あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/05/28(金)   CATEGORY: 1984年
    【#59】自由民主党本部放火襲撃事件
    自由民主党本部放火襲撃事件(じゆうみんしゅとうほんぶほうかしゅうげきじけん)とは、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射車によって自由民主党の本部ビルに放火した事件である。

    概要


    1984年9月19日午後7時半ごろ、東京都千代田区永田町にある自民党本部裏の中華料理店駐車場に2台の小型トラックが停車した。このトラックは某宅急便会社の配達車に偽造しており、30歳前後の運転手の男が店員に「お届けに参りました。印鑑をお願いします」といわれ、店員が奥に印鑑を取りに行っている間に、トラックの荷台から火炎放射器が自民党本部北側3階に向けて火炎放射した。犯人らはライトバンで逃走し、その後車ごと作業服とともに焼き捨てる証拠隠滅を図っていた。
    止められていた偽造ナンバープレートのトラックの荷台には火炎放射器が隠されており、プロパンガスの入った高圧ガスの圧搾空気が可燃性の液体を噴射し、それに着火した火炎が自在に角度を変えることができるシステムになっていた。この火炎放射器によって発生した火災により、自民党本部の北側3階から7階が類焼し、党事務局や会議室など約520平方mが焼失した。
    折しも、自民党総裁選挙を控えており、2階にあった自民党党員の選挙人名簿などの書類を搬出するために党所属の国会議員まで駆け付けるなど騒然とした。被害額は10億円にも及んだ。なお自民党本部へは火炎瓶が投げ込まれたり、発火装置を玄関に置かれたことはあったが、放火されたのははじめてであった。
    この事件現場で、法務大臣の住栄作が、消火活動に当たっていた衆議院議員の浜田幸一を見て、「マッチポンプな真似しやがって」と発言し、その場で浜田に殴打された(法相殴打事件)。後日、住は浜田に不明を詫びたという。

    犯人グループ


    事件直後に一部報道機関に「救国霊団」を名乗る男から「戦後ポツダム体制に対する報復である。昭和維新断行万歳」と新右翼のような電話があったが、これは偽装工作と見られている。また事件直後には警察無線を妨害する電波が付近に出されており、警察の連絡がつきにくかった。その後、報道機関に中核派を名乗る男から犯行声明が出されているため、警察は中核派の実働部隊である「人民革命軍」が自民党本部を放火襲撃したと断定した。事件の翌日午前には法政大学と横浜国立大学の構内で中核派が犯行を認めるビラをばら撒いていたことから、この事件への中核派の関与は確実であるとされた。
    犯行声明によれば、新東京国際空港(現・成田国際空港)の第2期工事阻止のための武装闘争であるとしており、用意周到に準備された犯行であった。なお中核派はその後も成田空港関連施設に対するテロを実行した。

    裁判


    犯行グループを中核派と断定し、捜査機関は中核派の根城になっている前進社など捜索したが、実行犯を割り出すことは難航した。被疑者として中核派活動家の男性F(逮捕時40歳)を1985年4月28日に逮捕し、一人を指名手配(逮捕できず)し、1987年1月に主犯としてY(逮捕時37歳)を逮捕したが、Yについては放火事件への関与を実証するだけの証拠を得られず処分保留で釈放[1]されている。
    Fは実行犯の逃走を手助けした放火の共謀共同正犯として起訴されたが、Fは事件当日のアリバイがあると無罪を主張し裁判は紛糾した。検察の冒頭陳述によれば、Fは実行犯の逃走を手助けし、火炎放射器製造の準備をしたと主張したが、具体的な役割を特定しなかった。これはFの自白が得られなかったこともあるが、検察が有罪とする証拠は前者は現場近くで警察官が逃走車とみられるライトバンの助手席にFを見たという目撃証言、後者は8月2日にFに似た男が大量の圧力調節器を購入していたという電気店の従業員の証言が、唯一の有罪証拠であった。それに対しFは事件当日は埼玉県で開催されていた学習会に出席しておりホテルに宿泊していたとして、ホテルの領収書と宿泊者名簿を証拠としていた。
    東京地方裁判所は、1991年2月になって放火という重大犯罪にもかかわらず保証金1500万円でFの保釈を認め[2]。、3月には検察側の抗告を退けた。その理由として「検察はFがいつどこでだれと放火を共謀したか十分実証していない」というものであった[3]。。
    検察はFに懲役10年を求刑したが、1991年6月27日に一審判決は無罪を言い渡した[4]。その理由として電気店の従業員の証言は信用できるが、購入した部品が犯行に使われたという証拠がなく、警官の証言は暗闇の中でFと認識できたのか疑問とした。その一方でFのアリバイを「不自然、不都合な点も少なくないが、虚偽とはいえない」として成立するとした。
    検察は「事実誤認」として控訴したが、二審の東京高等裁判所は1994年12月2日に自白も物証もなく、目撃証言で有罪とする事実認定はできないとして棄却[5]。し、検察は上告しなかった為12月16日にFの無罪は確定した[6]。そのため、中核派の関与は確実であるが、中華料理店の従業員に話しかけた人物以下の実行犯を特定することが出来ず、1999年に公訴時効が成立した。
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