あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 2005年
    【#88】栃木小1女児殺害事件
    栃木小1女児殺害事件(とちぎしょういちじょじさつがいじけん)は、2005年12月に、栃木県今市市(現・日光市)に住む小学1年生(7)の女児が行方不明となり、茨城県常陸大宮市の山林で刺殺体となって発見された事件。

    捜索状況


    2005年12月1日
    栃木県今市市(現・日光市)の市立大沢小学校に通う小学1年生の女児が、下校途中に行方不明となった。
    家族が駐在所に捜索願を提出した。捜索が開始されたが、発見に至らなかった。
    12月2日
    栃木県警が、公開捜査を開始。
    自宅から60kmも離れた茨城県常陸大宮市の山林で、遺体が発見される。遺棄現場周辺は人通りが少なく、人目につかない場所であった。
    死体発見以降
    胸を数カ所刺されていたことなどから、栃木県警は殺人と断定、県境を跨いだことから茨城県警との合同捜査本部が設置され、捜査が開始された。
    女児のランドセルや衣服などの遺留品が見当たらず、捜索が行われたが、見つかったという報道はない。
    連れ去り現場・遺体遺棄現場周辺などでの聞き込みや、学校からの情報提供で、多くの不審者情報が寄せられたものの、有力な情報には乏しい。
    今市市から常陸大宮市へ至るルートにあたる国道293号や国道123号、日光宇都宮道路では、検問やコンビニエンスストア・ICの料金所の防犯カメラ・監視カメラの映像チェックなども行われたが、それらしい人物や車は撮影されていなかった。
    両県警は、フリーダイヤルを設置し、電話での情報提供を呼びかけている。また、配布されたポスター・チラシは両県内はじめ、多くの駅やショッピングセンターなどに貼られている。2006年8月1日より、犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられている。

    経過


    2005年12月1日
    女児が下校途中に行方不明。近くの駐在所に家族が捜索願。捜索開始。
    12月2日
    公開捜査開始。茨城県常陸大宮市の山林で遺体で発見される。両県警が合同捜査開始。
    12月3日
    女児が通っていた小学校で緊急の保護者会。児童は車での送り迎えへ。
    12月6日
    女児の告別式。
    12月7日
    両親が、初めて遺棄現場へ。
    今市市教育委員会が、公立小中学校への児童・生徒の携帯電話持ち込み解禁。
    12月8日
    女児の通っていた小学校で、集団登校が再開。
    国道293号や国道123号などで一斉検問。
    12月10日
    両県警が、情報提供を呼びかけるポスターとチラシ一万枚を作成。首都圏内はじめ、関東地方から東北地方にかけての広い範囲に配布。
    12月11日
    両県警が初めての合同捜査会議。
    2006年1月28日
    沓掛哲男国家公安委員長が、連れ去り現場を視察。
    8月1日
    犯人逮捕に結びつく情報に対し、200万円の懸賞金がかけられる。
    11月2日
    週刊新潮が、「警察が8月頃に秋葉原に潜入捜査を行い、フィギュア愛好家のリストを作成しようとした」ことを報道。

    事件による影響


    先に発生した広島小1女児殺害事件とともに、子どもの安全への関心がより一層高まり、子ども自身や通学路の安全確保などへさまざまな影響があった。特に広島市の事件の犯人が逮捕された直後に同様の事件が発生したことの衝撃は大きく、事件が発生した栃木県では県教育委員会が全県民に対し緊急アピールを行ったほか、防犯ブザーの再点検、通学路の見回りも強化された。茨城県では、インターネット上で、不審者情報を掲載する県警と県教委による掲示板がスタートし、県内の小・中・高から多くの情報が寄せられた。文部科学省は、「通学路への防犯カメラ設置を検討」した。

    報道


    事件発生から半年が経過した2006年5月末に、捜査担当者がマスメディアに対して「猟奇的なアダルトゲームやフィギュア愛好者による犯行の可能性が高い」と発言したことに対し、サブカルチャー愛好者から「確たる根拠も無く特定趣味者を犯罪者予備軍扱いするな」として批判が相次いだ。これは本事件を含め、平成時代に発生した女児の誘拐・殺害事件において、しばしば同様の報道が行われていたことも少なからず影響している。また、このような隔たった観点から作り出された犯人像に基づく初動捜査が、事件の解決を遅らせているのではないかと言う指摘もある。
    週刊新潮2006年11月9日号が報じたところによると、この事件の情報提供に懸賞金が掛けられたのと時を同じくして、警察は東京都千代田区外神田周辺のいわゆる秋葉原電気街に、数人の捜査員に「アキバ系」の扮装をさせて潜入捜査を行い、人形愛好家のリストの入手を試みたが、成果が出なかったとのことである。週刊新潮は「捜査関係者の談話」として、「犯人が被害女児の遺体を隠そうとせずに遺棄していたことから、犯人がフィギュア愛好家ではないかという見方が出た」ということを報じた。また北芝健は、『報道ステーション』のこの事件の特集にて「犯人はニートかフリーター」と発言している。
    田宮榮一はこの事件の犯人像を「犯人は20代から30代、もしくは40代から50代」と発言している。かなりアバウトな予測であり、わざわざ発言しなくてもよいとの批判がある。
    なお、2007年初頭には「DNAなどから犯人は男性」であるという報道がなされたが、情報を求めるポスターでは、それ以前から犯人を「冷酷で残忍な男」と断定していた(その根拠については不明である)。しかしその後、2009年になってこのDNAは当時の捜査関係者のものであることが判明したため、犯人が男性であると断定しうる根拠がなくなったためか、新しく作られたチラシから「男」の文字は除去されている[1]。
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 2003年
    【#71】泉南郡熊取町小4女児誘拐事件
    泉南郡熊取町小4女児誘拐事件(せんなんぐんくまとりちょうしょう4じょじゆうかいじけん)とは、大阪府泉南郡熊取町で2003年5月20日に発生した誘拐事件である。2010年5月現在、未解決である。
    熊取町立北小学校に通う4年生の女児(事件当時9歳)が学校遠足からの帰宅途中で行方不明になった。
    捜査特別報奨金(公的懸賞金制度)の指定事件となっており、300万円の懸賞金がかけられている。

    概要


    2003年5月20日、女児は学校行事である社会科見学を終えて同級生3人と一緒に帰宅。女児の自宅から400m離れた地点で同級生3人と別れて、更に別の同級生が女児を目撃したのを最後に忽然と姿を消した。女児はいつも自宅から50m離れた所にあるバス停の前を通って帰っていたが、同じ頃バス停に停車していたバスの運転手および乗客は女児を目撃していない。
    午後6時半頃になって、家族が女児が帰宅していないことを学校に連絡。その日のうちに付近の住民の協力を得て捜索したものの、現在に至るまで発見につながる有力情報もなく、女児が当時身につけていたリュックサックや衣服などの遺留品も発見されていない。
    失踪当日4台の不審車両が目撃されている。また、現場近くに白いクラウンが停まっており、車の運転席に短髪の男が乗っていたという目撃証言がある。

    事件発生当日の状況


    起床 いつもより一時間早く起き、準備をした。
    登校 いつも通り家を出る。
    小学校 大阪市立下水道科学館に、バスで出かける。
    14時30分頃 小学校へ戻る。
    14時40分頃 見学日だったため、普段より30分早く帰宅
    ※「いつも待ち合わせて帰る近所の子」とは帰らず、同級生3人と帰る。
    14時57分 七山交差点。他の3人より60m先を歩いていたが、3人と挨拶をして別れた
    ※交差点から自宅まで560m
    14時59分頃 「一度家に帰り、自転車で遊びに行こうとしていた男児B」とすれ違う
    ※すれ違った地点から、自宅まで400m。「遅いねバイバイ」と言われ、女児は笑顔を返した。
    15時00分頃 商店で塗装作業をしていた男性は、女児を見ていない
    ※商店から自宅まで300m、男児Bとすれ違った地点からは100m先になる。
    15時15分~25分 バス停で、時間待ちをしていたバスの運転手や乗客たちは、女児を見ていない。近くの公民館前を通った男性看護師も、女児を見ていない。
    ※自宅まで50m、男児Bとすれ違った地点からは350m先になる。なお、このバスは、後に廃止された。
    17時00分 兄が、女児が帰って来ていないことに気づく
    18時30分 家族や付近の住民で探し始める
    19時30分頃 警察に通報
    ※その後、誘拐を想定し警察が女児宅に待機していたものの、電話はかからず。

    14:59に同級生Bとすれ違ってから自宅までの400mの間に連れ去られたといわれていたが、その100m先の商店や通行人には目撃されておらず、商店の近くに行くまでの間に被害女児の身に何かが起きたと考えられ、自動車での連れ去りということで捜査が進められているが進展はしていない。

    報道された捜査内容


    報道されたものや警察より発表された捜査状況など
    被害女児がいつもの下校時刻より30分早く帰っていることから犯人が被害女児を狙ってさらったとは考えにくいため、計画的な誘拐ではなかったという警察の見方もある。
    被害女児はおとなしい性格で、人見知りをするタイプで知らない人についていくことは考えにくいとのことで、顔見知りの人物に車に乗せられたのではないかという視点でも捜査が進められた。
    悲鳴を聞いたというような証言がない。(但し後述に出てくるが、当日近所の集会があり、1ヶ所に集まっていたことが影響している可能性がある)
    周辺で交通事故が起こった形跡はない。
    極めて短時間のうちに被害女児を連れ去っていることから自動車だけでなくオートバイでの連れ去りも視野に入れた捜査をしている。
    付近に転落を示す痕跡がない。
    山林、ダム、を捜索したが何も出てきていない。
    周辺のため池の水も抜いて調べたが何も出てきていない。
    当日目撃された不審車両は赤色の車両、 黒っぽい車両、白色のバン、白色の乗用車である。

    現場周辺


    近所の集会で付近住民が一ヶ所に集まっていたことも重なり目撃者や声などを聞いたという証言がない
    被害女児が消えた通学路は緩やかなカーブが続く緩やかな坂道で、車がすれ違うのがやっとの約5mの道幅だが、広い敷地の旧家が並んでいる上に高い壁が多く事故などがあっても気付きにくい場所。

    その他


    いつも通っていたその先の食料品店の前を通っていない
    男児Bとすれ違った地点から約100m先の商店前で作業中だった男性は被害女児の姿に気付いていない
    男児Bとすれ違った地点から約100m先の商店の近くを歩いていた親子は被害女児を見ていない
    当初自宅の南東約200mの路上を1人で歩いているのを塗装作業をしていた29歳男性に目撃されたという報道もあった
    たばこ店の前で塗装作業中の男性が「リュックの女の子を見たけど顔は見ていない」と言った報道もあった
    平成21年現在、被害女児は店の前は通っておらず最終目撃者は男児Bであるという話が主流になっている
    被害女児は自宅近くでは学校が指定した普段の通学路から外れ、車の通り抜けられない小道を通って帰宅する日もあったらしい
    奇跡の扉 TVのチカラという番組に「2003年5月21日の早朝、岡山市内の国道2号線下り車線で黄色いリュックを背負った少女が、白かシルバーの車の横に立っていた、車はトランクを開けた状態で停車しており、その横にいた女児はAちゃんの失踪時の服装にも似ていた」という目撃証言が寄せられたことがある。

    詐欺事件


    女児の家族に対し、男女計2名が、「お宅の娘さんを助けたが、救出に費用がかかった」などと騙り、総額で約7,000万円を騙し取る事件があり、大阪府警が、詐欺容疑でこの男女を逮捕した。娘を救出したいという家族の心情に付け込んだものと見られる。
    この詐欺事件の裁判が大阪地裁堺支部で行われ、2009年10月5日に男には懲役9年の実刑が[2]、2009年5月22日に女には懲役2年執行猶予4年の判決が下された。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1954年
    【#55】島田事件
    島田事件(しまだじけん)とは1954年3月10日に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人殺人死体遺棄事件である。被告人が死刑の確定判決を受けたが再審で無罪になった冤罪事件。四大死刑冤罪事件の一つ。

    概要


    1954年3月10日、静岡県島田市の快林寺の境内にある幼稚園で卒業記念行事中に6歳の女児が行方不明になり、3月13日に女児は幼稚園から見て大井川の蓬莱橋を渡った対岸である大井川南側の山林で遺体で発見された。
    静岡県警の司法鑑定医師(後の静岡県警科学捜査研究所長)の鈴木完夫は司法解剖の結果、犯人が被害者の女児の首を絞めて被害者が仮死状態になった後、被害者に対する強姦の有無は不明だが性器に傷害を負わせ、その後に被害者の胸部を凶器不明のもので打撃して殺害したと鑑定した。
    被害者の女児を誘拐した犯人の目撃情報はいずれも、スーツを着てネクタイを締めて髪を7・3分けにした、会社員または公務員に見える若い男だった。警察は幼児・児童に対する性犯罪の前歴者、精神病歴者、知的障害者の捜査対象者として捜査したが被疑者を発見することも、被疑者を特定できる情報も発見できなかった。
    1954年5月24日、当時の岐阜県鵜沼町(現在の岐阜県各務原市)で静岡県警が捜査対象者としていた精神病歴者、知的障害者であり、所在不明で事情聴取されていなかった男性(当時25歳)が職務質問され、法的に正当な理由無く身柄を拘束され、島田警察署に護送された。
    警察は男性を窃盗の被疑事実で別件逮捕し、警察の尋問室の密室の中で拷問を行い、被害者の女児を性犯罪目的で誘拐し殺害したとの供述を強要した結果、男性に被害者の女児を誘拐し強姦して性器に傷害を負わせ、胸部を握り拳サイズの石で打撃した後、首を絞めて殺害したとの虚偽の供述をさせて供述調書を作成し、その旨を報道機関に公表した。

    男性の個人的状況


    男性は軽度の知能障害と精神病歴があり、二度の自殺未遂歴と二度の窃盗の前歴があり、一回目の窃盗の時は少年院に入院し、二回目の窃盗の時は刑務所で服役し1953年7月に出所した。男性は就職しても職場に溶け込めず、他者と適切な会話や意思疎通や人間関係を形成できず、仕事に適応できずに短期で離職する傾向があり、自宅に定住せずに放浪する傾向があった。

    裁判の経過・結果


    裁判では男性は捜査段階で「警察官に拷問され、虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件に関していかなる関与もしていない、無実である」と主張した。裁判は下記のとおりの経過・結果になった。
    地裁公判中に裁判官は東京大学教授の古畑種基に被害者の殺害方法について再鑑定を依頼し、古畑は被害者が強姦され胸部を打撃され首を絞められて殺害されたと、男性の供述調書に適合する鑑定結果を報告した。弁護人は東京都立松沢病院医師の鈴木喬と林に男性の精神鑑定を依頼し、鈴木と林の両医師は男性は軽度の知能障害があるが、心身喪失でも心神耗弱でもなく刑事責任能力はあるとの鑑定結果を報告した。
    裁判所は軽度の知能障害があり、精神病の前歴と放浪傾向がある男性が、捜査段階で犯行を供述していることに対して、公判で無実や犯行当時のアリバイを供述することは信用性が無いと判断した。
    1958年5月23日、静岡地裁は男性に死刑判決をした。
    1960年2月17日、東京高裁は控訴を棄却した。
    1960年12月5日、最高裁は上告を棄却し、男性の死刑判決が確定した。
    1986年5月30日、静岡地裁は男性と弁護人の第4次再審請求を棄却したが、抗告審の東京高裁は再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻した。
    1989年7月31日、再審の静岡地裁は無罪判決をした。
    1989年8月10日、検察官は控訴を断念し、逮捕から34年8ヶ月後、死刑判決確定から29年8ヶ月後に男性の無罪が確定した。
    再審では弁護人は被害者の殺害方法について東京医科歯科大学教授の太田伸一郎と上田政雄の両人に再鑑定を依頼し、両教授は古畑教授の鑑定結果に問題があり、捜査段階の鈴木医師の鑑定結果を支持する鑑定結果を報告した。
    無実の人が誤認で逮捕・起訴され、死刑判決が確定後に再審で無罪判決を受けた事例は免田事件、財田川事件、松山事件に続いて4件目であった。
    確定翌日の読売新聞1989年8月11日号ではこの無罪判決の記事が男性の公園で座る姿の写真入りでトップ記事に記載され、見出しは「35年振り自由の身」と打たれた。

    その他


    この事件では、男性の犯罪の証拠とされたものは上記の事件の犯行を認めた供述調書であり、事件への関与を証明する物証に乏しかった。
    男性に供述を強要して虚偽の供述をさせた調書の殺害方法は、鈴木医師が被害者を司法解剖して鑑定した結果と異なっている。複数人の目撃証言が一致する、被害女児を誘拐して犯人と推測される男の人相・体格と、男性の人相・体格は著しく異なっているが警察は無視した。
    男性は結果として再審による無罪判決は得たが、34年8ヶ月間の身柄拘束され29年8ヶ月は死刑囚として暮らす生活を送った。
    無実の男性を犯人視して以降はそれ以外の捜査を行わなかったので、殺害事件の真犯人を探し出すことはできなかった。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1969年
    【#45】江東区小5女児誘拐殺人事件
    江東区小5女児誘拐殺人事件(こうとうくしょうごじょじゆうかいさつじんじけん)は、1969年5月に発生した殺人事件。

    概要


    1969年5月31日に東京都江東区に住む小学5年生の女児【名字不明】恵美子ちゃん(当時10歳)が若い男に車で連れ去られる事件が発生。3日後の6月3日に同区の埋立地で他殺体となって発見された。恵美子ちゃんは乱暴された形跡があり、死因は首を絞められたことによる窒息死だった。
    誘拐発覚から遺体発見までの間は報道管制が引かれていた。目撃された車がライトバンになったり、日産・サニーやマツダ・ファミリアになるなどして、捜査は迷走した。
    4300人の捜査員を投入したものの、犯人に行き着くことなく1984年5月30日に時効が成立した。
    この事件については、朝日新聞などで「犯人は内気な性格」「事件は性的虐待目的」などと言った推測が発表された。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1979年
    【#33】北関東連続幼女誘拐殺人事件
    北関東連続幼女誘拐殺人事件(きたかんとうれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは1979年以降、栃木県群馬県で発生している誘拐殺人事件である。

    概要


    1979年以降、北関東において幼女の誘拐事件が起きている。その内、栃木県群馬県の県境であり半径20キロ以内で発生した5事件がまとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされることが多い。
    事件の特徴として、誘拐または行方不明となったのが4歳から8歳までの女子児童である点、3事件においてパチンコ店が誘拐又は行方不明現場になっている点、3事件において河川敷での死体遺棄になっている点が共通点としてあげられている。5事件とも未解決事件となっている。
    日本テレビの報道特別番組『ACTION』で、記者の清水潔が「5件の事件は連続事件なのではないか」とする観点から2007年1月から報道を続けている。同番組では、「足利事件」の被疑者が1991年に逮捕されて身柄拘束中であるにも拘らず、その5年後に類似事件の「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし、逮捕された菅家利和氏は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。菅家氏のDNA再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ、真犯人と菅家氏のDNA型は一致せず釈放となった。

    一連の事件


    一連の事件の位置関係
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    1979年の殺人事件
    1979年8月3日、栃木県足利市の女児福島万弥ちゃん(当時5歳)が自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうちに行方不明となる事件が発生。6日後の8月9日、渡良瀬川近くでリュックサック詰めで全裸遺棄されている万弥ちゃんの遺体が発見された。リュックサックは市内の業者の特殊仕様によるもので数10個しか売られていなかった。
    また、行方不明になる直前にはトレパン姿の30歳ぐらいの男と話しているのを近所の主婦が目撃している。

    ・1984年の殺人事件
    1984年11月17日、栃木県足利市の女児長谷部有美ちゃん(当時5歳)がパチンコ店「大宇宙」から行方不明となる事件が発生。
    有美ちゃんは両親がパチンコをしているあいだ、店内や店の外で遊んでいたが、いつのまにか姿が見えなくなった。両親がいないことに気づいたのは午後6時ごろで、店の周囲を探し回ったが見つからず、足利署に届け出た。
    4日後、有美ちゃんの通う幼稚園に、有美ちゃんと見られる女児と40~50代ぐらいの男からの電話が入る。
    電話を受けたのは園長で、1回目は午後4時過ぎで、女児の声で「せんせい・・・」と言っただけで切れた。その3分後、再び電話が入り、女児は「せんせい、いま、こうせいびょういんにいる」と泣き声で訴え、続いて男が有美ちゃんの自宅の電話番号を聞いてきた。
    午後4時21分頃、今度は有美ちゃんの自宅に電話が入る。女児は「たすけてちょうだい」とか細い声で話し、父親が所在を問うと「佐野のこうせいびょういん」と答えた。
    通報を受けた足利署はすぐに佐野市の「佐野更生病院」、足利市の「更西病院」、さらに群馬県桐生市、館林市の厚生病院に捜査員を急行させたが、有美ちゃんの姿はなく、捜査本部は後にこれをイタズラ電話と断定している。

    1986年3月7日、有美ちゃん宅から1.7kmほど離れた同市大久保町の市立大久保小学校東側の畑で、飼い犬がさかんに土を掘ろうとするので、畑の所有者が掘ってみたところ、女児の衣類が見つかった。
    翌朝から捜査員がこの畑を発掘捜査してみると、他の衣類と子供の白骨死体が見つかり、これが有美ちゃんであることがわかった。

    ・1987年の殺人事件
    1987年9月15日、群馬県尾島町に住む小2女児大沢朋子ちゃん(当時8歳)が子猫を抱いて自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明に。翌年の11月27日、利根川河川敷で白骨死体の一部が発見された。
    詳細は「群馬小2女児殺害事件」を参照

    ・1990年の殺人事件
    1990年5月12日、栃木県足利市の女児松田真実ちゃん(当時4歳)がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。5月13日に渡良瀬川河川敷で全裸遺棄された真実ちゃんの遺体が発見された。1991年12月2日、DNA鑑定で犯人と同一人物だったことで同市内に住む幼稚園バスの運転手が逮捕され、2000年7月17日に無期懲役判決が確定。しかし、当時のDNA鑑定は精度が低いことが指摘され、2009年5月に再度DNA鑑定を実施した際に被疑者と犯人と同一人物ではないという結果が出たため、同年6月に刑が執行停止となり、釈放された。
    詳細は「足利事件」を参照

    ・1996年の失踪事件
    1996年7月7日、群馬県太田市の女児横山ゆかりちゃん(当時4歳)がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。この事件は女児の行方が発見されていないため、殺人事件ではなく失踪事件となっている。
    詳細は「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」を参照

    その他の未解決事件


    上記の5事件以外でも栃木県群馬県では幼女に関する未解決事件が発生している。
    ・1985年の失踪事件
     1985年10月10日午後1時半ごろ、栃木県日光市西小来川の母親の実家に帰省していた真岡市内に住む佐々木奈保子ちゃん(当時3歳)の行方がわからなくなった。奈保子ちゃん実家に一家5人で帰省し、魚釣りに行った姉と兄のあとを追って実家近くに流れる幅4メートル、深さ40センチの沢に向かったまま行方不明となる事件が発生。

     奈保子ちゃん一家は10日の正午ごろ実家に遊びに来た。午後1時半に長女(10歳)と長男(8歳)の後を追って沢に向かったところまでが確認されている。午後2時ごろ長女と長男が実家に戻ってきたときいなくなったことに父親が気付いて警察に通報した。
     警察では沢に転落して流された、山林に迷い込んだ、誰かに連れ去られたかの3つの可能性を考えて1200人体制で捜索したが見つからなかった。
     現場は日光市内であるが観光地とは無縁の山奥で外部の人はあまり訪れない。訪れるのは沢で渓流釣りを楽しむ人ぐらいだ。
     警察では沢に転落しても流されるような状況ではなく、事故であれば大規模な捜索で見つかるはずで、誘拐された可能性で捜査を続けたが、手がかりがなく「時効」を迎えている。

    ・1987年の誘拐殺人事件
    詳しくは「功明ちゃん誘拐殺人事件」を参照。ただし、被害者は、男の子である。

    ・2005年の殺人事件
    2005年12月1日、栃木県今市市(現日光市今市)木和田島、会社員、吉田正信さん(当時41歳)の二女で同市立大沢小1年、吉田有希(ゆき)ちゃん(同7歳)が下校途中に行方不明になり、同2日午後、約65キロ離れた茨城県常陸大宮市三美の山林内で胸を複数回刺された遺体で見つかった。
    詳細は「栃木小1女児殺害事件」を参照
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