいの男からの電話が入る。
    電話を受けたのは園長で、1回目は午後4時過ぎで、女児の声で「せんせい・・・」と言っただけで切れた。その3分後、再び電話が入り、女児は「せんせい、いま、こうせいびょういんにいる」と泣き声で訴え、続いて男が有美ちゃんの自宅の電話番号を聞いてきた。
    午後4時21分頃、今度は有美ちゃんの自宅に電話が入る。女児は「たすけてちょうだい」とか細い声で話し、父親が所在を問うと「佐野のこうせいびょういん」と答えた。
    通報を受けた足利署はすぐに佐野市の「佐野更生病院」、足利市の「更西病院」、さらに群馬県桐生市、館林市の厚生病院に捜査員を急行させたが、有美ちゃんの姿はなく、捜査本部は後にこれをイタズラ電話と断定している。

    1986年3月7日、有美ちゃん宅から1.7kmほど離れた同市大久保町の市立大久保小学校東側の畑で、飼い犬がさかんに土を掘ろうとするので、畑の所有者が掘ってみたところ、女児の衣類が見つかった。
    翌朝から捜査員がこの畑を発掘捜査してみると、他の衣類と子供の白骨死体が見つかり、これが有美ちゃんであることがわかった。

    ・1987年の殺人事件
    1987年9月15日、群馬県尾島町に住む小2女児大沢朋子ちゃん(当時8歳)が子猫を抱いて自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明に。翌年の11月27日、利根川河川敷で白骨死体の一部が発見された。
    詳細は「群馬小2女児殺害事件」を参照

    ・1990年の殺人事件
    1990年5月12日、栃木県足利市の女児松田真実ちゃん(当時4歳)がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。5月13日に渡良瀬川河川敷で全裸遺棄された真実ちゃんの遺体が発見された。1991年12月2日、DNA鑑定で犯人と同一人物だったことで同市内に住む幼稚園バスの運転手が逮捕され、2000年7月17日に無期懲役判決が確定。しかし、当時のDNA鑑定は精度が低いことが指摘され、2009年5月に再度DNA鑑定を実施した際に被疑者と犯人と同一人物ではないという結果が出たため、同年6月に刑が執行停止となり、釈放された。
    詳細は「足利事件」を参照

    ・1996年の失踪事件
    1996年7月7日、群馬県太田市の女児横山ゆかりちゃん(当時4歳)がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。この事件は女児の行方が発見されていないため、殺人事件ではなく失踪事件となっている。
    詳細は「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」を参照

    その他の未解決事件


    上記の5事件以外でも栃木県群馬県では幼女に関する未解決事件が発生している。
    ・1985年の失踪事件
     1985年10月10日午後1時半ごろ、栃木県日光市西小来川の母親の実家に帰省していた真岡市内に住む佐々木奈保子ちゃん(当時3歳)の行方がわからなくなった。奈保子ちゃん実家に一家5人で帰省し、魚釣りに行った姉と兄のあとを追って実家近くに流れる幅4メートル、深さ40センチの沢に向かったまま行方不明となる事件が発生。

     奈保子ちゃん一家は10日の正午ごろ実家に遊びに来た。午後1時半に長女(10歳)と長男(8歳)の後を追って沢に向かったところまでが確認されている。午後2時ごろ長女と長男が実家に戻ってきたときいなくなったことに父親が気付いて警察に通報した。
     警察では沢に転落して流された、山林に迷い込んだ、誰かに連れ去られたかの3つの可能性を考えて1200人体制で捜索したが見つからなかった。
     現場は日光市内であるが観光地とは無縁の山奥で外部の人はあまり訪れない。訪れるのは沢で渓流釣りを楽しむ人ぐらいだ。
     警察では沢に転落しても流されるような状況ではなく、事故であれば大規模な捜索で見つかるはずで、誘拐された可能性で捜査を続けたが、手がかりがなく「時効」を迎えている。

    ・1987年の誘拐殺人事件
    詳しくは「功明ちゃん誘拐殺人事件」を参照。ただし、被害者は、男の子である。

    ・2005年の殺人事件
    2005年12月1日、栃木県今市市(現日光市今市)木和田島、会社員、吉田正信さん(当時41歳)の二女で同市立大沢小1年、吉田有希(ゆき)ちゃん(同7歳)が下校途中に行方不明になり、同2日午後、約65キロ離れた茨城県常陸大宮市三美の山林内で胸を複数回刺された遺体で見つかった。
    詳細は「栃木小1女児殺害事件」を参照
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1996年
    【#25】太田市パチンコ店女児連れ去り事件
    太田市パチンコ店女児連れ去り事件(おおたしパチンコてんじょじつれさりじけん)とは1996年7月に横山ゆかりちゃん(当時4歳)が行方不明になった事件。何者かに連れ去られた可能性が高いと見られている。

    概要


    1996年7月7日(事件当日)
    午前10時半頃
    パチンコ好きの夫婦は群馬県太田市のパチンコ店にゆかりちゃん(当時4歳)と次女(当時7カ月)を連れてきた。次女はパチンコをしている親に抱かれていたが、ゆかりちゃんは親の手から離れて暇つぶしに店内を散策して遊んでいた。

    正午頃
    母親は店内で弁当を買い、ゆかりちゃんと次女を連れて駐車場の車内で昼食を取った。母は午後からも同じようにパチンコを始めたが、しばらくしてゆかりちゃんが「もう一度食べたい」とパチンコ台の方にやってきた。そこで母はゆかりちゃんを出入り口付近にある長椅子に座らせ、そこで弁当を持たせた。

    午後1時40分頃
    父は長椅子に座っているゆかりちゃんを目撃している。
    しばらくすると、ゆかりちゃんは母のところにやってきて、「…のおじちゃんがいるよ」と言ってきた。この時の声は店内に鳴り響く騒音にかき消されよく聞き取れなかった。「おじちゃん」という言葉だけ理解できた母はゆかりちゃんに「ちゃんと座っててね」「ついてっちゃだめよ」とだけ言い、パチンコを打っていた。

    午後1時50分頃
    母がゆかりちゃんの姿が見えないのに気づく。ゆかりちゃんが座っていたはずの長椅子にはジュースと食べかけのおにぎりが残されていた。夫婦は駐車場、国道などを捜したがゆかりちゃんの姿は見えなかった。

    午後2時10分
    警察に通報

    事件から2日後の9日午前8時、機動隊員70名を動員して広範囲を捜索したが見つからなかった。また、パチンコ店の客や周辺などに聞きこみ捜査では、ゆかりちゃんが行方不明になったのと同じくらいの時刻に「白い乗用者に4歳くらいの女の子が乗りこんだ」という目撃証言もあった。しかし、パチンコ店には大勢の客がいたがパチンコに熱中するあまり、店内に一人でいる女の子の様子に注目していた人がいなかったため、それ以上の目撃証言は得られなかった。
    2010年4月現在、ゆかりちゃんの行方はわかっていない。2006年7月から1年間、太田市のパチンコ店で組織された太田遊技業防犯協力会は、ゆかりちゃん発見につながる有力情報の提供者に謝礼金300万円を限度に提供する制度を設けていた。

    防犯カメラに映ったサングラスの男


    店内で記録していた防犯カメラに帽子とサングラスを身に着けていた不審人物が確認された。
    男は事件当日の午後1時27分ごろ店に入ってきた。男はまず店の奥の目立たない場所にあるトイレに寄ったと思われる。約3分後、トイレから出てきた男は、パチンコ台の前で座ったり、両替したりするわけでなく、ただ店の中を徘徊していた。男が店の中を徘徊している時に、景品コーナーの前でゆかりちゃんとすれ違っている。
    1時33分、男は長椅子に座っていたゆかりちゃんの右隣に座った。ゆかりちゃんの右隣の男はタバコを吸い、灰皿を手を伸ばして使っている。やがて、男はゆかりちゃんに話しかけを見せ、右手で3回店内の外を指差した。
    1時42分、男はゆかりちゃんを残して席を立った。その後、ゆかりちゃんは両親の元に向かい話しかけていた。そして1時45分頃、ゆかりちゃんは出口方面に向かった。しかし、出入り口付近はカメラの死角となっており、店を出る2人の姿は映っていない。
    警察は「サングラスの男」を最重要参考人として考え、1996年12月6日、「サングラスの男」の映像とイラストを描いたポスターを作成して公開した。

    最重要参考人の特徴


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    ・身長は158cm前後
    ・帽子とサングラスを身に着けていた
    ・鼻がかなり高い
    ・頬骨が張って、顎がやや突き出ている
    ・頬がこけている

    パチンコ店連続幼女誘拐事件との類似点


    過去には太田市の近くである栃木県足利市で1984年と1990年に、この事件と同様にパチンコ店で女児が連れ去られる事件が発生し、両事件の女児が殺害される事件が起こっている(北関東連続幼女誘拐殺人事件)。1990年の足利事件は1991年12月2日にDNA鑑定を根拠に男性が逮捕されて自供したが、裁判では無実を主張。その後、当時のDNA鑑定の精度が低かったことが指摘されて冤罪疑惑が指摘されたが、男が勾留中の1996年に近くで同様の本事件が発生したため、冤罪疑惑をさらに強めるものとなった。足利事件の容疑者の男は2000年7月17日に無期懲役判決が確定し服役していたが2010年3月に再審無罪となった。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1978年
    【#6】アベック失踪事件
    アベック失踪事件(アベックしっそうじけん)とは、1978年夏に起きた、多数のアベックが行方不明となった一連の事件を指す。
    失踪事件は福井県(地村保志・浜本富貴恵)、新潟県(蓮池薫・奥土祐木子) 、鹿児島県(市川修一・増元るみ子)にて3件起きていたが、事件がいずれも海岸で起きていること、行方不明者に失踪する動機が見当たらないこと、海岸まで乗ってきた交通手段(自動車など)が放置されたままであることなど、当初から不可解な点が目立った。
    これらの事件の直後に、富山県氷見市でアベックが4人組の男性に襲われる事件が起きる。アベックは猿ぐつわをはめられ、体ごと袋に入れられたが、ちょうど近くを通った犬の鳴き声を聞いた男達はアベックを置き去りにして逃亡した。アベックはそれぞれ袋に入れられたまま近くの民家に助けを求めた。場所はやはり海岸で、海水浴場の一角でもあった。しかし明らかにステテコ姿にズック靴で海水浴客とは思えないような格好だったこと、そしてアベックの近くでずっと座ったまま身を潜めていたこと、これらのことをちょうど救助先の民家も当日海水浴場にいて不審に感じていたことから、土地勘のない人間による犯行の可能性が考えられた。更に4人組が現場に残した遺留品を鑑定した結果、猿ぐつわや手錠等の品質から、工業力に劣る外国製の物であることが判明した。
    サンケイ新聞社会部記者の阿部雅美は、この頃「日本海側の各地でおかしなことが起きている」という地元の噂を耳にし、取材を進めていたところ、3件の失踪事件とこの誘拐未遂事件にたどりつく。阿部は3件の失踪事件に共通点が多いこと、誘拐未遂事件の遺留品が日本製でなかったこと、またその時に4人組がアベックを袋に入れたことに着目し、「袋に人間を入れて運ぶという発想は日本人では考えられない」と疑問を抱く。更に1978年夏には外国を発信源とする怪電波が多くキャッチされていたことが、警察庁の調査で明らかになっていた情報も入手する。これらの事実を元に阿部は1つの事件として結びつけていく。
    1980年1月7日、サンケイ新聞は1面トップで「アベック三組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と暗に北朝鮮による犯行であることを示唆。阿部によるスクープは世論にある程度の衝撃を与えたが、当時の日本では社会党をはじめ親北朝鮮勢力が政界・マスメディア界で幅を利かせており、他のメディアも「産経は公安の情報に踊らされている」として、動かなかった。社会党も、友好関係にある朝鮮労働党の“北朝鮮は事件と関係ない”とする説明を鵜呑みにし、拉致被害者奪還の国民運動まで高まることは無かった。
    1997年に横田めぐみの北朝鮮拉致報道をきっかけに、政府も世論も北朝鮮による日本人の拉致という現実を知り、併せてアベック3組の失踪も拉致の可能性が高まった。世論による被害者奪還運動も各地で起き始め、その後政府が拉致被害者を正式に公表する流れへとつながっていく。阿部自身も同年、アベック失踪事件記事の先見性が認められて新聞協会賞を受賞している。
    2002年9月17日、小泉純一郎日本国総理大臣の訪朝によって実現した日朝首脳会談で、北朝鮮の“最高指導者”金正日総書記が北朝鮮による拉致行為であったことを認め、口頭で謝罪。一部の失踪者の帰国が実現したが、生死不明の者も残され、未だ全面解決には至っていない。
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