あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1954年
    【#55】島田事件
    島田事件(しまだじけん)とは1954年3月10日に静岡県島田市で発生した幼女誘拐殺人殺人死体遺棄事件である。被告人が死刑の確定判決を受けたが再審で無罪になった冤罪事件。四大死刑冤罪事件の一つ。

    概要


    1954年3月10日、静岡県島田市の快林寺の境内にある幼稚園で卒業記念行事中に6歳の女児が行方不明になり、3月13日に女児は幼稚園から見て大井川の蓬莱橋を渡った対岸である大井川南側の山林で遺体で発見された。
    静岡県警の司法鑑定医師(後の静岡県警科学捜査研究所長)の鈴木完夫は司法解剖の結果、犯人が被害者の女児の首を絞めて被害者が仮死状態になった後、被害者に対する強姦の有無は不明だが性器に傷害を負わせ、その後に被害者の胸部を凶器不明のもので打撃して殺害したと鑑定した。
    被害者の女児を誘拐した犯人の目撃情報はいずれも、スーツを着てネクタイを締めて髪を7・3分けにした、会社員または公務員に見える若い男だった。警察は幼児・児童に対する性犯罪の前歴者、精神病歴者、知的障害者の捜査対象者として捜査したが被疑者を発見することも、被疑者を特定できる情報も発見できなかった。
    1954年5月24日、当時の岐阜県鵜沼町(現在の岐阜県各務原市)で静岡県警が捜査対象者としていた精神病歴者、知的障害者であり、所在不明で事情聴取されていなかった男性(当時25歳)が職務質問され、法的に正当な理由無く身柄を拘束され、島田警察署に護送された。
    警察は男性を窃盗の被疑事実で別件逮捕し、警察の尋問室の密室の中で拷問を行い、被害者の女児を性犯罪目的で誘拐し殺害したとの供述を強要した結果、男性に被害者の女児を誘拐し強姦して性器に傷害を負わせ、胸部を握り拳サイズの石で打撃した後、首を絞めて殺害したとの虚偽の供述をさせて供述調書を作成し、その旨を報道機関に公表した。

    男性の個人的状況


    男性は軽度の知能障害と精神病歴があり、二度の自殺未遂歴と二度の窃盗の前歴があり、一回目の窃盗の時は少年院に入院し、二回目の窃盗の時は刑務所で服役し1953年7月に出所した。男性は就職しても職場に溶け込めず、他者と適切な会話や意思疎通や人間関係を形成できず、仕事に適応できずに短期で離職する傾向があり、自宅に定住せずに放浪する傾向があった。

    裁判の経過・結果


    裁判では男性は捜査段階で「警察官に拷問され、虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件に関していかなる関与もしていない、無実である」と主張した。裁判は下記のとおりの経過・結果になった。
    地裁公判中に裁判官は東京大学教授の古畑種基に被害者の殺害方法について再鑑定を依頼し、古畑は被害者が強姦され胸部を打撃され首を絞められて殺害されたと、男性の供述調書に適合する鑑定結果を報告した。弁護人は東京都立松沢病院医師の鈴木喬と林に男性の精神鑑定を依頼し、鈴木と林の両医師は男性は軽度の知能障害があるが、心身喪失でも心神耗弱でもなく刑事責任能力はあるとの鑑定結果を報告した。
    裁判所は軽度の知能障害があり、精神病の前歴と放浪傾向がある男性が、捜査段階で犯行を供述していることに対して、公判で無実や犯行当時のアリバイを供述することは信用性が無いと判断した。
    1958年5月23日、静岡地裁は男性に死刑判決をした。
    1960年2月17日、東京高裁は控訴を棄却した。
    1960年12月5日、最高裁は上告を棄却し、男性の死刑判決が確定した。
    1986年5月30日、静岡地裁は男性と弁護人の第4次再審請求を棄却したが、抗告審の東京高裁は再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻した。
    1989年7月31日、再審の静岡地裁は無罪判決をした。
    1989年8月10日、検察官は控訴を断念し、逮捕から34年8ヶ月後、死刑判決確定から29年8ヶ月後に男性の無罪が確定した。
    再審では弁護人は被害者の殺害方法について東京医科歯科大学教授の太田伸一郎と上田政雄の両人に再鑑定を依頼し、両教授は古畑教授の鑑定結果に問題があり、捜査段階の鈴木医師の鑑定結果を支持する鑑定結果を報告した。
    無実の人が誤認で逮捕・起訴され、死刑判決が確定後に再審で無罪判決を受けた事例は免田事件、財田川事件、松山事件に続いて4件目であった。
    確定翌日の読売新聞1989年8月11日号ではこの無罪判決の記事が男性の公園で座る姿の写真入りでトップ記事に記載され、見出しは「35年振り自由の身」と打たれた。

    その他


    この事件では、男性の犯罪の証拠とされたものは上記の事件の犯行を認めた供述調書であり、事件への関与を証明する物証に乏しかった。
    男性に供述を強要して虚偽の供述をさせた調書の殺害方法は、鈴木医師が被害者を司法解剖して鑑定した結果と異なっている。複数人の目撃証言が一致する、被害女児を誘拐して犯人と推測される男の人相・体格と、男性の人相・体格は著しく異なっているが警察は無視した。
    男性は結果として再審による無罪判決は得たが、34年8ヶ月間の身柄拘束され29年8ヶ月は死刑囚として暮らす生活を送った。
    無実の男性を犯人視して以降はそれ以外の捜査を行わなかったので、殺害事件の真犯人を探し出すことはできなかった。
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