あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/05/27(木)   CATEGORY: 1990年
    【#4】足利事件
    足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児松田真実ちゃん(当時4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日-、同県出身)さんと、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、冤罪であったことが発覚。すぐに菅家さんは釈放され、その後の再審で無罪が確定した。

    菅家利和さん
    4_sugaya

    概要、経過


    事件発覚から逮捕まで
    1990年5月12日
    父親が足利市内のパチンコ店でパチンコをしている間に、同店駐車場から真実ちゃん(当時4歳)が行方不明になる。
    5月13日
    女児の他殺体が、渡良瀬川の河川敷から発見される。犯人は逃走。
    1991年12月2日
    同市内に住む菅家を、猥褻目的誘拐殺人の容疑で逮捕。
    逮捕の決め手は、「真実ちゃんの下着に付着していた体液のDNA型と菅家のDNA型とが一致した」こと。しかし、1991年の時点におけるDNA型鑑定の技術では、別人であっても1.2/1,000の確率でDNA型も血液型も一致する可能性があった。栃木県警察本部は、総勢180人余の捜査本部を設置し、捜査をしていた。
    取調べ、裁判
    菅家は警察や検察の取り調べ時に犯行を自白したが、第一審の途中(第6回公判)から否認に転じ、無罪を主張した。 当時、DNA鑑定(正しくはDNA型鑑定)は警察庁科学警察研究所に導入されたばかりであり、弁護側は「信頼性に疑問がある」としていた。
    1993年
    足利市内に住む西巻糸子氏が疑問を抱いて拘置所に手紙を出して面会を求めるが拒否される。最初の手紙から二ヶ月後に、菅家から「無罪」を訴える返事が来た。西巻は後に「菅家さんを支える会・栃木」代表、菅家の身元引受人となる。
    1993年7月7日
    宇都宮地方裁判所(久保真人裁判長)は菅家に無期懲役の判決。
    1996年5月9日
    東京高等裁判所(高木俊夫裁判長)が控訴棄却。
    1997年10月28日
    佐藤博史弁護士が押田鑑定書を添付して、DNA鑑定の再鑑定の申し立てをする。しかし、最高裁はこれを無視する。
    2000年7月17日
    最高裁判所(亀山継夫裁判長)が「DNA型鑑定の証拠能力を認める」初判断を示し、第一審の無期懲役判決が確定。千葉刑務所に服役した。
    再審請求とDNA再鑑定
    2002年12月25日
    収監された菅家が宇都宮地裁に対し、再審請求を申立てる。
    2008年1月
    日本テレビが、ニュース特集で足利事件のキャンペーン報道を開始する。自供の矛盾点やDNA鑑定の問題点などを指摘、DNA再鑑定の必要性を訴えた。その後も繰り返し放送を行う。記者は「桶川ストーカー殺人事件」などを取材してきた清水潔。
    2008年2月13日
    宇都宮地裁(池本寿美子裁判長)は、菅家の再審請求を棄却。菅家は東京高裁に即時抗告した。
    2008年12月19日
    東京高裁(田中康郎裁判長)がDNA再鑑定を行うことを決定(逮捕から17年目に当たる)。
    2009年2月
    検察側と弁護側(顧問:佐藤博史弁護士他)のそれぞれが推薦した鑑定人2名が、DNA再鑑定を開始。
    2009年4月20日
    再鑑定の結果について、弁護側推薦の鑑定人は「不一致部分が多いため同一人物のものではない」とし、検察側推薦の鑑定人は「一致部分が非常に少ないため、同一人物のものではありえないと言っても過言ではない」とする鑑定結果を提出。東京高裁の嘱託鑑定で「菅家のDNA型と女児の下着に付着した体液の型が一致しない」という結果となった。
    高検はさらに「捜査中に誤って汗などが付着した可能性」についても検討するため、当時の捜査関係者との比較も行ったが、いずれも不一致となり、試料が正しく犯人のものであることも明らかとなった。これは真犯人を特定するための有力な証拠ともなるが、この時点で菅家の逮捕から17年以上が経過しており、既に公訴時効が成立。真犯人を逮捕・起訴できる機会は法的に失われた。
    2009年5月25日
    東京高裁の即時抗告審に鑑定書を提出していた筑波大学教授本田克也が鑑定書の改訂版を提出。
    釈放
    2009年6月1日
    弁護団が刑の執行停止をしない検察を不当だとして宇都宮地裁に異議申し立て。
    2009年6月4日
    鑑定結果を受けて、東京高検が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出し(事実上の再審開始決定)、併せて刑の執行を停止する手続きを取ったことにより、千葉刑務所に服役中の菅家が釈放される。刑事訴訟法では再審の開始前であっても検察官が刑の執行を停止できると定めており(第442条)、「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」とする判断に基づくものだが、極めて異例のことであり、東京高検は「再審開始前に刑の執行を停止した前例はない」としている。記者会見で菅家は「検察と栃木県警に謝罪してほしい」と涙ながらに語った。
    この事態を受け、栃木県警元幹部は「事件の捜査は妥当だった」「足利事件については思い出したくない」と語った。また、当時陣頭指揮を執った元刑事部長が「まだ無罪が確定したわけでは無く、自供も得ているし、(菅家が)犯人だと信じている」と報道陣に語ったところ、本人が運営するブログに批判のコメントが1000件以上も殺到し、そのブログが閉鎖される事態となった。
    栃木県警も当初「暴行や自白の強要はなかったとこれまでの裁判で認定されている」とコメントし、森法務大臣(当時)も取調べの可視化を求める声に「捜査に支障をきたす」としていたが、その一方で検察は最高検の次長検事が記者会見で謝罪するとともに東京高検に対して速やかに再審を開始し無罪判決を求めるよう指示。県警もこれに追従する形で本部長名で謝罪の談話を発表するに至り、同日、警察庁長官も遺憾の意を表明。その翌日には国家公安委員長も記者会見で謝罪した。
    2009年6月17日
    栃木県警本部を訪れた菅家が、県警本部長から直接謝罪を受けた後、記者会見し「本部長が謝っているのを見て考えが変わった。許す気になった。」と話した。
    2009年6月22日
    栃木県警は、警察庁長官賞をはじめ当事件に関わる過去の表彰をすべて自主的に返納したと発表した。栃木県警が、冤罪や不祥事を理由に過去の表彰を返納したのは初めてのことだという。
    2009年6月23日
    東京高裁(矢村宏裁判長)が再審開始を決定。
    2009年10月5日
    菅家が宇都宮地検を訪れ、検察側が初めて正式に謝罪。検事正幕田英雄が面会に応じて対面し、「無実の菅家さんを起訴して長年にわたって服役させ、苦痛を与えたことについて大変申し訳なく思います。検察を代表し、心から謝罪します」と口頭で直接述べた。これに対し、菅家は「これ以上、わたしと同じ苦しみが絶対あってはならない」と応じた。
    釈放後の記者会見で菅家は、当時の取調べの状況に対し「刑事達の責めが酷かったです。『証拠は挙がってるんだ、お前がやったんだろ』とか『早く吐いて楽になれ』と言われました。私は始終無実を主張していますが受け付けて貰えず『お前がやったんだ』と同じ事の繰り返しでした」と述べており、殴る蹴るの暴行のみならず、頭髪を引きずり回されたり体ごと突き飛ばされる等の拷問に等しい暴行が横行した取調べの時間は15時間近くにも及んでいる。取り調べた刑事達については「私は刑事達を許す気になれません。それは検察や裁判官も同じです。全員実名を挙げて、私の前で土下座させてやりたいです」とも述べた。
    再審
    2009年10月21日
    宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で再審公判が始まる。
    2010年1月21日
    再審第4回公判において取り調べ時の録音テープが再生される。
    2010年1月22日
    再審第5回公判において事件当時の担当検事・森川大司が証人として出廷。現在もなお菅家が真犯人であると思うかという弁護団からの質問には沈黙し、最後まで菅家に対する謝罪の言葉は一切なかった。
    2月12日
    再審第6回公判で検察側は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めた。論告に際して、検察官は裁判長に発言の許可を求めた上で「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪した。菅家はこの謝罪について公判後の記者会見で「17年半を思えば、1分少々(の論告)では物足りない。謝罪はあったが、1分少々では腹の底から謝ったとは思えない」と述べている。
    2010年3月24日
    菅家は再審の判決公判を間近に控え、東京新聞の取材に応じ、「しばらくは冤罪で苦しむ人を支える活動を優先させたい」と述べ、自分のような悲劇が繰り返されぬよう「冤罪の語り部になりたい」と誓った。
    2010年3月26日
    再審の判決公判で、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)は菅家に対し、「当時のDNA鑑定に証拠能力はなく、自白も虚偽であり、菅家さんが犯人でないことは誰の目にも明らか」と判示して無罪を言い渡した[17]。判決の言い渡し後、裁判長は菅家に対し、「真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半の長きにわたり自由を奪うことになりました。誠に申し訳なく思います」などと謝罪した。その後、宇都宮地検が上訴権放棄を宇都宮地裁に申し立てて受理されたため、無罪判決が即日確定した(一般には判決が言い渡されてから2週間以内であれば上訴が出来る)。

    その他


    菅家自身に前科・前歴はなかった(宇都宮地裁平成5年7月7日判決/刑集54巻6号670頁・判例タイムズ820号177頁)。
     事件発覚から菅家逮捕までの期間に、買い物途中の主婦をはじめゴルフ練習をしていた男性など複数の人物が、被害者の女の子を連れて歩く男性の姿を目撃しており、警察にも証言している。その男性は明らかに菅家と別人であったという。警察は当初、その証言に基づいた捜査をしていたが、前述の菅家の職場の上司から「菅家が怪しい」とする証言を得ると、他の目撃者の証言による捜査を突然打ち切った。その理由を警察は明らかにしていない。
    当事件発生当初に複数の目撃証言があったことが公に判明したきっかけは、前述の証言をした主婦やその他の目撃者、また菅家を支援する人物らによる告発であり、警察からの発表によるものではなかった。
    警察による菅家の任意同行は、令状の発行や掲示などの手続きがないまま行われた。
    警察が任意同行を求めた理由とされる菅家のDNAサンプルは、先に菅家宅のゴミから収集した体液の付いたティッシュから検出したものであるが、その収集についても令状や菅家本人の許可などの手続きがないまま無断で行われた可能性がある。
    群馬県・栃木県の県境付近では1979年以降、幼女の誘拐事件が起きている。この事件を含め4人の幼女が死亡し、1人が失踪する事件の計5件の事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)が発生したが、いずれも未解決事件となっている。
    1997年のDNA再鑑定の請求から2005年の公訴時効成立までには、8年弱の時間があった。その間に司法がDNA再鑑定請求を認め、再審が行われていれば、その時点で菅家の無罪が確定し、事件の再捜査も可能だった点も指摘されている。この点について、毎日新聞は当事件のDNA再鑑定と再審を認めなかった最高裁の判事5名(当時)と宇都宮地裁の判事3名(当時)にコメントを求めたが、判事達は後述の通り全員が回答を拒否している。
    2009年6月にDNA再鑑定を受けて、検察側が菅家を釈放をした際、毎日新聞は、当事件の上告審の際に弁護団が求め続けていたDNA再鑑定を実施しなかったことの是非や、冤罪被害者に対する謝罪意思の有無、また当事件の公訴時効を裁判所が成立させた件についてどう思うかなどの質問を、判決に関わった当時の最高裁判事5名(亀山継夫、北川弘治、河合伸一、梶谷玄、福田博)と再審請求を認めなかった当時の宇都宮地裁判事3名の計8名に送り、回答を求めたが、判事達は「退官した現在は手元に資料がない」や「回答することは判決理由を後から変更するに等しい」などを理由に、全員が回答を拒否した。木谷明・法政大学法科大学院教授(元・東京高裁総括判事)は、判事達の回答拒否について「なぜまったく答えないのか不思議。答えられる限度で率直に答えるべきではないか」と疑問を投げかけている。
    当事件を題材とした漫画「VS.(ヴァーサス)-北関東連続幼女誘拐殺人事件の真実-」が、週刊ヤングジャンプ2009年10月21日発売号から連載された(原作:野洋、漫画:橘賢一、監修:日本テレビ報道局「ACTION」取材班)。
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