あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1969年
    【#80】土田・日石・ピース缶爆弾事件
    土田・日石・ピース缶爆弾事件(つちだ・にっせき・ピースかんばくだんじけん)とは、1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて、東京都内で連続した爆破殺傷事件である。ピース(タバコ)の缶が爆弾に使用されていた。
    18名が誤認逮捕、起訴されたが、全員が無罪になった事件でもある(1人のみ別件微罪で有罪)。なお、4件中3件が未解決事件(公訴時効は成立)。

    概要


    現場は、いずれも東京都内。
    ・警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件
    1969年10月24日、新宿区若松町の警視庁第8機動隊庁舎。
    ピースの缶(50本入り)に偽装した爆弾が投げ込まれる。
    不発であり、犠牲者なし。
    当時は、金属製の円筒状のパッケージ入りのタバコが販売されていた。

    ・アメリカ文化センターピース缶爆弾事件
    1969年11月1日、港区永田町のアメリカ文化センター。
    ピース缶使用の爆弾(時限爆発装置を装着)を梱包した段ボール箱が配達された。
    アメリカ文化センターの職員1人が負傷。

    ・日石本館地下郵便局爆破事件
    1971年10月18日、港区西新橋の日本石油(後の新日本石油)本社ビル地階の郵便局。
    郵便小包に偽装した爆弾が爆発。
    郵便局員1人が重傷を負った。
    宛先は、警察庁長官(当時は後藤田正晴)と、新東京国際空港公団総裁。

    ・土田邸ピース缶爆弾事件
    1971年12月18日、豊島区雑司ヶ谷の土田國保(警視庁警務部長、当時)宅。
    郵便小包に偽装した爆弾が爆発。
    土田の妻が死亡、子供1人が重傷。

    捜査の概要


    当時の社会状況
    新左翼事件が注目されていた。
    ピース缶爆弾は新左翼特有の犯行だった。
    そのため、捜査は新左翼を中心に進められた。
    被疑者18名 [編集]
    警視庁が被疑者として逮捕した人物は、以下の通り。
    1972年9月10日
    増淵利行(当時27歳。赤軍派活動家)。
    これのみ別件逮捕。
    1973年1月6日
    B(当時23歳)
    1月8日
    C(当時22歳)
    1月22日
    増淵利行、D(当時24歳)、E(当時24歳)の3名。
    2月9日
    F(当時23歳)
    2月20日
    G(当時23歳)
    2月20日
    H(当時24歳)、I(当時26歳)の2名。
    3月13日
    J(当時25歳)、K(当時27歳)の2名。
    3月19日
    L(当時25歳)、M(当時25歳)の2名。
    3月29日
    N(当時24歳)、O(当時25歳)の2名。
    3月29日
    P(当時27歳)
    4月9日
    Q(当時25歳)
    4月13日
    R(当時25歳)
    内訳
    18名の被疑者の内、増淵以外は政治活動をしていなかった。
    しかし、増淵とは、個人的な交友関係があった。
    取調べ [編集]
    警察は増淵ら主催していた研究会の理論を動機の背景として、18名に対し、
    尋問室の密室の中で拷問を行い、
    先入観と思い込みに基づいて、
    犯行の供述を強要した。
    その結果、
    18人全員から、事件を行ったこと
    他の17人との共犯関係
    を認めた供述調書を作成。報道機関に公表した。

    裁判の経過・結果


    各事件と被告人 [編集]
    各事件ごとに起訴された被告人は、下記のとおりである。
    爆弾製造
    増淵利行、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K。
    警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件
    増淵、B、D、E、F、G。
    アメリカ文化センターピース缶爆弾事件
    増淵、B、C、D。
    日石ビルピース缶爆弾事件
    増淵、E、H、I、L、Q、R。
    土田邸ピース缶爆弾事件
    増淵、E、H、I、L、M、N、O、P、Q。

    無実を主張 [編集]
    被告人18名は、
    取調べで拷問され、虚偽の供述をさせられた。
    この事件に関し、いかなる関与もしていない。
    と主張した(ただし、初公判の時点で無実を主張した者と、公判の途中から無実を主張した者がいる)。
    分離公判から統一公判へ [編集]
    開始時は、被告人全員が分離公判だったが、途中から統一公判となった。
    1974年12月に、増淵利行、E、H、I、N、O、Q、Pの審理を併合。
    1975年9月に、Lの審理も併合。
    地方裁判所の審理終了までに、286回の公判を行った。
    経過 [編集]
    R [編集]
    1976年1月29日、東京地裁
    「検察官の主張は真実ではない」、「被告人と弁護人の主張は真実である」と認識し、Rに無罪判決。
    検察官は無罪判決を不服とし、控訴。
    1978年8月11日、東京高裁
    検察官の控訴を棄却し、地裁判決を支持。
    検察官は上告を断念し、Rの無罪が確定。
    L、Q [編集]
    1977年4月25日、東京地裁
    L、Qの2名を保釈。
    M [編集]
    1983年3月24日、東京地裁
    Mに無罪判決。
    検察官は控訴を断念し、Mの無罪が確定。
    増淵利行、E、H、I、L、N、O、P、Q [編集]
    1979年4月、東京地裁
    若宮正則(赤軍派の活動家)は、「警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件の実行犯である」と証言。
    1982年5月25日、東京地裁
    牧田吉明(民族主義活動家)は、「警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件に使用された爆弾を作成し、配布した犯人である」と証言。
    「実行犯は、若宮正則など、赤軍派の構成員」と証言。
    1982年5月28日、東京地裁
    増淵利行を釈放。
    1982年12月7日
    検察官は、統一公判の被告人9人に対し、増淵に死刑、EとIに無期懲役、Hに懲役15年、LとQに懲役12年、NとOとPに懲役4年の求刑。
    1983年5月19日、東京地裁
    統一公判の増淵、E、H、I、L、N、O、P、Q被告人全員に無罪判決。
    検察官は不服とし、控訴。
    1985年12月13日、東京高裁
    統一公判の被告人9人に対する検察官の控訴を棄却し、地裁判決を支持。
    検察官は上告を断念。増淵、E、H、I、L、N、O、P、Qの無罪が確定。
    損害賠償を提訴 [編集]
    1986年3月25日
    増淵利行、E、H、I、Lは、「無実の被疑事件で身柄を拘束された」ことに対し、国と東京都に対して
    1億7200万円の国家賠償。
    訴訟費用の損害賠償。
    全国販売網を持つ各新聞紙上での、謝罪広告の掲載。
    以上を求める民事訴訟を提訴した。
    2001年12月25日、東京地裁
    提訴人の主張を、全て却下。
    東京高裁は、Eに対する100万円の損害賠償だけを命じ、他の提訴人の要求を却下。
    不明な事項 [編集]
    B、C、D、F、G、J、Kの、東京地裁の無罪判決日。
    上記に対する、検察官の控訴の有無。
    B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、M、N、O、P、Rの保釈時期(増淵、L、Q以外)。

    真犯人、時効


    警視庁機動隊庁舎ピース缶爆弾未遂事件
    爆弾製造を牧田吉明が行い、実行犯が若宮正則であることが判明。
    上記以外の事件
    被疑者不明で公訴時効が成立。真犯人は不明。
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