あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1995年
    【#104】八王子スーパー強盗殺人事件
    八王子スーパー強盗殺人事件(はちおうじスーパーごうとうさつじんじけん)は、1995年7月30日に東京都八王子市で3人が射殺された強盗殺人事件。
    現場となった店名からナンペイ事件ともよばれる。犯人は検挙されておらず、2010年4月現在で未解決。捜査特別報奨金制度対象事件で、その中で発生したのが最も古い事件である。殺人罪など最高法定刑が死刑の罪について、公訴時効を撤廃した上で遡及適用する改正刑法及び刑事訴訟法が、2010年4月27日に施行されたため、本事件についても公訴時効が撤廃され捜査継続が決まった。

    概要


    1995年7月30日午後9時15分から20分頃、八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」の2階事務所に拳銃強盗が押し入り、3人を射殺して逃走。
    被害者は、パートの女性A(47歳)、アルバイトの女子高生B(17歳)と女子高生C(16歳)の3人(年齢は、いずれも事件当時)。
    犯行時間は数分間(被害者Aの知人が、迎えに来るまでの間)。
    犯人は何も奪わずに逃走している。「金庫を開けようとした形跡もない」との情報もあり、金銭目当てではない可能性もある。
    女子高生2人は布製の粘着テープで手足を縛られ、至近距離から後頭部に1発ずつ発砲され、即死の状態だった。
    パートの女性は、体は縛られていなかった。後に、「鋭利な刃物で、腹部に致命傷にならない傷を負わされた後、銃弾2発を撃ち込まれていた」ことが判明。
    強盗と怨恨の両面から捜査しているが、犯人の目撃情報がなく、捜査は難航している。使用された拳銃は、フィリピン製のスカイヤーズビンガム。
    事件当日 [編集]
    『真相報道 バンキシャ!』2007年7月29日放送分より。
    時刻不明
    女性A(47歳)が出勤。知人男性に車で送ってもらう。
    閉店後、一緒に小料理屋に行く約束をしていた。
    時刻不明
    女子高生B(17歳)が自転車で出勤。自宅からスーパーまでは2、3分の距離。
    17時00分
    2人が勤務につく(Aは3号レジ、Bは2号レジ)。
    男性従業員が退社(以後、従業員は女性のみ)。
    17時30分
    買い物客が、「店の前をうろつく、不審な50代の男」を目撃する。白いシャツにグレーのズボン姿だった。
    18時30分
    北の原公園で、地元自治会の盆踊り大会が始まる。店の周辺は、太鼓と曲で騒がしくなった。
    スーパーから公園までは、約100m。盆踊り大会は、毎年行われている。
    18時50分
    非番の女子高生C(16)が、家から自転車で店に向かう。Bに会うためと、勤務予定を確認するため。
    19時59分
    Cが、「Bの横で、仕事が終わるのを待っている」様子を、買い物客が見ている。「終わったら祭りに行く」と話しているのも聞いている。
    20時00分
    店にいるのは、Cを含め女性3人のみ。
    Aは閉店(21時)より1時間早くレジを閉め、3号レジの売上金を2階の事務所に持って行く。
    20時30分
    レジ周辺は、女子高生B、Cの2人のみになる。
    店内に、「何も買わずにうろつき、あたりの様子を伺う40代から50代の男性」がいたことが、目撃されている。
    20時51分
    閉店間際、Cが牛乳や卵を購入(レシートから判明)。
    21時00分
    公園では炭坑節が始まり、盆踊りが佳境に入る。
    閉店時間。Bは2号レジの売上金を持ち、2階の事務所へ行く。
    売り上げ係だったAが、売上金を受け取る。金庫に入れダイヤルを回し、施錠する。
    21時03分
    盆踊りの最後を飾る太鼓の演奏が、周囲に大きく響き渡る。
    21時06分
    Aが店内の戸締り、消灯を行う。
    スーパーの横の路地に男の人影があったのを、運転中の住民が目撃。男は車のライトに顔を伏せた。
    21時07分
    盆踊りが終了。周囲は静かになる。
    21時15分
    事務所から、Aが知人男性に電話。迎えを頼む(通話記録より判明)。
    21時17分
    近くの路上で、高校生カップルが、スーパーからの5発の銃声を聞く。
    Aが電話してから、路上の高校生が発砲音を聞くまで、約2分30秒。
    21時20分
    Aの知人男性がスーパーに到着。駐車場に車を停め、Aが出てくるのを待つ。
    21時45分
    Aが出てこないので、「先に行ってしまった」と思い、確認のため小料理屋に向かう。
    21時45分以降
    小料理屋にAがいなかったので、不審に思う。小料理屋の女将を乗せ、2人でスーパーに向かう。
    22時00分
    女将が事務所に入る(中で女性が着替えているかもしれないので)。
    事務所の鍵は開いていた。
    女将が、事務所入口付近で声をかけても返事もなかった。誰もいないようなので車に戻る。
    女将は身長が150cmぐらいで、室内の奥まで見えていなかった。
    知人男性と女将が、2人でもう一度事務所に入る。撃たれていた3人を発見する。
    室内と被害者の様子 [編集]
    発見時、事務所の鍵は開いていた。
    A、Bは制服を着替えて私服になっており、帰る直前に押し入られた様子だった。
    Aは、「事務所の奥にある金庫」の横に、頭をもたれるような形で倒れていた。事務所入口側には足を向けていた。
    Aは頭部を2発撃たれており、縛られていなかった。
    「銃口の熱で、皮膚が焼けた痕跡」が残されていた。
    BとCは部屋中央、金庫の手前で倒れていた。頭を事務所入り口側に向ける形だった。
    BとCは、それぞれ頭部を1発ずつ撃たれ、口を粘着テープでふさがれていた。
    BとCは、それぞれの片手を粘着テープで一緒に巻かれ、背中合わせにされていた。その粘着テープはよじれていた。
    犯人は片手に拳銃、片手に粘着テープを持っていたことが推測される。
    被害者の周囲の床は、血溜まりが出来ていた。
    犯人は血糊を踏まずに逃走した。
    金庫にも発砲した跡があった(1発のみ)。室内は荒らされていなかった。

    動機


    強盗説 [編集]
    売上金を狙って押し入った、と推測されるケース。
    金庫のダイヤルの番号がすぐにでてこなかったので、発砲して逃げた。
    発砲したことで気が動転し、すぐに逃げた。
    2件が考えられる。
    怨恨説 [編集]
    金庫内の週末の売上金(526万円)は、盗まれていなかった。
    犯人の動線が、「事務所にまっすぐ入り、まっすぐ出て行って」いた。室内を物色した痕跡は、一切ない(机の引き出しを開ける、などの形跡がない)。
    「金庫の開け方が分からず、殺害された」という説もあるが、Aは金庫の開け方を知っていた。
    被害者らの財布にも手をつけていない。
    3人とも脳幹を確実に撃ち抜き、即死させている。
    Aは生前、「カッターの刃入りの脅迫文を送りつけられる」嫌がらせを受けていた。「このままだと命がないぞ」という内容だったことが、警察の調査からわかっている。

    犯人像


    足跡は事務所内で約10個採取され、実行犯は1人と断定された。
    足跡の付着物からは、微細な鉄粉と粘土、コケが採取された。鉄粉は溶接の際に飛散したと見られ、溶接作業に従事していたか、鉄工所などに出入りしていた可能性があると見られている。
    至近距離から発砲し、3人とも脳幹が確実に射抜かれていたことから、「銃の扱いに詳しく、撃ち慣れている人物」と思われる。
    使用されたフィリピン製の銃は性能が高くなく、命中率が悪いもの。この点からも、「銃に詳しい」ことが推測される。
    粘着テープには、犯人のものとみられる指紋の一部が付着していた。事務所内の机には手袋痕もあるため、「犯人が粘着テープを使う際、手袋を脱いで素手で扱った」可能性がある。
    靴底は広島県のゴムメーカー製で、運動靴など約30種類で使用されていた。多摩地区では、パルコの吉祥寺店、調布店などで、10,000円~15,000円で販売されていた。
    使用された凶器、道具 [編集]
    拳銃は、フィリピン製のスカイヤーズビンガム(リボルバー38口径)。
    犯人に関する報道 [編集]
    週刊文春2001年11月22日号
    「犯人の実名を挙げた、暴力団関係者の手紙が存在する」と報じた。
    この手紙は、別件で拘置されていた暴力団関係者が、別の拘置所の知人に宛てたもの。
    自身が事件の一部に関与したことを示唆し、「実行犯として、元自衛官の実名を挙げていた」、とされる。
    産経新聞、日本テレビ等(2003年)
    「2002年に逮捕された、70歳代(報道当時)の男が、事件に関与しているのではないか?」との報道が行われた。
    理由
    「この男が、大阪市内の信用金庫で起こしたとされる、強盗未遂事件(1997年)」で使用された銃弾の線条痕が、事件の現場で発見された銃弾のものと酷似している。
    事件当時、男が八王子周辺に居住していた。
    しかし、具体的な関与は不明で、検挙に至っていない。
    この男は、拳銃を使用した銀行強盗や、現金輸送車襲撃事件を繰り返していた。
    26歳の頃には、銀行強盗を企てた。同じ年に、職務質問してきた警察官を射殺し無期懲役判決が下った。しかし、仮出所中に凶悪な事件を繰り返していた。
    この男は、警察庁長官狙撃事件でも名前が挙がった。
    「新潮45」へ寄稿した手記では、本件への関与を全面否定している。
    2007年7月、大阪地方裁判所は、「男の実名を挙げ、殺人鬼と決め付けた週刊新潮」に対し、「記事には真実と信じる相当な理由はない」として名誉毀損を認定し、賠償金80万円の支払いを命じている。
    中国からの情報(2009年3月)
    「覚醒剤所持の罪で、死刑が確定している日本人男性T死刑囚」のUが、「知人がナンペイ事件に関与した」と、「中国公安当局に証言した」と報じられ、日本の捜査当局も面会し事情を聴いた。同死刑囚は、中国・大連刑務所にて2010年4月9日午前9時(日本時間同10時)、死刑を執行された。
    その知人のTも、同様に中国にて死刑が確定しており、警視庁八王子署捜査本部は、捜査員の派遣を中国に要請していたが、同じ日に死刑が執行された。

    その他

    「レジを閉めたあと、売上金をむき出しのまま、暗い駐車場を通り、事務所まで運んでいた」ことは、普段から従業員に不安視されていた。
    この日は、不審者や不審車両が数多く目撃されていたが、特定には至っていない。
    犯行時間前に、「現場近くで停車し、犯行時間後に近くの交差点を走り去る、白の乗用車」が目撃されているが、容疑者の特定には結びついていない。
    ナンペイ大和田店は、事件後「ひまわり」に改名したが、1998年に閉店。建物は解体され、現在は駐車場になっている。
    被害者の一人が通っていた、東京都内の私立高校では、事件後、学校関係者などによる「銃器根絶を考える会」を結成。毎年行われる文化祭や街頭活動などを通して、「銃器犯罪の恐ろしさ」を訴え続けている。
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    DATE: 2010/06/03(木)   CATEGORY: 1995年
    【#94】長野県岡谷市看護助手殺害事件
    長野県岡谷市看護助手殺害事件(ながのけんおかやしかんごじょしゅさつがいじけん)とは1995年2月に長野県岡谷市に住む看護助手の女性(当時51歳)が自宅で絞殺体で発見された事件。
    2010年2月に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた(未解決事件)。

    概要


    1995年2月10日 9時50分頃、長野県岡谷市南宮にある被害者の自宅に勤め先の同僚が無断欠勤を心配して訪ねたところ、自宅の1階の居間の押入れで被害者が亡くなっているのを発見し、事件が発覚した。遺体のあった部屋の電気コードはなくなっていたものの、通帳や現金は残されていた。
    被害者は事件発覚の前日(2月9日)の午前中、「午後2時半からの知人の葬式に参列する。」と理由で勤め先の病院を早退したが、知人の葬式には参列しておらず、被害者が使う車も自宅前に止められたままだった。[1]その後の長野県警捜査本部の捜査によると、被害者は帰宅直後の午後1時半に殺害されたものと見られている。[2]
    カネ目当てで自宅に侵入したところに被害者と鉢合わせになったか、顔見知りの犯行と推測しているものの、被害者の交友関係がはっきりとせず、当初から捜査は難航していた。[2]捜査本部はこれまで捜査員延べ約2万人を投入し、関係者や近所の人に聞き込みをするも、有力な手がかりを得ることが出来ず、2010年2月9日に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた。[3]
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1995年
    【#77】 千葉市学童保育職員殺害事件
    千葉市学童保育職員殺害事件事件 (ちばしがくどうほいくしょくいんさつがいじけん)とは1995年9月に千葉県千葉市で発生した、殺人事件。千葉県警による正式名称は高浜子供ルーム女性指導員殺人事件。
    犯人は検挙されておらず2010年4月現在で未解決。

    概要


    1995年9月3日午後5時45分ごろ(一部午後4時ごろに小学生4人組が発見したという報道もある。[1])、千葉県千葉市美浜区高浜一丁目にあった「高浜子供ルーム」で、ここに勤務する女性職員(当時46歳)が、殺害された状態で発見された。
    事件発覚の当日の9月3日午前0時頃、被害者が勤務を終えて家族に「今日は遅くなるから泊まっていく。」と電話をし、その後午前0時35分コンビニで食料品を買っているのが確認されている。その後の調べで午前1時から3時にかけて施錠されていない、窓から何者かが侵入して、被害者を殺害し、被害者の財布から5万円がなくなっていたという。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1995年
    【#43】警察庁長官狙撃事件
    警察庁長官狙撃事件(けいさつちょう-ちょうかん-そげき-じけん)は、1995年3月に日本の國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された事件。
    2010年3月に殺人罪の公訴時効(15年)を迎えた(未解決事件)。

    被害者 國松孝次(当時警察庁長官)
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    概要


    1995年3月30日午前8時30分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃を4回発砲。國松はそのうち3発を腹部などに受け、全治1年6ヵ月の瀕死の重傷を負った。男は自転車で逃走し、現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。
    狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。電話の声は國松孝次警察庁長官に続く次のターゲットとして井上幸彦警視総監や大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて教団への捜査を止めるように脅迫した。10日前の3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に嫌疑が向けられて8日前の3月22日にオウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われていた。
    國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰した。
    銃を発砲した犯人は黒っぽいレインコートに白いマスクをし、黒っぽい帽子を被っていたとされている。

    犯行現場
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    捜査


    オウム真理教の信者だった警視庁巡査長(当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年5月には詳細に供述していた。しかし、証拠品捜索の為にダイバーを投入しても銃が発見されないなど、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年6月に見送られた。巡査長は教団幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。この供述は匿名の告発が報道機関に届き1996年10月に報道されるまで警察庁にも報告されず、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職で責任を取る事態に到った。
    またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして砂押光朗・教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴処分となった。

    捜査本部は1999年に捜査のやり直しを決定し、捜査員が元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年7月7日、元巡査長の会社員、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、砂押光朗・教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。 さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。しかし、容疑者の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたことや容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。
    警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた教団幹部2人を実行犯と現場指揮役と疑っているが、教団幹部2人は犯行を否定している。
    2008年3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された。
    2010年3月30日午前0時に公訴時効到来(ただし、後述の強盗殺人未遂犯説については、事件後に計1年近く海外渡航しているため、刑事訴訟法第255条によって1年近く公訴時効が停止している)。
    30日には警視庁公安部が記者会見を開き、公訴時効が午前0時をもって成立したことと共に、この事件がオウム真理教の信者による組織的なテロであるとの所見を示した。この記者会見に対し識者から批判が相次ぎ、教団主流派で構成するアレフは、警視庁が捜査結果概要をホームページに公開したことについて名誉棄損による国家賠償訴訟を検討する意向を示した。
    公訴時効を受けて国松孝次元長官は、警視庁の捜査を「不合格の捜査」と評したが、自ら油断があったことを認めた。そして「時効は残念だが、苦労した捜査員にご苦労様と言いたい」と捜査員をねぎらった。また「狙撃事件は、自分の中で終わったか」との問いには、「被害者にとって絶対に忘れられない」と答えた。

    オウム犯行説と強盗殺人未遂犯説


    警察内部では公安部がオウム犯行説を主張し、刑事部が強盗殺人未遂犯を主張し、捜査方針が対立している。犯行直後の狙撃現場の証拠はオウム犯行説に分があるとされ、凶器に関する証拠については強盗殺人未遂犯説に分があるとされているが、どちらも決定的な決め手が欠けている。

    ■オウム犯行説
    公安部が主張するオウム犯行説の根拠は以下の通り。
    ・事件前日の午後に、警察庁長官が住むマンションでオウム信者が「警察国家」と題するビラを配布していたこと。

    ・事件翌日に信者が都内数ヶ所で配布した事件に関するビラの原案とされる元幹部のメモに弾丸が奇妙とする記述があり、弾丸は先端がくぼんだホローポイント弾であったが記述時点では報道されていなかったこと。

    ・元幹部と酷似する男が付近を自転車で走行する姿が複数目撃されていること。
    事件3日前の27日深夜から28日未明にオウム真理教信者だった警視庁巡査長が事件現場近くで職務質問された際に警察手帳を提示した等の供述から、元巡査長が現場の下見と思われる行為をしていたことは確実視されること。

    ・狙撃事件の1時間後にテレビ朝日に警視総監らの名前を挙げて教団への捜査をやめるように脅迫電話があったが、電話の声が教団幹部である砂押光朗と似ていたこと。

    ・事件現場に遺留された韓国10ウォン硬貨から元オウム信者の男のミトコンドリアDNAが検出されていること。

    ・元巡査長のコートや眼鏡やマスクに、拳銃を発射した際にできる付着物等が事件で使用された銃弾の火薬成分と矛盾しないとの鑑定結果が出ていること。

    またオウム犯行説の疑問点は以下の通り。
    ・過去の重大事件を認めてきたオウム教団幹部たちが長官狙撃事件だけは関与を一切認めていないこと。

    ・ホローポイント弾はオウムが武装化する前に製造中止となっていたこと。

    ■強盗殺人未遂犯説
    刑事部が主張する強盗殺人未遂犯説の根拠は以下の通り。
    ・被疑者である強盗殺人未遂犯が、1980年代後半に米国で偽名で事件で使用された拳銃パイソンとホローポイント弾も購入していたこと。

    ・被疑者が犯行後に東京の貸金庫に拳銃を格納したと供述し、事件から約1時間後に拳銃を保管していた東京の貸金庫の開扉記録が残っている。

    ・被疑者が事件2日前に警察官2人が警察庁長官宅を訪問している事実を把握しており、下見をしていた可能性が高いこと。

    ・被疑者のアジトから韓国10ウォン硬貨が発見されたこと。

    ・警察庁長官の住所を把握するために侵入したとされる、警察庁警備局長室の配置についての被疑者による証言が、実際の配置と一致していること。

    また強盗殺人未遂犯説の疑問点は以下の通り。
    ・現場の壁にあった繊維痕と火薬痕や目撃証言から推定される犯人の身長が被疑者と合致しないこと。
    ・事件時、被疑者が狙撃現場にいたという証拠が弱いこと。
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1995年
    【#40】倉敷市児島老夫婦殺人事件
    倉敷市児島老夫婦殺人事件 (くらしきしこじまろうふうふさつじんじけん)とは1995年4月に岡山県倉敷市で発生した殺人事件。
    犯人は検挙されておらず、2010年4月現在で未解決となっている。

    概要


    1995年4月28日の未明、倉敷市児島上の民家が全焼。焼け跡から自宅の1階から被害者夫婦(事件当時夫70歳、妻66歳)の遺体が見つかった。夫は腹に包丁が刺さったままの状態で、妻も胸などに刺し傷が数ヶ所あり、夫婦共に頭部が持ち去られていた。
    司法解剖の結果、死亡推定時刻は前日の27日夕から夜にかけてと見られる。
    岡山県警児島署捜査本部は、夫婦が近くに付近の山林を所有していたことや残虐な手口に着目し、トラブルの有無を調べてきたが、自宅が全焼してしまったために物証は乏しく、現在まで有力な手がかりを得ることが出来ていない。また、頭部の行方は今でも判明していない。

    公訴時効の廃止


    事件発生時の法律では殺人罪の公訴時効が15年であったため、2010年4月28日午前0時をもって時効が成立するはずであったが、その前日の4月27日午後1時に殺人罪の公訴時効廃止などが盛り込まれた刑事訴訟法並びに刑法の改正案が成立し、即日施行されたため、残り数時間のところで時効切れは回避された。この法改正によって時効成立を免れた最も古い殺人事件である。
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