あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1969年
    【#28】鹿児島夫婦殺し事件
    鹿児島夫婦殺し事件(かごしまふうふごろしじけん)は、1969年1月15日に鹿児島県鹿屋市下高隈町で発生した殺人事件とそれによって生じた冤罪事件のことである。本事件は、冤罪の被害を受けた男性が国家賠償訴訟をおこしたことに特徴がある。事件が起こった地名から高隈事件(たかくまじけん)あるいは鹿屋夫婦殺し事件(かのやふうふごろしじけん)とも呼ばれる。

    概要


    事件は1969年1月15日に鹿児島県鹿屋市下高隈町の農家の夫婦(事件当時、夫38歳、妻39歳)が殺害された。1月18日に事件が発覚。事件から3ヶ月後、被害者らの知人が犯人と疑われ、詐欺の別件逮捕。その後、警察による長期間の身柄拘束の末に犯行を自白。夫婦両名に対する殺人罪(併合罪)で起訴された。

    裁判の経過


    第一審・控訴審において両殺人罪の成立が認められ、懲役12年(求刑は懲役15年)の有罪判決が出た。 最高裁判所(最判昭和57・1・28刑集36巻1号67頁)が法令違反及び重大な事実誤認を理由に判決を破棄し、第二審の福岡高等裁判所に差戻し。1986年4月に、判決差戻審判において無罪判決。同年の5月に確定した。福岡高裁は、「別件逮捕、拘置中の取り調べは任意捜査の限度を超え、自白調書に証拠能力がない。アリバイも成立する」との判断を下した。

    国家賠償訴訟


    その後、総額6100万円の国家賠償訴訟を東京地方裁判所に起こした(後に鹿児島地方裁判所に移送)。 1993年4月19日に、第一審で取り調べ警察官及び担当検察官の捜査追行上の違法を認定し鹿児島県と国に対して約3900万円の支払いを命じた。 福岡高裁宮崎支部は1997年3月に、国と県の控訴を棄却し、賠償額を増額して認容した。この判決では、検察官が、警察官の違法な取調べなどに対して、積極的に捜査指揮権を発動するなどして、これを阻止しなかった不作為を違法と断じた。 この控訴審判決に対して、国と県は上告できず判決は確定。 しかし、冤罪の嫌疑を受けた男性は1995年3月に原因不明の自宅の火災によりすでに死亡していた。

    備考


    司法研修所では、前期修習において、この事件の記録を元に刑事弁護修習を行うようになった。そのため、導入時期以降の法曹には、有名な事件である。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1978年
    【#6】アベック失踪事件
    アベック失踪事件(アベックしっそうじけん)とは、1978年夏に起きた、多数のアベックが行方不明となった一連の事件を指す。
    失踪事件は福井県(地村保志・浜本富貴恵)、新潟県(蓮池薫・奥土祐木子) 、鹿児島県(市川修一・増元るみ子)にて3件起きていたが、事件がいずれも海岸で起きていること、行方不明者に失踪する動機が見当たらないこと、海岸まで乗ってきた交通手段(自動車など)が放置されたままであることなど、当初から不可解な点が目立った。
    これらの事件の直後に、富山県氷見市でアベックが4人組の男性に襲われる事件が起きる。アベックは猿ぐつわをはめられ、体ごと袋に入れられたが、ちょうど近くを通った犬の鳴き声を聞いた男達はアベックを置き去りにして逃亡した。アベックはそれぞれ袋に入れられたまま近くの民家に助けを求めた。場所はやはり海岸で、海水浴場の一角でもあった。しかし明らかにステテコ姿にズック靴で海水浴客とは思えないような格好だったこと、そしてアベックの近くでずっと座ったまま身を潜めていたこと、これらのことをちょうど救助先の民家も当日海水浴場にいて不審に感じていたことから、土地勘のない人間による犯行の可能性が考えられた。更に4人組が現場に残した遺留品を鑑定した結果、猿ぐつわや手錠等の品質から、工業力に劣る外国製の物であることが判明した。
    サンケイ新聞社会部記者の阿部雅美は、この頃「日本海側の各地でおかしなことが起きている」という地元の噂を耳にし、取材を進めていたところ、3件の失踪事件とこの誘拐未遂事件にたどりつく。阿部は3件の失踪事件に共通点が多いこと、誘拐未遂事件の遺留品が日本製でなかったこと、またその時に4人組がアベックを袋に入れたことに着目し、「袋に人間を入れて運ぶという発想は日本人では考えられない」と疑問を抱く。更に1978年夏には外国を発信源とする怪電波が多くキャッチされていたことが、警察庁の調査で明らかになっていた情報も入手する。これらの事実を元に阿部は1つの事件として結びつけていく。
    1980年1月7日、サンケイ新聞は1面トップで「アベック三組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」と暗に北朝鮮による犯行であることを示唆。阿部によるスクープは世論にある程度の衝撃を与えたが、当時の日本では社会党をはじめ親北朝鮮勢力が政界・マスメディア界で幅を利かせており、他のメディアも「産経は公安の情報に踊らされている」として、動かなかった。社会党も、友好関係にある朝鮮労働党の“北朝鮮は事件と関係ない”とする説明を鵜呑みにし、拉致被害者奪還の国民運動まで高まることは無かった。
    1997年に横田めぐみの北朝鮮拉致報道をきっかけに、政府も世論も北朝鮮による日本人の拉致という現実を知り、併せてアベック3組の失踪も拉致の可能性が高まった。世論による被害者奪還運動も各地で起き始め、その後政府が拉致被害者を正式に公表する流れへとつながっていく。阿部自身も同年、アベック失踪事件記事の先見性が認められて新聞協会賞を受賞している。
    2002年9月17日、小泉純一郎日本国総理大臣の訪朝によって実現した日朝首脳会談で、北朝鮮の“最高指導者”金正日総書記が北朝鮮による拉致行為であったことを認め、口頭で謝罪。一部の失踪者の帰国が実現したが、生死不明の者も残され、未だ全面解決には至っていない。
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