あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1996年
    【#81】坪野鉱泉失踪事件
    1996年(平成8年)5月5日に氷見市在住の女性2名が家族に「肝試しに行く」と告げて外出し、友人のポケットベルに「魚津市へ行く」と言い残したまま失踪した事件が発生した。

    概要


    富山県警察は行方不明になった魚津市には廃墟となった坪野鉱泉旅館跡に出向きその後失踪という結論に至り、事件・事故の両面から捜査を行ったが事件から1年後である1997年(平成9年)5月4日時点で手がかりが何もないことが『読売新聞地方版・富山よみうり』にて、「少女不明から1年」と題して2日間に渡って地域ニュースの特集記事として報じられた[2]。
    紙面では更に、女性の片方が所有し失踪当時運転していた乗用車が発見されないことから県警ヘリと山岳捜索隊を組織し崖下など車が転落しそうな地点を捜索したが発見に至らず、当時の坪野鉱泉が暴走族のたまり場であったことから事件に巻き込まれた可能性もあるとしている[2]。
    また、記事中では、
    坪野鉱泉旅館跡地は週末になると石川県、新潟県、福井県、岐阜県など他県からの暴走族が集会に集まる場所となっていること
    地元民から治安上不安な場所として不安視される声が出ていること
    敷地内はガラスが割られ、落書きされ、立ち入り禁止を示すロープなどは切断されるなど危険な場所となっていること
    などが紹介されている[2]。
    本事件は、その他に、乗用車が新湊の海岸で発見された[要出典]との情報があり、北朝鮮拉致説もある。
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    DATE: 2010/05/29(土)   CATEGORY: 1996年
    【#61】ジョンベネ殺害事件
    ジョンベネ殺害事件(-さつがいじけん)はアメリカのコロラド州、ボルダーでジョンベネ・パトリシア・ラムジー(JonBenét Patricia Ramsey、1990年8月6日 - 1996年12月26日)当時6歳の少女が誘拐され、1996年12月26日に自宅地下から遺体が発見された事件。

    概要


    被害者が美少女コンテストの常連であったことが大きく報道され、警察が家族犯行説を取ったことで家族から協力が得られず、捜査が難航した。母親のパトリシア(パッツィー)は元ミス・ウェストバージニア、娘のジョンベネを自身では叶えられなかったミス・アメリカにさせるのが夢で、美少女コンテストに積極的に参加させていた。ジョンベネは4歳の時に整形手術をしている。父親のジョン(後妻パトリシアとの間にもうけた息子はジョンの長男(ジョンベネの兄)と紹介する番組もあるが、パトリシアにとっての長男であり、ジョンには先妻との間に3人の息子をもうけている為、誤りである)は会社経営をしており、家は部屋数が15もある豪邸で大変裕福な家庭であった。

    事件


    1996年12月25日の夜、ジョンベネとその家族は友人らとクリスマスパーティーに出席、一家はパーティーが終わると自宅へ戻り、ジョンベネはすでに車の中で眠ってしまっていたため、父親が抱きかかえてベッドに連れて行った。
    翌26日の朝、ボルダー警察署にジョンベネの母親から「ジョンベネが誘拐された」との内容の電話があり、捜査本部が設置された。
    階段に犯人から手紙がきていたと、父親は捜査官などに手紙を見せたところ、手紙は手書きで合計3枚で、ジョンベネ宅にあった黄色いメモ用紙に書かれていた。手紙には「警察には連絡するな。午前8時から10時ごろ連絡する。警察に連絡したらおしまいだ。金を用意しろ」などと書かれていた。母親は警察に通報。
    また、なぜか犯人は自宅内にあった懐中電灯の電池の指紋まで拭き取っていた。家の中を捜索したが、地下室の一部屋だけが忘れられていた。
    脅迫状の10時を過ぎても犯人からは連絡はなかった。再度家中を探しなおした結果、前に探さなかった地下室の部屋でジョンベネの遺体が発見され、ただちに検死解剖がおこなわれた。ジョンベネの遺体には、口はガムテープで塞がれ、首に紐で縛った痕、頭部に打撲傷があり、手のひらにはハートマークが書いてあった。

    事件後の経過


    捜査の結果、家の塀には足を引きずった跡なども見つかり、検死解剖の結果、性的暴行を受けていたことなども判明、また、脅迫状には“金を用意しろ”と書かれていたが、捜査官は性的暴行だけが目的で誤って殺害されたとの見解を示している。
    身代金11万8000ドルという数字は、父親ジョンがその時期受けとったボーナスの額と全く同額で、ラムジー家に精通している者の犯行を強く示唆していた。
    また、事件から数ヵ月後にはジョンベネと同じダンス教室でダンスを習っていた別の少女、エミリーが何者かに誘拐されそうになっている。
    母親のパッツィーは1993年に癌の診断を受け、その後回復に向かったものの2002年に再発。2006年6月、卵巣癌のため死去した。
    その後、2006年8月16日、タイ・バンコクで元教師の米国人男性が容疑者として逮捕された。逮捕後、男性はコロラド州に移送され、DNA鑑定が行なわれたが、結果不一致であることが判明。事件は振り出しに戻った。
    2008年7月9日、新たに行われたDNA鑑定により、ジョンベネの家族の潔白が改めて証明される事になった。ジョンベネの衣類などから採取されていた男のDNAが、家族の誰のものとも一致しなかった為である。しかし、当初の報道のセンセーショナルさはあまりに強烈であり、現在でもこれを信じ、家族の犯行であると頑なに主張している者も少なくない 。
    なお日本では、容疑者逮捕の初期報道において、日本テレビやスポーツ報知などが、「DNA鑑定はすでに行なわれており、容疑者のものと一致した」という内容の誤報を流している。
    今回の事件では警察は「現場維持」を怠ったため、ジョンベネについたとされる多くの証拠が遺族の涙などで台無しになってしまった。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1996年
    【#54】柴又女子大生放火殺人事件
    柴又女子大生放火殺人事件(しばまたじょしだいせいほうかさつじんじけん)とは1996年9月9日に東京都葛飾区柴又で発生した殺人事件。被害者の女子大生は2日後に海外留学を控えており、直前の惨劇であった。2010年4月現在で未解決。
    捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)対象事件である。

    概要


    1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女性A子さん(当時21歳)の遺体が発見された。遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていたことから警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われたが、2010年4月現在も犯人逮捕に至っていない。
    事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という造園業(造園業では「からげ結び」を「かがり結び」とも呼ばれる)や和服の着付けなどで使われる特殊な方法だったこと、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことが公開された。

    月曜日の夕方、45分内の凶行


    1996年9月9日(月)この日は朝から雨が降ったりやんだりしていたが、昼過ぎから強く降り出し始め、15:00時過ぎにはさらに激しくなっていた。父親は福島に出張中、姉も仕事でおらず、家には母親と被害者A子さんの二人きりだった。15:50少し前にA子さんがトイレに行くために自室から一階に降りてきた。仕事に出かける準備をしている母親に「こんなに雨が降っていても自転車ででかけるの?」と話す。この会話が最後の会話になった。
    15:50-母親が仕事のために家を出る、この時玄関に鍵はかけなかった
    16:15頃-近所の通行人によると火は出ていなかった
    16:35-出火
    16:39-隣家から119番通報
    18:00頃-内部が全焼、ようやく火が消し止められる
    消防隊員が2階でA子さんを発見、直ちに病院に搬送され死亡が確認された。

    被害者と室内の様子


    A子さんは2階の両親の寝室で父親の布団の上で横向きに寝かされ、夏用の掛け布団を頭からかぶせられていた。布団の左右の端は体の下に挟み込まれていた。
    A子さんは首を右側に集中して6か所刺されて出血多量で死んでいた。
    口には粘着テープが貼られていた。
    両腕も粘着テープで縛られていた。かなり抵抗したとみられる傷が手に数か所あり、その上から粘着テープが巻かれていたので両手は殺害後に縛られたと見られている。
    両足はストッキングでからげ結びに結ばれていた。からげ結びは造園、足場組み立て、和服着付け、舞台衣装、古紙回収、電気工事、土木関係などの業種で用いる。
    着衣の乱れはなかった。
    気管にすすが付いていなかったことから殺害後に放火したとみられる。
    仏壇のマッチで1階東側の6畳和室の押入れに放火されていた。
    1階のパソコンにも火がつけられていた。
    父親が普段使用しているスリッパが2階に揃えて残されていた。

    凶器


    刃物-小型ナイフのような鋭利な刃物で約8センチ、刃幅約3センチとみられる。まだ見つかっていない。
    粘着テープ-外部から持ち込まれ使用された。

    遺留品


    複数の犬に囲まれる生活?
    犯人が持ち込んで使用した粘着テープに三種類の犬の毛が付着していたことが2009年1月に判明した。A子さん宅は一度も犬を飼ったことがなく、捜査本部は犯人が複数の犬に囲まれる生活をしていた可能性が高いとみている。
    血液型はA型
    2階にある仏壇の近くにあったマッチ箱が1階玄関付近に落ちていたが、そこからA型の血液が採取されている。被害者も含め家族にA型の人間はいない。マッチ箱は犯人が火を付ける際、使用したとみられる。

    見えない動機


    粘着テープが持ち込まれていたことから計画性がうかがえるが、人目に付く時間帯の犯行などから様々な説が流れている。
    顔見知り説 [編集]
    父親のスリッパが2階にあったことから、顔見知りの人間を家に招き入れた可能性がある。
    犯行が人目につきやすい夕方に短時間で行われている。
    遺体上半身に頭から夏用の薄い掛け布団が掛かけられていた。
    ストーカー説 [編集]
    留学の2日前に起きた犯行から考えられるが、暴行された形跡がない。
    事件発生約10日前の96年8月末、午前0時頃、送別会からの帰宅途中、男に後を付けられたため駅まで戻った。
    強盗説 [編集]
    引き出しが荒らされ1万円が無くなっていたが、洋服ダンス内の預金通帳、留学のためのリュックサックにあったトラベラーズチェックや現金など13,4万は手つかずだった。

    家からなくなったもの


    旧1万円札(86年まで発行された聖徳太子の肖像入りの紙幣)-父親が1階居間の戸棚の引き出しに1枚だけ保管していた。現場検証で、戸棚の引き出しに物色された跡があり、その紙幣だけが見つからなかった。 

    現場近くで見られた不審者


    事件当日の午後4時30分から40分頃。雨の中を傘も差さず、現場付近から駅の方面へ走って行った20~30代の「逃走男」
    午後4時頃。道路に立って被害者宅の様子を窺っていた40代の「覗き男」
    午後4時頃。被害者宅の南側で自転車を乗り回していた30代前半の「自転車男」
    午後1時頃。被害者宅付近で主婦を尾行し、家の前でライターをいじくり、体操をしていた40歳前後の「体操男」
    午前9時から午後3時までの6時間、金町公園周辺をうろついていた「白い手袋の男」
    事件の数時間前、京成高砂駅で「柴又3丁目はどこですか?」と道を尋ねていた「高砂の男」
    事件前日の8日、午前5時頃。被害者宅近くの掲示板付近で「ふざけんな! ブッ殺すぞ!」と叫び、軍歌を歌いながら自転車で走り去った「軍歌男」「週刊文春」(1996年9月26日号)
    事件前、被害者宅を見ていた男。30代後半、身長約160センチ、やせ形。黄土色のレインコートと黒ズボン姿(毎日新聞)
    事件当日午後4時頃、黒傘をさして現場近くに立っていた中年男。
    これと似た男が事件当日朝、京成高砂駅(柴又駅の隣駅)付近で柴又3丁目への行き方を主婦に尋ねている。
    事件3日前の正午過ぎ、40歳ぐらいの中年男が近くの何軒かの家に入りこんで追い返されたり、他人の家の門前でライターをカチャカチャいじるなど不審な行動を取っていた。
    事件当日の午後4時半頃、現場近くから、土砂降りの中、白い手袋をした20代後半から30代前半の男が、傘も刺さずに柴又駅の方向に向かって走り去った。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1996年
    【#25】太田市パチンコ店女児連れ去り事件
    太田市パチンコ店女児連れ去り事件(おおたしパチンコてんじょじつれさりじけん)とは1996年7月に横山ゆかりちゃん(当時4歳)が行方不明になった事件。何者かに連れ去られた可能性が高いと見られている。

    概要


    1996年7月7日(事件当日)
    午前10時半頃
    パチンコ好きの夫婦は群馬県太田市のパチンコ店にゆかりちゃん(当時4歳)と次女(当時7カ月)を連れてきた。次女はパチンコをしている親に抱かれていたが、ゆかりちゃんは親の手から離れて暇つぶしに店内を散策して遊んでいた。

    正午頃
    母親は店内で弁当を買い、ゆかりちゃんと次女を連れて駐車場の車内で昼食を取った。母は午後からも同じようにパチンコを始めたが、しばらくしてゆかりちゃんが「もう一度食べたい」とパチンコ台の方にやってきた。そこで母はゆかりちゃんを出入り口付近にある長椅子に座らせ、そこで弁当を持たせた。

    午後1時40分頃
    父は長椅子に座っているゆかりちゃんを目撃している。
    しばらくすると、ゆかりちゃんは母のところにやってきて、「…のおじちゃんがいるよ」と言ってきた。この時の声は店内に鳴り響く騒音にかき消されよく聞き取れなかった。「おじちゃん」という言葉だけ理解できた母はゆかりちゃんに「ちゃんと座っててね」「ついてっちゃだめよ」とだけ言い、パチンコを打っていた。

    午後1時50分頃
    母がゆかりちゃんの姿が見えないのに気づく。ゆかりちゃんが座っていたはずの長椅子にはジュースと食べかけのおにぎりが残されていた。夫婦は駐車場、国道などを捜したがゆかりちゃんの姿は見えなかった。

    午後2時10分
    警察に通報

    事件から2日後の9日午前8時、機動隊員70名を動員して広範囲を捜索したが見つからなかった。また、パチンコ店の客や周辺などに聞きこみ捜査では、ゆかりちゃんが行方不明になったのと同じくらいの時刻に「白い乗用者に4歳くらいの女の子が乗りこんだ」という目撃証言もあった。しかし、パチンコ店には大勢の客がいたがパチンコに熱中するあまり、店内に一人でいる女の子の様子に注目していた人がいなかったため、それ以上の目撃証言は得られなかった。
    2010年4月現在、ゆかりちゃんの行方はわかっていない。2006年7月から1年間、太田市のパチンコ店で組織された太田遊技業防犯協力会は、ゆかりちゃん発見につながる有力情報の提供者に謝礼金300万円を限度に提供する制度を設けていた。

    防犯カメラに映ったサングラスの男


    店内で記録していた防犯カメラに帽子とサングラスを身に着けていた不審人物が確認された。
    男は事件当日の午後1時27分ごろ店に入ってきた。男はまず店の奥の目立たない場所にあるトイレに寄ったと思われる。約3分後、トイレから出てきた男は、パチンコ台の前で座ったり、両替したりするわけでなく、ただ店の中を徘徊していた。男が店の中を徘徊している時に、景品コーナーの前でゆかりちゃんとすれ違っている。
    1時33分、男は長椅子に座っていたゆかりちゃんの右隣に座った。ゆかりちゃんの右隣の男はタバコを吸い、灰皿を手を伸ばして使っている。やがて、男はゆかりちゃんに話しかけを見せ、右手で3回店内の外を指差した。
    1時42分、男はゆかりちゃんを残して席を立った。その後、ゆかりちゃんは両親の元に向かい話しかけていた。そして1時45分頃、ゆかりちゃんは出口方面に向かった。しかし、出入り口付近はカメラの死角となっており、店を出る2人の姿は映っていない。
    警察は「サングラスの男」を最重要参考人として考え、1996年12月6日、「サングラスの男」の映像とイラストを描いたポスターを作成して公開した。

    最重要参考人の特徴


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    ・身長は158cm前後
    ・帽子とサングラスを身に着けていた
    ・鼻がかなり高い
    ・頬骨が張って、顎がやや突き出ている
    ・頬がこけている

    パチンコ店連続幼女誘拐事件との類似点


    過去には太田市の近くである栃木県足利市で1984年と1990年に、この事件と同様にパチンコ店で女児が連れ去られる事件が発生し、両事件の女児が殺害される事件が起こっている(北関東連続幼女誘拐殺人事件)。1990年の足利事件は1991年12月2日にDNA鑑定を根拠に男性が逮捕されて自供したが、裁判では無実を主張。その後、当時のDNA鑑定の精度が低かったことが指摘されて冤罪疑惑が指摘されたが、男が勾留中の1996年に近くで同様の本事件が発生したため、冤罪疑惑をさらに強めるものとなった。足利事件の容疑者の男は2000年7月17日に無期懲役判決が確定し服役していたが2010年3月に再審無罪となった。
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1996年
    【#10】池袋駅構内大学生殺人事件
    池袋駅構内大学生殺人事件(いけぶくろえきこうないだいがくせいさつじんじけん)とは1996年4月11日(木)、池袋駅の山手線外回りホームで立教大学の小林悟さん(当時21歳)が男にからまれ、暴行を受けた末に後頭部を強打して死亡した事件である。
    この事件では被害者の父親が賞金を懸け情報を収集するなどしているが、2010年4月現在、未だに事件の解決には至っていない。池袋駅には犯人の似顔絵が張られている。

    概要


    1996年4月11日(木)午後11時30分頃、池袋駅の山手線外回り7・8番線ホームで当時立教大学の学生であった小林悟さん(当時21歳)が男に顔を殴られ転倒した際、後頭部を強打し、5日後に収容先の病院で死亡した。目撃者の証言によると、犯人はその後、山手線で日暮里駅方面に向かい、その後見失ってしまったという。
    被害者の男性は帰宅途中で犯人の男と何らかのトラブルに巻き込まれたとみられている。
    初めは傷害致死事件として扱われていたが、2002年7月に被害者の父親が3万5000人分の署名と公訴時効延長を求める嘆願書を法務省に提出した。その結果、傷害致死罪の公訴時効(7年)成立直前の2003年3月に容疑が殺人罪(公訴時効15年)に切り替えられた。
    公訴時効成立まで残り1年となった2010年4月に警察庁の捜査特別報奨金制度対象事件となった。

    犯人像


    ・24~38歳位、170~180cm、がっちり小太り、まぶたが重い、すわったような目つき、右目尻に穴状の古傷3個くらい有り、両まゆ毛とも目尻にかけ大変薄い、二重あご、耳が大きい

    ある投稿


    TVで特集を見て、あの男に間違いないと確信した。顔付、髪型、体型、迫ってくる印象が全く同じだ。目撃者が見れば瞬時に分かる。

    男は、準大手証券の池袋支店に在籍していた。毎月やる経済講演会で、まじかに顔を合わせていたので印象も深い。

    最大の特徴は目がしらの上の、くぼみだ。何回も話をしたが、TVに出ていた犯人特徴のくぼみに、どうしても目線が行ってしまい良く覚えている。

    事件の頃は都内支店長に転勤になっていたが、転勤後に、夜中の池袋で偶然見かけた時は、道ばたの看板を思いっきり殴り飛ばしていた。講演会の温厚な印象と違う凶暴性にびっくりした。

    その後、本社内勤に栄転したと聞いたが、今は何処にいるのか。 何故捜査線上に浮かんで来ないのか?

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