あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1994年
    【#101】 日本テレビ郵便爆弾事件
    日本テレビ郵便爆弾事件(にほんテレビゆうびんばくだんじけん)は、1994年12月に日本テレビ放送網に郵送されたパイプ爆弾が爆発し、2名が重軽傷を負った事件。

    概要


    1994年12月21日水曜日午後5時45分頃、東京都千代田区二番町の日本テレビ放送網西本館(現・日テレ麹町ビル西館)6階にある編成局特別制作部製作センターで、子役の安達祐実(13歳)宛に送られてきた封筒が爆発。封筒を手で破って開封した、安達の所属事務所であるサンミュージックブレーンの31歳の男性社員が左手親指に重傷、日本テレビ関連会社映放(現・日本テレビ人材センター)の30歳の女性社員が軽傷を負った。近くに居合わせた、安達のマネージャー(35歳男性)も一時音が聞こえなくなる被害を受けた。なお、当時安達本人は隣接する北本館のスタジオで年末年始番組の収録を行っており、怪我はなかった。
    日本テレビ宛の郵便物はいったん館内の集配所で区分けされた後に各部署に配布されることになっており、爆発が起きたのは、映放社員がたまたま居合わせた安達の所属事務所の社員に「重いので気を付けるよう」注意の言葉を掛けて手渡した直後のことだった。
    麹町警察署及び警視庁捜査一課は傷害及び爆発物取締罰則違反の容疑で捜査を進めていたが、容疑者の検挙には至ることなく2009年12月21日時効が成立した。なお、爆発物取締罰則の最高刑は死刑であり、当時の刑事訴訟法での公訴時効は15年となる。

    送付された郵便物


    縦25cm・横9cmの市販の白色封筒で、宛先は「東京都千代田区二番町14 日本テレビ放送網アナウンス部 安達祐実様」、差出人は「都内港区新橋1-9-6 旭通信社」となっていた。500円の切手が貼られ、12月19日付の芝郵便局の消印があることから、12月18日夜から19日の夕方に掛けて芝局区内のポストに投函されたと見られている。
    封筒から、はんだ付けの跡がある単3乾電池3本、直径1.7cm×長さ14cmの鉄パイプ、ニクロム線、赤白のリード線、厚さ数mm・一辺1cmの正方形板状の磁石などが発見され、火薬の量は20g前後と見られている。
    なお、差出人として記された大手広告代理店の旭通信社(現・アサツー ディ・ケイ)は、広告業務において日本テレビとの取引はあるが、本件とは無関係と見られている。

    同様の事件


    前年の1993年夏に、ニッポン放送に爆発物が送りつけられる事件が2件発生している。宛名はいずれも深夜番組オールナイトニッポンのパーソナリティで、7月29日には裕木奈江、8月3日には加藤いづみとなっており、封筒の中から単3乾電池や爆竹が発見されている。
    翌年の1995年5月16日、東京都庁舎で青島幸男都知事宛に送られた小包が爆発、開封した男性職員が重傷を負った(東京都庁小包爆弾事件)。本をくりぬいて爆発物が仕込まれてあり、起爆の仕組みは日本テレビのものとほぼ似ていた。この事件はオウム真理教によるものであった。
    これらの事件を契機に郵政省(当時)は、不審な郵便物にはX線検査を行うようになった。
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1994年
    【#79】チマチョゴリ切り裂き事件
    チマチョゴリ切り裂き事件(ちまちょごりきりさきじけん)は、日本で1994年5月から同6月にかけて報道された、朝鮮学校の女子生徒のチマチョゴリが登校中に切り裂かれたとされている一連の事件。

    被害状況


    警察に被害届けが出されたのは22件だが、朝鮮総連は被害数124件と主張している。22件中12件が登下校中に女子生徒が衣服を切られたという件、8件が暴行及び傷害事件、窃盗と強制わいせつ事件が各1件である。検挙された事件のうち、一件は性犯罪、もう一件は中学生同士の喧嘩として、政治的背景はないと警察はみなした。

    事件の背景と評価


    事件が発生した頃は北朝鮮による核開発疑惑をめぐって朝鮮半島情勢が緊迫し、世論の批判が高まっていた時期である。朝鮮総連は犯行の意図について政治的背景による影響を指摘したが、犯行声明が無いなど組織的な犯行の根拠もなく、犯人自体の検挙実績も少ないことから事件の政治的・民族的憎悪の背景は認められていない。そのため、類似する犯罪である成人式等における和服への切り裂き行為、および類型的な痴漢や暴行行為と比べた際、特別に政治的・民族的な憎悪を背景に持つ犯行であるとは断定できない。
    以上の背景から、朝鮮人を迫害するという意図を持った行為であると主張する事で同情票を集め、より問題性の有る北朝鮮とその支持勢力である朝鮮総連に対する核疑惑の批判を回避、軽減する為の「自作自演」の可能性を指摘し、「朝鮮総連による政治的キャンペーン」と主張する記者が存在する。ジャーナリストの金武義は、「女子生徒は在日の広告塔か」と問題提起した。

    事件後の動き


    朝鮮総連などは、この事件は核開発や、ミサイル発射など政治的抗議を背景とする在日朝鮮人児童・生徒に対する嫌がらせだと日本政府に抗議した。
    日本政府は、朝鮮総連の抗議に対して、いかなる思想信条を持っても憲法によりその自由は保障されるが、それを超えて刑法犯罪にいたった場合は、以前より厳重にとりしまりをおこなっていると表明し、思想犯としての取締りを拒絶している[要出典]。また、政府は人種差別撤廃条約に関連してこの事件に言及した。
    日本全国の朝鮮学校ではこの事件をきっかけに「第二制服」が作られた。いわゆる普通の制服(ブレザー)である。ほとんどの学校で「第二制服」が着用されている。
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    DATE: 2010/06/01(火)   CATEGORY: 1994年
    【#64】住友銀行名古屋支店長射殺事件
    住友銀行名古屋支店長射殺事件(すみともぎんこうなごやしてんちょうしゃさつじけん)とは1994年9月に発生した殺人事件。2009年9月に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた未解決事件

    概要


    1994年9月14日午前7時20分頃、名古屋市千種区のマンションのエレベータホールで住友銀行(現・三井住友銀行)名古屋支店長(当時54歳)が射殺死体となって発見された。
    住友銀行をめぐってはこの事件の前から神戸市の住友銀行頭取の自宅や住友銀行支店に火炎瓶が投げつけられるなどの事件が相次いでいた。
    11月11日、住友銀行本店に融資を求めて訪れた男(当時73歳)が短銃を持っていたため銃刀法違反で逮捕された。男は「自分が住友銀行名古屋支店長を殺した」と供述し、男が所持していた短銃の弾丸の線条痕が支店長射殺事件のものと一致した。さらに男は1977年の愛知医大3億円強奪事件で懲役13年を受けていた前科があった。
    しかし、男の供述した侵入経路が犯行現場の物証と矛盾しており、本当の実行犯であると裏付けができる証言内容は得られなかった。捜査当局は身代わり出頭の可能性が大きいとして依頼人が誰かを追及するも、男はあくまでも自分が犯人だと主張し、背後関係については一切語らなかった。
    結局男は射殺事件では起訴が見送られた。男は銃を所持していた銃刀法違反で起訴され懲役7年判決を受けた。その後、男に対して1997年に歯科医強盗未遂事件で懲役3年、2000年にはJRA理事長襲撃事件で懲役4年と別件で有罪が確定している。
    2009年1月末、男は収監先の岐阜刑務所にて87歳で病死。同年9月10日には容疑者不詳のまま名古屋地検に書類送検し[1]、9月14日、15年の公訴時効が成立。のべ15万3000人の捜査員を投入した殺人事件捜査は未解決のまま終わった[2]。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1994年
    【#26】男鹿市強盗殺人事件
    男鹿市強盗殺人事件(おがしごうとうさつじんじけん)とは、1994年10月に秋田県男鹿市に住む冷菓会社従業員杉本葉子さん(当時65歳)が自宅で絞殺体で発見された事件。秋田県警での正式名称は男鹿市五里合地内における強盗殺人事件。
    2009年10月に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた(未解決事件)。

    概要



    1994年10月16日の早朝、秋田県男鹿市五里合神谷にある杉本さん宅に親せきが訪ねると、自宅の1階の寝室で杉本さんが亡くなっているのを発見し、事件が発覚した。犯行日は10月14日ごろと見られている。
    死因は首の絞められたころによる窒息死で、他にも頭や顔に鈍器で殴られたような傷があった。寝室の押入れにあった耐火性金庫(重さ80kg)が無くなっており、現在まで耐火性金庫は発見されていない。

    捜査本部は「杉本さん宅の事情に通じ、土地勘もある男による金目当ての単独犯行」とみて捜査していた。現場からは 犯人が残したと思われる足跡や吸っていないたばこ、石こうのような粉末、殺害に使われた漁業用ロープなどが 見つかり、一部は製造元が割り出されたが、大量生産や流通の広域化の壁に阻まれるなどし、容疑者特定に結び付けられなかった。また残された足跡から単独犯との見方を強めていた。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1994年
    【#23】大洲市祈祷師殺人事件
    大洲市祈祷師殺人事件(おおずしきとうしさつじんじけん)とは、1994年11月に愛媛県大洲市に住む祈祷師辰野マスコさん(当時69歳)が自宅で刺殺体となって発見された事件。
    2009年11月に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた(未解決事件)。

    概要


    1994年11月25日午前9時25分頃、信者の女性が訪ねて来ると、辰野さんがうつ伏せの状態で倒れており、その直後辰野さんの娘の三女が到着し、119番通報をする。辰野さんは病院に搬送されたが、死亡した。当日は、午前7時40分頃にゴミ出しが終わって戻ってきたところを目撃されており、犯行時刻は午前7時40分 - 9時25分の間と見られている。
    死因は首の深い刺し傷による出血多量で、その他にも全身に数十箇所もの細かい刺し傷や、切り傷が見つかっている。凶器は鋭利な刃物だが見つかっていない。争ったあとや逃げまわったあともなく、室内には物色や盗難の形跡もなかった。
    2000人近い信者や祈祷依頼者を捜査するも有力な手がかりは得ることができず、2009年11月25日に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた。

    当日の経過


    7時
    信者から祈祷の依頼の電話を受ける。

    7時10分頃
    辰野さんの娘の四女と10分ほど電話で話している。

    7時35分頃
    辰野さんがゴミ出しに出かける。

    7時40分頃
    辰野さんがゴミを出し終えて戻るところを目撃される
    これが辰野さんが生存している最後の目撃情報となった。

    9時25分
    辰野さん宅に信者の女性が訪れて、辰野さんがうつ伏せの状態で倒れているのを発見。直後に三女が到着する。

    9時30分
    119番に通報。

    10時5分
    警察が事件現場に到着。
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