あんくり
    Uncleared Crimes=未解決事件
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    DATE: 2010/06/02(水)   CATEGORY: 1971年
    【#83】D.B.クーパー事件
    D.B.クーパー事件(D. B. Cooper)は、アメリカ合衆国で発生したハイジャック事件。ハイジャック事件では珍しい、身代金を要求した事件である。
    当局から身代金を受け取った後、 犯人は飛行中のボーイング727の後部にあるドアを開けさせ、現金200,000ドルを持ってパラシュートで脱出して検挙されず、また犯人の身元も不明な未解決の事件である。後に身代金の一部がコロンビア川で発見され、実際には彼は死亡していたのではないかといわれるが肝心の死体が発見されていないなど、謎が多い。
    なお「D.B.クーパー」はFBIの手配の際、手違いで広められた犯人の名前であるが、犯人による自称「ダン・クーパー」もまた偽名であるのは確実である。

    概要


    アメリカの感謝祭前日であった1971年11月24日に、経由地のオレゴン州ポートランドからノースウエスト航空11便(ワシントンD.C.発シアトル行き)には、乗員6名と乗客36名が搭乗していたが、その一人が「ダン・クーパー」の偽名で搭乗していた犯人であった。
    午後4時35分(現地時間)に離陸後、犯人は機内サービスの際に客室乗務員の女性に代金と一緒にメモを渡した。彼女は最初はてっきり彼が自宅の電話番号を書いてよこしたと思っていたが、彼は「爆弾を持っている」と告げたため確認すると、爆弾を所持していることと身代金200,000ドルとパラシュート4つを要求する脅迫状であった。また隣に座るように要求した。
    そのため客室乗務員が操縦席に連絡したが、パイロットは疑わしいと思い彼の隣に座り本当に爆弾を持っているかを尋ねると、彼は持っているブリーフケースを開け、そこには赤い管と導火線が見えた。そのためパイロットは管制官にハイジャックされたことを告げ、それに対し当局はハイジャック犯に従うように指示した。
    午後5時45分にシアトル・タコマ国際空港に緊急着陸後、身代金とパラシュートと引き換えに犯人は乗客全員と客室乗務員2名を解放した。その後午後7時45分にシアトルを離陸したが、犯人は機長に対しネバダ州リノに向かえと要求し、高度10000フィート(約3000m)に維持したうえでランディングギア(車輪)とフラップを下げて飛行するように指示していた。
    彼は午後8時11分ごろに、ボーイング727の後部にあったリアドア(昇降用階段)を空中で開き、パラシュートで現金と共に脱出した。その様子は追跡していた空軍のF-106戦闘機2機は視界がきかなかったため確認できなかったが、犯人はポートランドの北30マイル(約50km)にあるアリエルの郊外に降りたと思われていた。その後当局は18日間捜索したが彼の行き先に関する手かがりはつかめなかった。そのため犯人の正体は闇の彼方に消えていった。

    犯人のその後


    逃亡説
    1972年には、「パラシュートによって、ハイジャックした旅客機から逃走しようとした事件(模倣犯)」が3件発生した。最終的にはいずれも検挙され、「ダン・クーパー」だけが逃げ切ったと思われていた。
    捜査当局が「ダニエル・B・クーパー」を被疑者として拘束したため、「D.B.クーパー」が被疑者であるかの誤解をマスコミに与えるミスをした。そのため、世間一般に、後者の名が誤って広まってしまった。
    死亡説
    1980年2月13日、ワシントン州バンクーバー郊外のコロンビア川のそばで、ピクニックに来ていた家族によって、身代金の一部5800ドル(20ドル紙幣の束であったという)が発見された。
    そのため、「犯人は、コロンビア川に落ちて溺れた」、もしくは「冬の夜の寒さに凍えて、死亡したのではないか?」といわれるようになった。
    彼が使用したパラシュート2つのうち、1つは「空中では展開しない、地上訓練用」であったため、「パラシュートによる脱出に失敗して死亡した」という説もあった。
    その他、犯人と思われる人物
    1991年に出版された書籍には、「1972年に同様の事件を起こした元軍人の男性[1]が犯人ではないか?」という説が書かれた。
    2000年、ある女性が、「夫が死ぬ間際に、『ダン・クーパー』であったと告白した」とする記事がU.S. News and World Report誌に掲載された。それによると、「夫の筆跡と、犯人の筆跡がよく似ていること」などを根拠にしていた。なお、彼女の夫の死亡は1995年。
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